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生贄姫は鬼に溺愛される ~とこしえの蜜月~  作者: 小達出みかん


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お召し代え

ぼんやりとしていたら、先ほどの狐が再び現れ、澪子を小さな板張りの部屋へと連れて行った。衝立の向こうは大きな湯殿のようで、暖かい湯気がこちらまで立ち込めている。


澪子は先ほど借りた衣を畳んで籠に入れ、衝立をくぐって湯殿へ入った。




「わぁ…すごい」


 


5、6人は浸かれそうな大きな四角い湯桶に、透明な湯がなみなみと満ち、白い湯気を立てていた。こんな大きな湯桶を見るのは生まれて初めてで、澪子はそっと指先で湯に触れてみた。




(あったかい…!)




 早く浸からないと冷めてしまう。そう思った澪子は自分の置かれた状況も忘れ、ぬか袋で体を洗い清め、胸を弾ませながら湯の中に足を踏み入れた。




(すごい…香りのある木を使ってるんだ、いい匂いがする…)




 湯桶のから立ち上る香ばしい木の匂いを感じながら、澪子は熱い湯の中でふーっと息をついた。心地よくて、自然と体の力が抜ける。




(こんな良い目にあって、いいのかな。何で私をお風呂になんか…?)




 澪子は先ほど鬼が言った事を思い出した。彼は「ありがたく頂く」と言っていた。つまり…。




(食べる前に、食材の汚れを落とすって事かな…)




 澪子は湯桶の中の自分の身体を見た。長い事、自分の身なりを顧みた事などなかった。改めて見ると、肌は艶がなくカサカサしていて、体はあばら骨が浮くほど痩せている。髪もぱさぱさだ…。


いくら汚れを落としても、自分の身体は美味しくはなさそうだった。


情けない気持ちになりいくぶん肩を落としたその時、衝立の向こうから声がした。




「澪、済みましたか?」




 柔らかい低音。鬼の声だ。澪子はぎょっとして体を掻き抱いた。




「まっ…まだです、すみません…!」




「わかりました。ではここで待っています」




(何で!?!?…あっ、そうか)




 食べるためか…。そう思った澪子は、しおしおと湯桶から上がり、衝立の向こうへ声をかけた。




「上がりました。百夜…様」




 衣は籠に置いてきてしまったので、裸のままだ。心元なかったが仕方がない。食材が着物を纏っていれば食べにくいだろう。しかし、澪子の気持ちとは裏腹に嬉し気な声が衝立の向こうから響いた。




「ではこちらへ来てください。私が新しい衣を着つけてあげましょう」




「えっ…?」




「いけませんか?」




「き、着物を着ても、いいんですか?」




 澪子がおそるおそるたずねると、憮然とした声が帰ってきた。




「当たり前でしょう。ほら、早く」




 そういわれると、澪子は急に恥ずかしくなった。




「じ、自分で、着れますので、その…衣をこちらにやってもらえませんか」




 一瞬の沈黙のあと、声が返ってきた。




「…そうですか」




 その声が、あまりにしょんぼりしていたので、澪子はなんだか申し訳なくなった。




「す、すみません。あの、ええと」




「いいんです…では後ろを向いていますので、こちらへきてください」




 出て行ってはくれないのか…と思いながら、澪子はびくびく衝立をくぐった。言われた通り、鬼がこちらに背を向けていた。




「澪、そこの布で体をお拭きなさい」




 先ほどはなかった、黒塗りの唐櫃からびつの上に大きな布が畳んであった。澪子はとりあえずそれを広げて肩に巻いて肌の水滴を拭った。これで裸ではなくなった。




「あ、あの百夜様、私の着物は…」




「箱の中です。でもその前に、肌にそれを塗り込んでください」




 彼が後ろ向きのまま、厨子ずしの上を指さした。そこには蓋つきの丸い小箱があった。開けると、中にはとろりとした紅い軟膏のようなものが入っていた。




「こ、これは…?」




「柘榴と蜜を煮て、固めたものです」




「…これを肌に?」




「はい。顔も、腹も、背中も…全身くまなく」




 澪子はまじまじとそれを見つめた。下味調味料という事だろうか。黙った澪子に、百夜が声をかけた。




「どうしました」




「い、いえ」




「ああ…そうか、背中に自分で塗るのは難しいですよね。やはり私が塗ります」




「はい!?」




 彼がいきなり振り向いたので、澪子は慌てて小箱を落としそうになった。




「わっ…す、すみません」




 彼はさっと澪子の手を支えてそれを防いだ。もう片手で布をぎゅっと抑えながらも、澪子はバツが悪くて顔が紅くなるのを感じた。この一枚下は裸身なのだ。男性の前で、なんてはしたない恰好をしているのだろう。




「ではこれ、借りますね」




 しかしそんな澪子にお構いなしに、彼は澪子の手から小箱を抜き取り、指にその軟膏をすくった。




「ちょ、ちょちょっと待って、待ってください、自分で塗れます」




「でも背中は難しいでしょう。遠慮しなくともいいのですよ」




 彼は首をかしげて不思議そうに言った。澪子の羞恥心になど、まったく構わない様子だ。澪子は仕方なく、絞り出すように言った。




「は、裸なので…恥ずかしい、です」




 百夜はぱちりと目を見開いたあと、少し困ったようにすっと目を細めて澪子から視線をそらした。その目淵が苺のように、ほっと色づいていた。




「わかっています…見ないようにして塗りますので」




 そういって、百夜は澪子の背中に指を這わせた。彼の手が、布の下の澪子の肌に触れる。




「ひゃっ……!」




 背中にひやりとした軟膏の蜜が触れ、つうっと彼の指がそれを伸ばしていく。澪子はびくっと肩を震わせた。




「…心の臓が、すごい音を立てていますね。うしろからでもわかります」



 百夜が後ろから囁いた。



「…あ、あの、それ以上は、自分で、」


 



「これ以上触れられるのは、嫌、ですか…?」




 吐息交じりのその低い声に、澪子は必死でうなずいた。

 痩せさらばえて、肌つやも悪い自分の背中が、心底恥ずかしい。



「…わかりました」



 澪子はやっと解放された。




「終わりました。おつかれさまです、澪」




 澪子ははぁはぁと切れた息を整えた。見られてもいないはずなのに、相手に全身を掌握されてしまったような気がしていた。




「あの、私の、衣は…」




 もう何でもいいからちゃんと衣を着たかった。だが、彼が唐櫃の蓋を開けて着物を取り出したとたん、澪子はあとずさった。


 


「ひ、ひぇ…」




 目にも綾な紅花緑葉こうかりょくようの桂うちぎが、目の前にきらきらしくうち広がっていた。ずっしりと重そうなその衣には、縫箔ぬいはくの金も光ってまばゆいほどだった。まるで都のお姫様が身にまとうような御衣おんぞだ。




「どうしたんです?ほら、まずこれを」




 百夜は微笑んで、桂の下に隠れていた涼やかな紗うすぎぬの単衣を澪子の肩に羽織らせた。その上に綾絹の小袖を重ね、贅沢に染められた深い緋の袴をつけ、百夜はいったん手を離して澪子の姿を眺めた。まるで幼子に向けるような甘い笑みを浮かべて。




「さぁ、これを」




 先ほどの豪奢な桂が広げられ、澪子はためらって首を振った。




「こ、これだけでもすごい衣装です…なので、その、それはしまってください」




 彼は首をかしげた。




「なぜです?気に入りませんか」




「い、いえ、もったいないので…私は着れれば、どんな衣でもかまわなので」




「そんな事言わないでください。私は、これを着たあなたが見てみたいのです」




 そういわれて、澪子は困って下を向いた。こんな豪華なもの、両親が生きていたころでも着た事などなかった。下手に着て、汚しでもしたら大変だ。だいいち…




(こんな綺麗な衣…貧相な私が着たっておかしなだけだ)




 蝶子のような娘になら、きっと似合うだろう…そんな思いが頭に浮かび、澪子はうなずくことができなかった。




 黙り込んでしまった澪子を見て、鬼は肩を落とした。




「嫌でしたか…?」




「違うんです、私には分不相応で…」




「そんな事はないです。でも…澪が着たくないというなら、かまいません。私は澪の嫌がることは、したくないのです」




「は、はぁ…」




「ですが、そのままでは寒いでしょう。私のですみませんが、これを」




 彼は自分の着ていた露草色の単衣ひとえを脱いで差し出した。その下は生絹すずしの浴衣一枚だった。




「あの、でも、百夜様が、お寒くありませんか」




「大丈夫ですよ、私は鬼なので」




 そういって百夜は澪子に単衣を羽織らせた。その姿を見て、彼は再び目を細めて笑んだ。




「…澪はなんでも似合いますね。では…行きましょうか。夕餉を用意してあります」




 そういって彼が歩き出したので、澪子は慌ててついていった。

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