第31話 銀狐、助ける 其の二
晧は走り出した。白霆も晧の言葉に敏速に反応して、走り出す。
やがて見えてきたのは、木の幹に身体を預け、苦しげに息をする、まだ若い女性の姿だった。気配と匂いからして、彼女は人と魔妖の混血だろう。
女性は大きなお腹に手を添えて、何かに耐えるように顔をしかめている。
「──大丈夫か!?」
晧は女性のそばに座ると声を掛けた。
「ゆっくり……息を吸って、吐いて下さい。そう、ゆっくりです。落ち着いて」
白霆もまた女性に声を掛ける。女性は白霆に従ってゆっくりと呼吸を繰り返した。やがて痛みが落ち着き、呼吸が整ってきたのを見計らって、白霆が水を差し出す。
こくりと一口飲んだ女性は、自虐的にくつりと笑った。
「……珍しい獣肉が手に入ったんで、どうしても隣村の親兄弟にも食べて貰いたくてねぇ。届けて帰る途中だったのさ。みんなの言うことを聞かずに出掛けてしまったから、罰が当たったんだねぇ。旅の方、恩に切るよ。『愚者の森』を抜けるのなら、是非森の中にあるうちの宿によっておくれ。盛大にもてなすよ」
女性の言葉に、晧と白霆が顔を見合わせる。
「あの宿の女主!?」
晧は驚いて再び彼女を見た。
『愚者の森』の中央で縄張りを勝ち取ったのが、人と魔妖の混血であると噂に聞いた時も驚いた。そして宿で従業者の少女から、主が女性であると聞いて更に驚いた。そしていま、どんな猛者か豪傑かと思っていた女主が目の前にいるのだ。
人は見かけに寄らないという言葉を、見事に体現したような人だと晧は思った。とても線の細い人だったのだ。自分の想像した姿とあまりにも違っていて、これもまた喫驚する。
「おや、私のことを知っているということは、森抜けからの旅人かねぇ、可愛い銀狐のお兄さん」
「か、かわ……! も、森抜けの時に利用させて貰った。従業者の少女が言ってたんだ。主が身重なのに供を付けずに、ひとりで山越えして家に帰ろうとしたから、慌てて止めたって」
「おやおや、あの子だねぇ。……ったくいくら好みの可愛い銀狐のお兄さんだからって人のことを……恥ずかしいったらありゃしない」
「……熊を素手で倒したっていうのも聞いた」
晧の言葉に女主はきょとんとしていたが、途端に豪快に笑い出した。
「ああ、そうさ。最近数が増えてねぇ。宿の近くや、ここの集落の近くまで降りてくる。腕っぷしには自信があるから、ちょっとひと叩き……」
女主がぶんっと腕を振る動作をしようとする。
だが再び痛みに襲われたのだろう。
険しい顔をして息を詰める。
「息、詰めては駄目ですよ。ゆっくり呼吸して下さい。呼吸をして痛みを少しずつ逃がす感じです。そう……上手です」
白霆の言葉に従い、女主がゆっくりと息を吸っては吐いてを繰り返す。
「白霆、女主は大丈夫なのか?」
「痛みの間隔が短いですね。もしかしたらあと数刻かもしれません。女主、貴女の住む集落はこの道の奥ですか?」
こくりと女主が頷く。
「集落の男衆に頼んで、戸板か荷車を出して貰ってきます。あ、申し遅れました。私、紅麗の薬屋『麒澄』で弟子のようなものをしております、薬師の白霆と申します。女主、貴女のお名前を教えて頂いても?」
「……あんたが噂の、あの変わり者の弟子かい。私は霽月だ」
「貴女に似合う、良き名前ですね。では霽月、晧とここでお待ち下さい。晧、頼みましたよ!」
「おう!」
「もしまた痛みが始まったら、声を掛けてあげて下さい。決して息を詰めてはいけません。お腹の赤ん坊に空気が届かなくなりますので。晧も一緒に呼吸してあげて下さいね」
***
道の向こうに消えていく白霆の背中を見送る。何故か自分の元から離れていく姿が寂しく感じるのと同時に、その背中がとても頼もしく思えてくる。今はそんなことを思っている場合じゃないというのに。晧は自分を戒める。
「晧っていったね? 済まないねぇ」
「え? 何がだ?」
「好い人から離しちまって」
晧はきょとんとして霽月を見る。
好い人とは何のことだと言わんばかりに首を傾げた。だがしばらくして、ようやく言葉の意味を理解した晧が、顔を赤らめながら、ぶんぶんと勢い良く首を横に振る。
「違う違う! 全然そんなんじゃねぇから」
「そうかい? 強い縁を感じたけどねぇ」




