第50話 銀狐、恥ずかしがる 其の一
朝の爽やかな空気を感じ取って、晧はぴくぴくと耳を動かした。どこか頭がぼぉうとしながらも、薄っすらと目を開ける。目蓋がひどく腫れぼったい気がした。それでも何とか目を開ければ、見慣れない天井の木目が視界に入る。
ここはどこだろう。
自分は何をしていたのだろう。
(……そういえば、白霆は……)
まだ目覚め切っていない頭でそんなことを思いながら、晧はいつも通りに身体を寝台から起こそうとした。
だが。
「──痛っ! っ……!」
それは今まで経験したことのない腰の痛みだった。再び敷包布に背中を付けたが、痛みは治まらない。
そして腹の奥の方に感じる疼きにも似た鈍い痛み。
(──ああ……そうだ……っ)
頭の中がはっきりとしてくるにつれて、思い出されるのは昨日の情事だった。
覚えていないのは意識を失った最後ぐらいで、それ以外はしっかりと覚えている。
自分がされたことも、したことも。
不意に脳裏に浮かんだのは、貴方に嫌われたくない怖がられたくないと躊躇っていた白霆に、自ら誘うような言葉を掛けたことだ。
──こいよ……はくてい。
(う、うわあぁぁぁぁぁぁっ!)
鮮明に思い出してしまって、晧は心の中で絶叫した。
痛む腰を我慢しながら、部屋の引き戸に背を向ける。怠い腕を何とか動かして、上掛けを頭からすっぽりと被った。
もしすぐ目の前に卓子があるのなら、頭を打ち付けてあの記憶を消してしまいたい心境に駆られる。
恥ずかしくて堪らないのだ。
だがどんなに自分の記憶を消したとしても、白霆は覚えている。
晧にとってはとても居たたまれない、あの行為と言葉を。
そして昨夜の情事全てを。
彼の本性でもある白竜の熱を、受け止めた後の記憶がなかった。だが身体はとてもさっぱりとしていて、寝台の敷包布も上掛けもさらりとしている。きっと全て白霆が世話をしてくれたのだろう。
(俺の身体……拭いた、のか……!)
彼が晧の身体を拭き清めたのは、これが初めてではない。
それに白霆と情を交わしたのだ。彼が触れなかったところなど、どこにもないと言わんばかりに愛でられたというのに。
だが意識のないところで自分の身体を見られている、触れられている、その状況は情事とはまた別物だろう。恥ずかしくて仕方ない。
一体どんな顔をして白霆を見ればいいのだろう。
晧の心は複雑だった。
いまは羞恥心がいっぱいで会いたくないと思う反面、何故隣にいないのだろうという相反する気持ちが鬩ぎ合う。
(……そういえば)
不意に晧は思い出した。
多分自分は少し前に一度目が覚めている。
うろ覚えなのはきっとまだ半分眠っていたからだ。
白霆の名前を呼ぼうとして、声がすっかり掠れてしまっていた自分に、彼は言った。
──竜形になった時に、卓子にあった水差しを倒して零してしまったようです。新しいの貰ってきますので待っていて下さい。
──ん……待ってる。
──……はい。待ってて下さいね、晧。
そうして額に落とされる接吻の心地良さに、再び眠ってしまったらしい。
この部屋が離れとはいえ、水差しを貰いにいっただけなら白霆はすぐに戻ってくるだろう。
(──どうしよう)
心内の自分の声に、どうもこうもないだろうと自分を叱り付ける。
その須臾。
「……晧?」
すぐ上から降ってきた声に、晧はびくりと身体を震わせた。いつ部屋に入ってきたのだろう。全く気配など感じなかった。自分の妙な姿を見せたのではないかと、晧は頭まですっぽりと覆った上掛けの中で狼狽える。
「どうされたのですか? そのように丸まって。お水持ってきましたよ。喉、乾いたでしょう?」
確かに喉は乾いていて、いますぐにでも水を飲みたかった。声も掠れている。だが水を飲むためには白霆と顔を合わさなくてはならない。何故喉が乾いて声が掠れているのか。彼の顔を見てしまったら、その原因を今よりも鮮明に思い出してしまう。
白霆が持ってきた水を、卓子に置く音が聞こえた。
寝台の軋む音も聞こえてきて、彼が自分のすぐそばに座ったことが気配で伝わってくる。
「もしや……具合が悪い、ですか?」
白霆の熱い手が晧の背中を上掛け越しに、優しく手付きで撫でた。その力加減がとても気持ちがいい。
晧は白霆を見ないように頭と狐耳だけを、上掛けからひょっこりと出した。
そうしてふるふると頭を横に振る。
「そう……良かった。痛みは……ないですか?」
彼の言葉に晧の動きが分かりやすく止まった。
確かに腰は痛かった。腹はまだ何か違和感が残っていたし、鈍い痛みがする。
だが決して不快な痛みではなかった。恥ずかしくて堪らないがこの痛みが昨夜、白霆と想いを交わし情を交わした何よりの証だ。




