第10話 銀狐、治療される 其の三
「効いてきましたね。このまま媚薬が抜けてくれるといいのですが……もし眠れるようなら、少し眠って下さい」
そう言って白霆が、晧の灰黒の髪を撫でる。
何もかも初めてのはずだ。それなのにこの撫でられる感覚すら懐かしいだなんて、本当に自分はどうかしている。
だが手のあまりの気持ち良さに、奇妙な安堵さに、晧の紫闇の瞳は次第に閉じていったのだ。
***
──どくり。
──どくり。
覚えのある嫌な脈動に、眠っていた晧は目を見開いた。心の蔵の音が先程よりも更に五月蝿くて、しかも早い。吐く息は荒くて、呼吸をするのが苦しかった。
ああ、またか。
そんなことを思う。
薬が効いたのはほんの一時だけだったのか。効力が切れてしまったのか。
「……っ、はぁ……」
息を荒く吐けば、自然と出てきてしまう艶めいた声を、晧は止めることが出来ない。
再び訪れた激化状態は、先程よりも身体が熱かった。
自由に身体を動かすことが出来ないというのに、自然と腰だけが動く。下衣に擦れる様が気持ち良くて、幾度も幾度も繰り返した。だが決定的な快楽を得られないことが、苦しくて堪らない。
ああもっと。
もっと、欲しい。
そういえば白霆はどこにいったのだろう。
あの懐かしくも酷く安心する匂いに包まれたなら、どんなに気持ちいいだろう。
「はく……てい……っ」
喘ぎ声混じりに名前を呼ぶ。
気配のする方向に首を動かせば、白霆は椅子に座り寝台の際に突っ伏して眠っていた。きっと自分の様子を見ながらも、寝てしまったのだろう。
「はぁ……っ、はく……て……」
熱欲の息が荒くて、声が掠れる。意味のない羅列の喘ぎ声ならば沢山吐きだせるというのに、どうして名前とはこうも発音し辛いのか。
彼の薄青色の髪がすぐ近くにある。身体が少しでも動けば、その髪に触れて白霆を起こすことが出来るというのに。
(……ああ、だめだ)
決定打のない吐き出せない熱が、ぐうるりと頭の中を掻き回していく。
快楽が欲しくて堪らない。
法悦を求める頭は煮え滾る様で、晧の理性を次第に奪っていく。
朦朧とする意識の中で、本能が勝ち始めたのか。
先程まで感じることのなかった、白霆の香りを感じた。春の野原に咲く草花のようなそれが、懐かしくて堪らなくて。
「……ちび……」
気付けばそう口に出していた。
何やら寝台の縁で大きな物音がしたと思いきや、先程まで突っ伏して寝ていた白霆が、驚愕の顔で晧を見ている。
何故そんな顔をするのか分からなかった。
それ以上に目の前にいるのが誰なのか、晧にはもう分からない。
白霆なのか。
それとも別の誰かなのか。
ただ懐かしくて堪らない香りに縋るように、陶然とした表情で白霆を見ているのみ。
「……ちび……っ!」
何とか手を動かして、近くにあった白霆の衣着の袖を、晧は必死の思いで掴んだ。
どうか触れて欲しい。
すっかり理性を失ってしまった頭で、そんなことを思う。
白霆が息を詰めたかと思うと、何かを堪えるかのように顔を顰めた。だが刹那の内にそれは嘘のように消える。
寝台に上がった白霆は、軽々と晧の上体を起こした。そして先程と同じように白霆の胸に、背中を預けるような体勢をとったのだ。
「……先程も説明しましたが、あの薬を飲んでも媚薬が抜けない場合、幾度か『激化状態』を繰り返すことになります。それは貴方の心の蔵へのかなりの負担になります。ですので……ある程度熱を発散させなくてはなりません。……貴方のここに触れます。どうか、ご容赦を」
彼の手は巧みだった。
あっという間に追い上げられて、高みへと連れて行かれる。
「……そのままゆっくりと目を閉じて、休んで下さい」
耳元に吹き込まれる優しい声に誘われるように、晧の目蓋が落ちていく。体力の限界だった。今日の短い間に法悦を、幾度も幾度も感じていたのだから。
「そう……ゆっくり。休んで……」
晧、と。
呼ばれた気がした。
(……俺は……いつ……)
彼に名前を教えたのだろう。
いつの間にか名乗っていたのだろうか。
考える意識はぼぉうとしてしまって、全く纏まらない。
彼の、自分の名前の呼ぶあまりの甘い響きと、優しい声にひどく安心してしまって、晧の意識は次第に遠のいていったのだ。