いらない捨て子(ヒーロー視点)
「いってらっしゃい…澪」
最後、百夜は笑顔で澪子を見送った。一秒でも長く、澪子を見ていたかった。百夜は遠ざかる彼女の背に目を凝らした。
するとふいに澪子が振り返って、ましろと共に手を振った。何も知らないその笑顔は、百夜の胸にずしんと重たい一撃を食らわせた。
「み、澪…澪」
駆け出して止めたくなる衝動を、百夜はやっとの事でこらえ、笑顔をつくって手を振り返した。それを見て澪子は安心したように歩みを進め、やがて木々の間に二人の姿は消えた。
(今度こそ…澪子を助ける事ができた)
百夜は、縁側に腰かけて深いため息をついた。彼女を助けるには、こうするしかない事は、百夜自身が一番わかっていた。だがもう二度と会えないと思うと、百夜の胸に鋭い痛みが走った。
(でも―…いい。そのうち痛みも感じなくなる。私の命は今夜で終わりなのだから)
百夜は目を閉じた。瞼の裏に、さまざまな映像が走馬灯のように浮かんだ。澪子の笑顔、ましろの走る姿、そして真っ赤な紅葉―…。
―百夜の脳裏に、遥かな故郷の景色が浮かんだ。ついに帰ることのなかった故郷が。
火ノ原は美しい場所だった。燃えるような紅葉。天空を吹く透き通った風。子どもの百夜は一人になりたいとき、よく誰も来ない崖の上から下の世界を見下ろしていた。
人間が居るという世界。
人間というものは、どんなものなのだろう?家に帰る事が苦痛だった百夜は、よくそう考えながら時間を潰していた。
家は、荒くれものの父と兄たちの天下だった。一人静かに書を読むことが好きな百夜の居場所などどこにもない。力も弱く女のような顔をしていると、いつも罵られ叩かれた。
彼らに認めてもらおうと頑張っても、百夜は相撲も取っ組み合いも下手だった。いつも簡単にねじ伏せられて終わるので、反撃しようという気にもならない。そんな百夜を、闘志がないと兄たちは嘲るようになった。
そして出来の悪い末子は、早々に父の視界から消えた。何をしても数に入れられない。いるのにいないように扱われ、食事も風呂もいつも最後だ。
友達と呼べるのは、峰に住む野生の狐くらいだった。百夜はいつも崖の上で、彼らと走り回ったり、話しかけたりしてやるせなさを紛らわせていた。ことに辛いとき、彼らはそっと寄り添ってくれるのだった。ある時彼らが、葉をくわえて百夜のもとへ来た事があった。
「ああ…それ、お前の好きなヨモギの葉…くれるのか」
百夜は思わず笑って、伏せていた顔を上げた。
「知ってるかい?お前が好きなこの葉…こうして傷にあてると、痛みが和らぐんだ」
百夜はよもぎの葉を揉んで、火傷の残る手にそれを張り付けた。昨日、すぐ上の兄に、火箸を押し付けられてできた傷だった。
ひりひり痛む火傷に、ヨモギの液が一瞬しみる。その痛みに、百夜は思わず顔をしかめた。だが傷の痛みよりも、胸中の痛みの方がやるせなかった。
なぜ自分は、こんなにひとりぼっちなのだろう。
誰にも認められず、数に入らず、こうして虐げられて―…。
狐は心配そうに、唇をかみしめる百夜を見ていた。百夜は彼を見て、無理やり笑ってみせた。
「…大丈夫、こんなのいつもの、こと…」
だが、強がると一層つらさが身に染みて、百夜は最後まで言えなかった。こんな自分が情けなくて、百夜は再び膝を抱えて顔を伏せた。
この姿を見られれば、女々しい弟だ、一家の恥だとまた叱られる。百夜は無理やり拳を握って、ぐっと嗚咽も涙も飲みこんで顔を上げた。
「もう…帰らなきゃ」
百夜は無理やり立ち上がって、屋敷へと歩いて戻った。大広間に明かりがともっている。もう夕餉の時間だ。百夜は急いでずらりと並んだ膳の末席に滑り込んだ。隣の兄が、冷たい目で百夜を見た。
「何、ぐずぐずしてんだ。下っ端のくせに」
「…ごめんなさい」
百夜は身を縮めてつぶやいた。そんな百夜を見て、兄は意地悪く目を細めて、大声を上げた。
「父上!こいつ、夕餉の席に遅刻をしました!本来ならば、一番先に来て待っていなければいけないのに!」
一番上座に座った父上が、ちらりと兄を見た。百夜の背は凍った。
…咎められるなら、まだいい。一番いやなのは、そんな奴、遅れようがどうでもいいと言われること…
父の無関心は、いつも百夜を容赦なく打ちのめした。
が、その日だけは違った。父は百夜の手に目をとめて聞いたのだ。
「お前、その手はなんだ?」
兄も気が付いてヨモギの葉を見た。兄はいつものように百夜を嘲った。
「はっ、お前は本当にクズだな、女こどもがやるようなままごとを一人でしてたのか」
これは、狐が持ってきてくれたものなのに。冷たい家族と違って、いつも気にかけてくれる狐が…。そう思うと、百夜は珍しくムキになって、ヨモギをはがしてその下の火傷を見せた。
「違う、ヨモギには鎮痛作用があるから、こうして貼ってたんだ」
が、兄はわけがわからないという顔になった。
「は?チンツウ?何言ってるんだ?」
「痛みを和らげるんだよ。傷に貼ってもいいし、煎じて飲めば病気にも効く」
仏頂面で説明した百夜を見て、父は方眉を上げた。
「ほお、そうか。そりゃ知らんかったわ」
遠くから響くその声は、ただしゃべるだけでもまるで雷のように響く。どこか面白がるかのように、彼は百夜を見て言い捨てた。
「お前、仙薬作りにでもなる気か」
その言葉に、百夜は固まった。父が僕に話しかけることなど、何年ぶりだろう。心の中に、嬉しさ、ためらい、気後れ…様々な思いが翔けていくように浮かんでは消えた。だが早く返答を返さないと、父さんの目はすぐ他の兄弟へと向かうだろう―…百夜は焦って口にした。
「は、はい…!いつか誰も作ったことのない仙薬を、作ってみとうございます!!」
百夜は頬を真っ赤にして、そう言った。すると父はふんと笑って杯を傾けた。
「それならせいぜい励むことだ。俺を長生きさせてくれ」
百夜は目を見開いた。父がこの僕に、希望を言うことなど初めてだ…。百夜は意気込んでうなずいた。だが父の目はすでに百夜から離れていた―…。
しかし、百夜の胸の内に、いままでなかった光がその時差した。
(仙薬―…不老不死の、薬)
未だかつて誰も作れなかった幻の薬。もしそれを作る事ができれば、きっと父は喜ぶだろう。百夜の事を、役に立つ息子だと認めてくれるかもしれない。
(やってみよう、強くない僕が人よりできる事は、そのくらいなのだから―…。)
百夜は密かに決心した。
それが一番最初、調薬を志した理由だった。
それから百夜は、仙薬を完成させるために人間界へと降りた。広い大陸や島々を渡り、妖や仙人を訪ねその作り方を研究した。何年もかかったが、ようやく独自の仙薬の処方を作り出した。
―仙薬の材料は、水銀でも金でもない。生きた人間の肝だ。
百夜はそう確信していた。だが、ただ肝を取るだけでは仙薬は作れない。
生命の根源は、体の中に詰まる五臓六腑だ。人間は、体の中に流れる気の力でもって、それを動かしている。気の流れが尽きれば、生き物は死を迎える。
それを防ぐためには…より力の強い人間の臓腑から「気」を抽出し、薬に落とし込む必要がある。「気」を人間から取り出してとどめておくのは難しい技術と根気が要ったが、百夜は時間をかけて、その技を完成させた。今まで誰もできなかった技だ。百夜の心は高鳴った。
これで、故郷の皆に認めてもらえる―…。
臓腑は強ければ強いほど、多ければ多いほどいい。だから百夜はその材料を得るため、この青井山へ降り立った。
捕らえた人間たちは眠らせて、苦痛を最小限にして肝を取った。だがそれは、彼らに慈悲をかけたわけではない。ただ単に、争うのが面倒だっただけだ。
人間を犠牲にして薬とする事そのものには、なんのためらいもなかった。むしろこれで薬が完成に近づいたと思うと、嬉しくなるくらいだった。父に認められ、兄たちの仲間に入りたい。否定しようとしても、心の底には常にその思いがあった。
百夜の生まれ育った世界では、強さこそがすべてだった。思いやりも愛も存在しない。弱いものは、餌食になるしかない。その世界しか知らない百夜にとって人間は、食材と変わらなかった。鬼よりも弱い力しかもたない彼らはただの「家畜」だった。
しかし、薬も完成に近づいたある日、百夜は思いもかけない事態に戸惑う事になる。
山のふもとの神社の巫女が、村人を返して欲しいと訪ねてきたのだ。
寒い冬の晩だった。頭にかぶった被きから覗く顔は白く、その体は吹雪に吹かれて飛んでしまいそうに細かった。しかしそのまなざしはまっすぐで、百夜を前にしても一歩も引かない強靭さを持ち合わせていた。
この人間の肝は、きっと強い気で満ちているに違いない。そう思った百夜は一にも二にもなく巫女を捉えようとした。が。
その瞬間、ぶわっと巫女の袖の中から、色とりどりの紐が蛇のように飛び出し、百夜の身体を捉えた。
「…私も捉えて喰うつもりだったのですね」
巫女は冷たい声でそう言った。見下ろすその目は、軽蔑と怒りに満ちていた。そのまなざしを受けながらも、百夜は言い返した。
「食ってなどいない。人間たちは、薬の材料になってもらったのだ。」
「…何の薬?」
「仙薬だ。飲めば永遠に生きられる」
「あなたは…それを飲むつもりだったのですか。人の命を奪って、自分が生き永らえようと」
「自分のためではない。私はただ、薬を完成させたかっただけだ…!」
「では…あなたのその研究のために、たくさんの命が犠牲になったと?」
「…人間など、どうせすぐに死ぬ生き物だ。それのなにが悪い?」
百夜のその言葉に、巫女の目は鋭く細められた。
「あなたと話しても、時間の無駄のようです」
巫女はそう言って、懐から輝く何かを取り出した。その光に目が眩み、百夜は思わず地面へ手をついた。自分の力が弱まり、手足に見えない枷がはめられたかのように痛んだ。巫女は続けて叫んだ。
「私の命を使ってでも、あなたを倒します!村のみんなのために…!」
その声は強く神々しく百夜の耳へ突き刺さった。だが百夜は抵抗を試みた。
「鬼の私が…そう簡単に、人間に倒されるとでも…!」
「倒すのが無理ならば、この地に封じます…!」
巫女は絞り出すようにそう叫んだ。彼女は自分の持てる全ての生命力を使って、その光でもって百夜をねじ伏せた。彼女の力が、地面を通じてこの地全体に広がっていくのが感じられた。まるで全てを吸い込むような、強力な力だった。抗おうとしても、光を浴びた手足は萎え、百夜は地面へとはいつくばるより他なかった。百夜の意識は、そこでふっと途切れた。




