第29話 銀狐、遣らかす
朝の気配がして晧は半分意識を浮上させた。まだ眠いと思うのと同時に、この上掛けの中がひどく心地良くて微睡む。
懐かしい良い匂いがする。とても温かいものに包まれていて気持ち良い。それだけでも堪らないというのに、頭の優しく撫でる感触もまた気持ち良すぎて、晧はそれを掴むと優しく牙を立てた。これ以上気持ち良くさせるなと言わんばかりに、カカカと狐の声で鳴きながら幾度も甘噛みを繰り返す。
どこか骨張った感じのするそれが、牙に触れる感触すらもだんだん気持ち良くなってきて、止めるに止められない。
これは一体何だろう。
そう思った瞬間、意識が急浮上する。
「……ようやくお目覚めですか? 晧」
「──へ?」
くすくすと笑いながらすぐ近くで聞こえる白霆の声に、晧は何が起こったのか分からずに茫然とする。
目の前にあるのは、白霆の温かい手だ。
所々、牙痕がある。
それだけで自分が何をしていたのか一目瞭然だ。
「あ……」
途端に顔が熱くなる。
昨夜、意識の遠いところで懐かしい香りを求めていた所に、隣の寝台から同じ香りがした気がして、思わず恋しいと思ってしまった。それは覚えている。
(まさか……そんな)
「起きてびっくりしましたよ、晧。とても温かい体温を腕の中に感じたもので」
ああ、やはり。どうやら自分は白霆の寝台に、無意識の内に潜り込んだらしい。
「しかもずっと私の手を甘噛みしてくるんですから。そんなに……私の手は好きですか?」
「あ、あ、寝惚けてて……す、すまなかった! 白霆」
妙に恥ずかしくてならなかった。自分を口説くと言った相手の所に、覚えていないとはいえ懐に潜り込むなど、本来の自分なら有り得ないことだ。
晧が慌てて起き上がり、寝台から出ようとした。
だが。
「──っ!」
腕を引っ張られて寝台に引き戻される。
背中が敷包布に付く頃には、晧の身体は白霆によって組み敷かれていた。
「……はくて……?」
「私こそ申し訳ありません、晧。昨日言ったこと、少しだけ撤回させて下さい」
「へ」
「『何もしない』と言ったことを。ほんの少しだけ『何か』しますので」
「は?」
『何か』って何だ……!?
そんなことを思っていると耳輪を柔く食まれて、晧は竦み上がった。じわりと甘く疼くものが背筋を駆け上がってきて、堪らず身を捩る。
「……はくて……!」
接吻が耳輪に落とされて、軽く吸われる音が脳にまで響く気がした。やがて滑りとした熱い舌が耳裏を舐め上げる。
「……ぁ」
晧は咄嗟に縋るように白霆の肩を掴んだ。
途端にふわりと彼から、春の野原の草花のような瑞々しくも甘い匂いがする。
(……この、かおり……たしか……)
本能を刺激するこの香りを、自分は確かに知っていた。
だが答えに辿り着く前に、白霆の悪戯な手が下衣の合わせ目から入り込み、肌に触れる。その手の熱さに、まあるく円を描くように動く指の動きに、思考がままならない。
「……っ……やめ……ろっ、だめ、だ……っ! はくてい……っ!」
これ以上は駄目だ。
身体に熱が灯ってしまう。
白霆に流されてしまう。
それは絶対にあってはならないことなのに。
晧が白霆の身体を押し返そうとすると、彼はくすくすと面白そうに笑いながら、あっさりと晧の上から退いた。そして優しい手付きで晧の身を起こす。
「これ以上はお互い、洒落にならなくなりそうですし。貴方にも嫌われたくないので止めておきます」
身体に感じていた重みが消えて、晧はほっとしたのと同時に、酷く寂しい気分に襲われた。そんな自分があまりにも信じられなくて、愕然としながらも白霆を睨む。
「……だったら最初から……」
「ええ。何もしないつもりだったのですが、貴方が私の腕の中で気持ち良く眠ってらして、しかも私の手を四半刻ほど甘く噛み噛みしてらしたので、つい」
「……っ」
「僥倖でしたが……ちょっとした仕返しです」
「お、起こせばよかっただろう……!」
「そうですねぇ。ですがあまりにも可愛らしかったので、つい」
「か、かわっ……!」
「はい!」
にっこりと幸せと言わんばかりに笑う白霆に、晧は何も言えなくなる。元はと言えば自分が寝惚けて、彼の寝台に潜り込んだのが悪いのだ。
(しかも四半刻も……手を噛んでた)
甘噛みは銀狐一族にとって、一番分かりやすいの愛情表現のひとつだ。それを無意識下とはいえ、白霆に行っていたことが信じられない。
「晧」
呼ばれて自分の思考から我に返れば、白霆が寝台から降りて背伸びをしていた。
そして何事もなかったかのように、朝餉食べにいきましょうと彼が言う。憎らしくもどこか救われたような気分になりながらも、晧は応えを返したのだ。




