第8話 銀狐、治療される 其の一
晧が運ばれたのは街外れの宿の離れの一室だった。丁度自分が向かっていた宿だ。やはり愚者の森が近いということもあり、この宿は人気が少ない。
自分を助けたこの男は普通の部屋ではなく、離れを選んだ。その時点で何が起こるのか、分からないほど子供ではない。
ただ相手が変わっただけだ。
逃げたくとも身体が先程よりも痺れてしまって、動くこともままならない。何よりも朦朧とする頭と熱い身体が、男から感じられる懐かしい匂いに捕らわれてしまっている。
男は晧を寝台に降ろした。
とても優しい手付きで、敷包布に背中が付く。
晧は改めて男を見た。
薄青色の長い髪を下の方でゆったりと纏めた、端正な顔の美丈夫だった。左目にはこの辺りでは珍しい片眼鏡をしている。
男はどこか暖かみのある銀灰の瞳を緩ませて、にっこりと微笑んだ。
「宿の者に布巾と手水を貰って参りますので、少し待っていて下さい」
そう言って部屋を出て行く男に、晧は少しばかり拍子抜けをした。自分を扱う手付きは優しかったものの、あんな姿を見られているのだ。すぐにでも衣着を剥がして、事に及ぶだろうと思っていたというのに。
(……もしかして本当に助けられた……?)
しばらくして男が部屋に戻ってくる。
水の入った手水用の桶と布巾を卓子に置いて、男は再び部屋を出る。そうして戻ってきた時には、男の手には水差しと茶杯があった。
茶杯に水を注いでから、男は寝台のすぐそばに座る。
「お聞きします。いま、私の声が聞こえますか? 理解が出来ますか?」
耳心地の良い男の声に、無言のままこくりと頷いた。
「首は動くのですね。身体はいかがです?」
晧は首を横に振る。
「身体は動かないが首は動く。意識もはっきりしているとなれば、今は小康状態ですね。ですがすぐにぶり返しが来ます。それまでに少し説明をさせて下さい」
そう言って男は胸元から、何やら三角に折られた紙の様なものを取り出した。
「私は名を白霆と申します。城下街にある薬屋で、弟子のようなことをしている者です」
白霆と名乗った男の言葉に晧はこくりと頷いた。弟子の噂は聞いたことがあった。
彼は先程の三角の紙を、晧の目の前に持ってくる。それは薬の入った薬包紙だった。紙には城下街にある有名な薬屋の印がされていた。
主に魔妖や真竜を診る医生が営む薬屋だ。
だがこの医生はかなり気難しく、変わり者で有名だった。診察や薬の提供に、金銭は一切要求しない。珍品を始め薬の代償となる物に興味を惹かれるか否か。惹かれなければ、診ることも薬も提供することもない徹底振りだ。
そんな医生が弟子を取ったという噂は、愚者の森の奥にまで流れて聞こえていた。あんな奇傑を師と仰ぐ者は、それこそどんな変わり者かと思ったものだが。
(一見普通の優しそうな人間に見える。だがあの薬屋の下で働いているのなら)
見た目で判断しない方がいいだろう。
「貴方が掛けられた薬、この独特の甘い匂いからして、いま繁華街で流行りの魔妖専用の、強力な媚薬だと考えられます。貴方はこの薬をどれほど掛けられたか、もしくは飲まされたか、覚えてらっしゃいますか?」
そう聞かれて晧は先程の痴態を思い出し、羞恥のあまりに顔に朱を走らせた。
「……二、かい……かけられ、た」
「ニ回、ですか。口の中には入りましたか?」
「す、こし……」
白霆が眉を顰める。
「──真実を申しますとこれは、性的に摂取する『魔妖の調教用』に作られた媚薬です。私は幾度かこの薬を使われ、医生の元へ逃げてきた者達を看ています。媚薬の特徴は身体の動きを制限され、小康状態と激化状態の波があることです。小康状態の時には今の貴方のように理性がありますが、一度激化状態に入りますと、本能のままに性欲を満たそうとします」
晧がこくりと頷く。それはまさに先程経験したことだ。自分を捕らえたどこの者とも知れない男に、自分は縋るように滾った物を男の一物に擦り付けたのだ。
「そして再び小康状態となった時に、自分が激化状態であった時の記憶がしっかりと残るそうです。媚薬の効果は性的絶頂を迎えると少しずつ弱まります。ですから調教の際はこの媚薬を何度も利用し、まずは精神的に落として魔妖の矜持を折り、そして最後に今一度媚薬を使い、身体を快楽に落として傀儡にしていくそうです。貴方が使われたのはそんな媚薬です」




