第17話 白霆
「……こうも素直にこの姿で反応されてしまうと、やはり妬けますねぇ」
慌てて部屋を出て行く晧を、白霆はくすくすと笑いながら見送った。
危機感を覚えて開けないように、胸元をぎゅっと掴んでいた晧の様子が愛らしくて仕方ない。ぴんと立った後に、へにょっと倒れた銀灰黒の耳など言う間でもなく、思わず接吻を落としてしまった程に愛くるしくて堪らなかった。
しばらくの間、晧の出て行った部屋の引き戸を見つめていた白霆だったが、我に返ったように大きく息をつく。
「……私の香りで気付いたら、ちゃんとお話しようと思っていたのですが……」
どうやら気付いているのは『銀狐としての本能の部分』だけらしい。
だったら尚更だ。
「今の状態のまま姿を見せたら、また……」
また、晧は……怯えたような、以前とは違う瞳を自分に向けるのではないだろうか。
(二度目もそんな目で見られたら、私は耐えられる自信がない)
深く物思いに耽ってしまいそうになるのを、白霆は頭を振って意識を無理矢理現実に引き戻した。
とりあえず今は朝餉のことを、宿の者に伝えに行かなくては。
そう思い一歩足を踏み出そうとした、須臾。
「──っ!」
まるで何かに突かれたかのように、じんと胸が痛んで、白霆は思わず衣着ごと胸部を鷲掴みにした。鋭い痛みはしばらくして鈍痛に変わる。
ようやく動けるようになると息を整えながら、白霆は姿見の前に立ち、左側の衣着を開けさせた。
心の臓の上部に現れていたのは、隠していたはずの竜の片翼のような紅の紋様だった。しかも先日までなかった、対となる翼の角部分がくっきり刻まれている。
白霆は息を呑んだ。
明らかに昨夜のことが関係しているのは明白だ。
(──彼は、気付いたでしょうか)
自身の紋様が変化していることには気付いたはずだ。
何故なら部屋に足を踏み入れた時、晧は確かに姿見を使って自分の身体を見ていたのだから。
(その因果関係を、貴方は……)
白霆は紋様を覆い隠すように手を添えて『力』を込める。すると先程まであった見事な紅の紋様が、初めから何もなかったかのように綺麗に消えた。
再び胸部を鈍い痛みが襲うが、白霆はなんとか遣り過ごす。一時的に紋様を消してしまうことに対する副反応のようなものだ。
(『定め』を一時的になかったものとして逆らっているのだから、当然と言えば当然ですね)
だがいま晧にこの紋様を見られるわけにはいかない。
白霆はいつも持ち歩いている布鞄から、小さな丸薬を取り出して飲み込んだ。気休めの痛み止めだ。
しばらくしてすっと痛みが消える。
身体を動かしても痛みがないことを確かめると、何事もなかったかのように衣着を直した。
もしもまだ晧が気付いていないのならば、しばらくこのままでいたいのだ。
彼がこれからどこへ行くのか。
誰に会いに行くのか、確かめたい。
(そうして出来ることなら)
何故怯えているのか、何故逃げ出したのか、その理由も知りたい。
「晧……私は……」
──ずっと、ずっと……貴方の白竜ですよ、晧。
──晧。
祈るように瞳を閉じて、そんなことを思う。
しばらく思いに耽けていた白霆は、意を決したように目を開けた。
まずは宿の者に、晧の苦手なものを伝えに行かなくては。出来たら晧が湯から上がる頃に、朝餉が部屋に用意出来るよう、手配したい。
白霆は先程まで思い悩んでいたとは思えないほど颯爽と、部屋を出て行ったのだ。