第34話 銀狐、縁を思い知る 其の一
それから僅か一刻もしない内に、元気な赤ん坊が生まれた。固唾を呑んで見守っていた村の人々は、大層喜んだ。早速宴会だと、村の広場に集まり始める。そんな最中に霽月の伴侶が村に戻ってきて、皆から祝福を受けながら家の中に入っていった。だが四半時ほどで霽月から皆をもてなせと、家を追い出されたらしい。
晧もまた霽月の伴侶から丁寧に礼を言われ、とんでもない当たり前のことをしたまでだと、ぶんぶんと頭を振った。そうこうしている内に晧の周りには、どんどんと温かい食べ物が並ぶ。
「どうぞたくさんお召し上がり下さい。それにもうすぐ陽も落ちますし、どうぞうちの離れにお泊まり下さい」
その申し出を晧は有り難く受けた。
そうして並んだ食べ物を頂きながらも、晧は時折ちらちらと霽月の家を見る。
白霆はどうしているだろう。
御取り上げは赤ん坊が生まれてからも大変だと聞く。今も霽月の家から出て来ないということは、務めを果たしているのだ。
だが晧の頭の中には、先程の余所余所しくもどこか不機嫌そうだった、白霆の顔が浮かぶ。心の中で自分を誤魔化していたが、あの感情はきっと晧自身に向けられたものだ。
村人と色んな話をしながら美味しい夕餉を食べても、ずっと心の隅で引っ掛かる。
それから約半刻ほどして、霽月の家から付き添っていた女衆のひとりが出てくるのを見た。女性は真っ直ぐに晧に向かって歩いてくる。
女性は言うのだ。
霽月が晧を呼んでいる、と。
女性に案内されて晧は、霽月の休んでいる部屋の前に通された。どうぞと促されて中に入れば、同時に白霆が立ち上がるのが見える。
白霆と声を掛ける前に、先に湯を頂いて離れに行きますと、今まで聞いたこともないような声音で言われて、晧は戸惑った。応えを返すことが出来ないまま、先程の女性に案内されて、家の奥に消えていく背中を見つめる。
「……晧」
霽月に呼ばれて視界を振り切るかのように、晧は部屋の中に入り、彼女の近くに座った。
彼女は身体を起こして、おくるみに巻かれた赤ん坊を抱いている。
「嫉妬深いのも大変だねぇ」
「嫉妬?」
何がだと言わんばかりにきょとんとする晧に、霽月がくすくすと笑った。
「まぁいいさ。話は聞いたよ。『御取り上げ様』を迎えに行ってくれたんだってねぇ。ありがとうね、晧」
「たいしたことない。無事、産まれてよかった。おめでとう霽月」
「ありがとうね。もし良かったら抱いてやってくれるかい?」
「ああ、喜んで」
まだ座っていない首に気を付けながら、晧はおくるみに包まれた赤子を受け取り、そっと抱いた。
赤子は産まれてまだ数刻しか経っていないというのに、しっかりとした重みがある。何よりとても温かい。自分で呼吸をして、気持ち良さそうに眠っている様子を見ていると、可愛いと思うのと同時に、何やら込み上げてくるものがある。
(ああ、やはり……俺は……)
「おや? 慣れてるね? もうちょっと慌てるかと思ったのに」
「里には赤ん坊が生まれると、皆に抱いて貰うしきたりがあるんだ。でも久々だから……実はかなり緊張している」
「そうかい? 絶対私より手慣れてるよ。しかしいいねぇ。産むあんたは手慣れてて、しかも旦那は御取り上げの助手も出来る薬師。言うことないじゃないか」
うんうんと力強く頷く霽月を、晧はやれやれといった感じで首を横に振った。
「だから霽月。俺と白霆はそんな関係じゃない」
「だが好き合っているんだろう?」
「……」
霽月に応えを返すことなく、晧はただ赤子を見つめる。すやすやと眠る赤子は、時々何やらむずかるような仕草を見せていたと思いきや、再び大人しく眠った。それもまた愛らしくて堪らない。
感情は認めたがらないが、本能はずっとずっと訴え続けている。赤子を抱いて、その重みや温かさや特有のいい匂いを感じて、その想いは更に強くなる。
「私が晧を呼んだのは、この子を見せたかったからというのもあるけど、話の続きをする為さ」
「続き……?」
「縁の話さ」
「……っ」
刹那の内に息を詰まらせた。だが腹を括り小さく息をつくと、晧は霽月の腕に赤子を返す。
霽月は抱っこして貰って良かったねぇと、赤子に話しかけながら立ち上がると、赤子用の小さな寝台にそっと寝かせて上掛けを掛けた。
暫くして自分の寝台に戻った彼女は、際に座ると晧を見据える。彼女にしか視えないものを、しっかりと視る為に。
「先祖返りの『力』の所為か、視える縁は『強いもの』に限られるんだけどねぇ。それでもこの縁の糸は、今まで視たものの中のどれよりも強いものだ。それに特別だね」
「とく……べつ?」
「ああ。本来ならこの縁の糸は、お互いを繋ぐだけで終わるんだけどね。この糸には先があって……天に繋がってる」




