第3話 銀狐、替え玉を作る
そうこうしている内に、とても精巧な式が完成した。
一見すると操り人形には思えないほど出来栄えで、体温もあれば受け答えも出来る。作る際の媒体として晧の髪を使った為か、前後の記憶もちゃんと持っていた。
何てすごいんだろう。本当にどうやって作っているんだろう。
晧のへにょっていた銀灰黒の耳が好奇心でぴんと立ち、尾は興奮のあまりぶんぶんと音を立てて揺れている。
式は紫君の『力』が続く限り半永久的に動くらしいが、例外があった。
真竜の加護の働く銀狐の里に入った時点で、式は晧の姿を保てなくなり元の札に戻ってしまうらしい。銀狐一族が持つ加護の方が『力』が上だからというのが理由だった。また同様の理由で、紫君よりも強い『力』を持つ者が式に触れても駄目らしい。
他の真竜の『力』を借りればもっと長持ち出来るけど、そこまでのものはいらないでしょうと紫君は言う。
見透かされているようで何とも言えない気持ちになったが、実際はその通りだった。
自分は次期銀狐の長だ。
今はまだ長が現役でそれはそれは元気だが、いずれは交代の時期が来る。あの気分屋の長のことだ。自分が子を成したら交代するとか言いそうだ。
(……子を成すとか、自分で言ってるし!)
心の中で晧はげんなりとした気持ちになった。比例して銀灰黒の耳が再びへにょっとなる。
『力』が全ての魔妖と真竜の世界は、『力』の強い者に隷属する本能がある。屈服させられると屈辱も感じるが、それ以上に身体の奥にある本能が『力』の強い者に従えることに悦びを感じるのだ。
あの冷たい焔を持った灰銀の目を思い出す。
一目見て分かった。
あれが自分を屈服させ、食らい尽くす雄なのだと。
ぞくりとした粟立つものが、背中を駆け上がってきて、晧はふるりと身を震わせた。恐怖なのかそれとも別の感情なのか、よく分からないものが心の中を占める。
晧はその『よく分からないもの』から逃げたいと思った。
だが逃げて遠いところから、これが何なのか見つめてみたいとも思い始めていた。
式を一度札の状態に戻した紫君は、ふうと息を吹きかける。
すると札は意思を持ったかのように空中でふわりと立ち上がり、紫君にぺこりと頭を下げる。そして茶屋の二層目の格子窓から外へと飛んで行ってしまった。
あのまま晧の泊まっていた宿まで飛んで行って、部屋の中で人形を執ってくれるらしい。それは大変有難かった。護衛に付いてくれている者達に、自分が宿の外に出たのだと気付かれることはない。このまま自分がどこへ旅立とうとも構わないのだ。
「晧なら妖力も強いし一人で大丈夫だと思うけど……心配だからさ。どっち方面に行くのか聞いててもいい?」
紫君の言葉に晧は、しばし考える。
「まだ目的地を決めたわけじゃないけど、南の方へ山越えをしようかと思ってる」
南の山の手前にある愚者の森は庭のようなものだが、実は山越えはまだ数度しか経験がない。一度用意を整えて、じっくりと登ってみたかったのだ。そしてそのまま国境を越えて隣国にも行ってみたい。
そう紫君に伝えれば、彼はにっこりと笑った。
「南かぁ。山に入る手前にある宿でね、すごくおいしい川魚の煮を出してくれるところがあるよ。あと山の中腹にある宿の温泉も気持ちいいからおすすめだよ」
楽しそうに話す紫君に、自然と晧の気持ちが少し上向いてくる。
式を置いていくとはいえ、やはり心のどこかに引っ掛かりのようなものを覚えていた。それは里への裏切りのような気持ちと、幼い時から決まっている許婚である真竜を置いていくような気持ちだ。
だからといって素直に真竜を受け入れられるのかと言えば、また別問題だ。
「だから、『逃げる』んでしょう? 晧」
「……」
「大切なものを見失わなければ、逃げてもいいって僕は思うよ。一度逃げて、自分の心をちゃんと見つめ直すものいいと思う。でも彼らは優しいけれど、特に身の内に入れた者に対する執着は、凄いとしか言い様がないんだ。心が落ち着いたらさ、ちゃんと相手と向き合って話をした方がいいよ、晧。それこそほら、あれ……が怖いとかさ。初めは言いにくいかもしれないけど、でも話をしないと何も生まれないし、お互いに思ってること話さないと、変なところで擦れ違ったりするしね」
紫君の言葉は実体験を伴っているのか、とても重く響いたのだ。