2.深夜の赤いローブの男
国家に重大な影響を与える犯罪者に対する、イグドラム国の刑罰は独特である。
通常なら逮捕直後に、犯人に犯行目的や動機、背景などを本人の口から供述を取って、証拠や事実と照らし合わせる行程がある。
だが、イグドラム国警察機関では、犯人が確定している場合において、この犯人からの事情聴取は行われず、また、その時期や自供内容が、国民に公開されることはない。
一つに、政治思想犯の言葉を拡散しないためである。
どんな理由であれ、犯罪行為を行った結果、その犯人の声や、思想が国内に広まることはなく、事実は警察機関資料とイグドラシルの情報保管庫に収められる。
犯人は、半年から一年、凶悪犯であるならば数年、誰とも会わず独房で過ごさねばならない。
その間、誰とも口を聞くことはない。
「何も話すことはない」と、黙秘を続けていた犯人も、数か月もするうちに、自ら語りたいと懇願をし始める。それほどまでに、周囲に人の気配すら感じさせない監禁は、人の心を脆くする。そうして、漸く取り調べ官の前に連れてこられると、まるで人が変わったように従順に話し出すのだ。
ニトゥリーはそんな犯罪者の聴取に、一人の一般女性のエルフをともなって、取り調べ室に入った。
収監されて半年経ち、華やかな雰囲気を纏った貴族らしい風貌が、もはや見る影もなくなった、第二貴族当主の叔父にあたるティフォン・トーラス。
窶れきった顔には、箒の様に乾いた髪が掛かり、頬骨が浮き上がって落ち窪んだ眼窩を強調し、その眼窩には怯えと許しを請うだけの瞳があった。
ティフォン・トーラスは、エルフ至上主義を掲げ、混血が進む民族を淘汰して、純血だけの国家を築こうという、誇大妄想に憑かれていた。
トーラス家が管理を許された国の宝である「大風の書」を国外に持ち出し、ガルトマーン王国の火山群の噴煙に干渉し、イグドラム国を、陽の射さない不毛な大地へと変えようと策動したため、捕らえられた。
この件に関して、ティフォンを犯罪に駆り立てた黒幕がいるというのは、この男の行動や所持していた武器などから推測された。
何者かがティフォンの口を封じに来るのではという懸念もあったが、この半年、ティフォンは無事であった。
たとえ、ティフォンが口封じで殺害されても、真相を解明する上で、警察の捜査にはそれほどの痛手にはならない。
何故なら、第八貴族のスコーピオ家は、死者から情報を引き出すことが出来る魔術を持っているからだ。
つまり、イグドラム国において迷宮入りになる殺人事件は非常に少ない。
死者から犯人を聞き出せばいいのだから。
ニトゥリーが国家安全局の犯罪未然対策課と兼務して室長を務める、警察機関だけでの捜査が難しい事案などに対処する「特殊事案調査室」の中にも、第八貴族の者が居る。
特殊事案調査室のメンバーのほとんどが、別の部署との兼務である。
このメンバーの一人、フォグ・スコーピオは、殺人や強盗などの凶悪犯罪を捜査する、刑事局の凶悪犯罪対策課に在籍しているベテラン刑事で、死者が出た際に駆り出され、死者の声を聞く役割を担う。王宮に勤めるイグドラム国第四位の宮廷魔導士サルビア・スコーピオ、王宮騎士のライフ・スコーピオ兄妹の叔父にあたるエルフだ。
ニトゥリーは今、弟のソゴゥ達の手によって捕らえられ、収監されていた第二貴族のティフォン・トーラスの供述を聞き、そしてかなり飽きていた。
ティフォンは十年前、ノディマー家の五人兄弟の内の三人が、ガルトマーン王国のスパルナ族に誘拐された事件にも関与していた。
ティフォンは当時、イグドラシルの大司書であったヒャッカを崇拝し、ストーカーの様に付け回しており、ヒャッカがカデン・ノディマー伯爵と恋仲にあることを知った。
当のヒャッカは、そのカデンとの間に子供が出来る度に、イグドラシルから姿を晦まし、当時の司書長であったジャカランダに連れ戻されていた。
ティフォンはカデン・ノディマーという、地方の貧乏貴族にヒャッカを取られた挙句、子供がいることに衝撃を受けた。
ティフォンは、その子供達が預けられている園を突き止め、この子供達を排除しようと試みた。歴代の大司書の子供たちが皆そうであったように、ヒャッカの子供達も、膨大な魔力を持つという情報を、魔獣への生贄を欲しがっていたスパルナ族に流したのだ。
ヒャッカの子供たちの預けられた、児童養護施設「高貴なる子らの園」には、イグドラム国第二位の魔導士オスティオス園長を筆頭に、園を守る強者揃いの教師たちが揃っている。
そこでティフォンは、ある男から譲り受けた、クレモンの苗木から採れたその実を、スパルナ族に渡した。このクレモンという植物は、まるでエルフだけを無力化するためにあるような植物だった。エルフの国であるイグドラムでは、クレモンの栽培や国内への持ち込みが禁止されていた。実も、種も、その植物がどの状態でも決して持ち込みがされないよう、国境では徹底した取り締まりが行われていたのだ。
その後、この誘拐が失敗に終わり、十年の歳月を経た半年前に、今度はティフォン自身が第二貴族が所有するトーラス家の貴族書の国外持ち出しを犯した。
ティフォンの目的は、ガルトマーン王国の火山地帯。その時にもまた、ある男からガルトマーン王国の有翼人に有効な武器を譲り受けたと言う。
そこまでティフォンが話したところで、ニトゥリーがようやく口を開いた。
「クレモンや武器をあんたに渡したのは、一体どこの誰や」
ティフォンは、目の前の担当官を見る。
プラチナの髪に、アメジストの瞳。
カデン・ノディマーの血を思わせる色彩だが、カデンほど凶悪な人相はしてはいない。
だが眼光は鋭く、こちらを見据えていた。
「覚えていない」
「ほう、無理矢理うたわされるんが好みか?」
声は静かだが、高温の怒りを感じる。
ニトゥリーの隣にいた藤色の髪に、桃色と藤色のオッドアイのエルフの細い指が、ニトゥリーの腕にそっと置かれる。
こちらのエルフの眼差しにも、深く解けることのない冷たい怒りがあった。
どちらにしても、ティフォンを敵として見ていることに変わりはなかった。
「王宮に登城した際にそこで会った男だが、本当に覚えていないのだ」
ティフォンは、慌ててそう答える。
「髪は、目は、背は、体格は、声は、何か特徴はないんか?エルフか、魔族か、人間か?」
「人間?そんなわけないだろう、この私が下等な人間と口をきくなど」
「ああ?」
ニトゥリーが低く唸るような声を出して、睨みつけてくると同時に、室内に紫色の霧のような凶悪な魔力が充満した。
一気に体が重く、息がし難くなった。
「いや、当時の私の話だ!今は、ない!そういう考えは改めるようにする」
「その男は、エルフだったってことやな?」
「王宮に出入りしているのだから、たぶんその確率が高いだろうが、それすらわからんのだよ。思い出そうとすると、顔が無くなるのだ」
ティフォンの言葉は真実なのだろう、ジキタリスは思った。
ジキタリスもまた、自分を王宮から攫った相手の顔を思い出そうとすると、ティフォンが言った通り顔が無くなってしまうからだ。
「私が見てもいいかしら?」
「こんな奴の記憶を、貴女に見せとうないがのう」
ジキタリスの周りは、清涼な空気に満たされている。
「覚悟はしておりますわ」
「ソゴゥが何て言うかのう。俺が無能呼ばわりされるんが、容易に想像つくわ」
「私が率先して知りたがったと、そう伝えますから、どうか」
ニトゥリーは渋々頷き、ティフォンの背中で拘束していた両腕を解き、目の前のテーブルの上に両腕を乗せさせると、持ち上がることがないようにテーブルに固定した。
ティフォンは、ニトゥリーに両腕を切り落とされるのではとひやひやしながら、その顔色を窺って汗を流していた。
ジキタリスは、母であるカルミアの「他人の記憶を見る能力」を封じてあるカルミアの指輪を嵌めた手で、テーブルの上に固定されたティフォンの腕に触れた。
やがて、ジキタリスは頭を振り、落胆のため息を吐いた。
「本当に、顔がありませんでしたわ。私の時と一緒です。ですが、私の時は男か、女か、エルフか魔族かもわからなかったのですが、彼の記憶からは、分かったことがあります。その者は、エルフの耳を持ち、首の太さから推測すると男の方のようです。魔法で姿を変えていればそれまでですが、その能力がないからこそ、このエルフの男と思しき者は、自分を記憶から消す魔術を用いているように思いますわ」
「エルフの男か」
「赤い服を着ていた気がする」
ティフォンが呟いた。
「その男を思い出そうとすると、赤い服を着ているイメージが湧くのだ」
「赤と言えば、王宮の騎士様や、イグドラシルの高位の司書様方ですわね」
イグドラシルのレベル5やレベル6の司書は、暗赤色の司書服を身に纏っていた。
ただし、初代の大司書と、レベル7のソゴゥのみ、深緑色の最高位の司書服を着ることを許されている。
「そのイメージすらも、相手に植え付けられた罠かも知れんがのう」
ニトゥリーは、ジキタリスの誘拐犯と、このティフォンを焚き付けた男は同一であると考えた。そうなると、この男は少なくとも、ジキタリスが誘拐された六十年前から、最近まで王宮に出入りしていた、あるいは、今もまだ王宮に出入りしている、エルフの男という事になる。
王宮に出入りが出来、貴族に接触してくる者。
王宮に匿われていた大司書の娘であるジキタリスを、連れ出すことのできた者。
ニトゥリーは、王宮との連携の必要性を感じた。
イグドラム国立図書館にて、空中国家の王にして竜神のスラジ・ラードーン王と、イグドラム国王の第三子である王女リンドレイアナとの結婚披露宴が行われた際、スラジ王がどうしても世界樹に会わせて欲しいとソゴゥに頼んできた。
ソゴゥは樹精獣たちにスラジ王を世界樹に会わせて良いか尋ねると、樹精獣たちは何の躊躇いもなく、スラジ王を世界樹の元に案内した。
世界樹は樹齢千年にもなるのに、通常の樹木の二十年ほどの若木の姿をしているため、司書や樹精獣たち以外には、まずその木が世界樹だとは分からない。
星の創生より在った、天を突き大陸を覆うような立派な大樹であった幹は、千年前に、惑星外から飛来し地中を巡っていた「太歳」という魔獣を根に捕らえた際に、枯れて倒壊してしまっている。
太歳はこの地球型惑星の様な、惑星の中核にある金属などが熱によって流動することにより、「磁場」を持つ惑星に寄生し、生物を死滅させ、コアからエネルギーを搾取して惑星の寿命を早める、星の死神の様な存在だった。
世界樹は、倒壊した根の一部から新芽を出して、これを守る役割を初代の大司書である、精霊の力を持つエルフに与えた。
それ以前の世界樹も、エルフや有翼人の拠り所となっていたが、千年前を境に役割が大きく変容し、世界樹の知識は、図書館という形で継承されることとなった。
スラジ王は、樹精獣とソゴゥ達について行き、イグドラシル周辺の公園となっている森林の奥にある一般立ち入り禁止区域である、イグドラシルの裏庭に案内された。
樹精獣たちに知らされるまでもなく、竜神王は世界樹である木を悟り、その前に跪いて、神の庭と、神樹を守ってくれたことに対する礼を述べた。
そんなスラジ王周辺に樹精獣たちが、ワラワラと集まって来る。
キュッ、ジュエエ。
「うぬ、まあよいだろう」
スラジ王にも、樹精獣たちの言葉が分かるようで、ジェームスのリクエストの通り、竜神である本来の姿となった。
金色の巨大な竜の姿となったスラジ王の背に、樹精獣たちが次々と飛び乗っていく。
竜の背を縦横無尽に走り回る樹精獣たちは、角や髭や翼、尻尾や爪などを念入りに調べている。そんな彼らの行動を見て、ソゴゥはピンときた。
ジェームスたち樹精獣は、図書館仕えの悪魔であるヨルのカスタマイズに余念がない。竜の躰を調べ、ヨルの身体強化に役立つアイテムがないかを探しているのだ。
このまま放っておいたら、角の一本も削り出しかねない。
「ジェームス、スミス、オレグ、ナタリー、降りて来なさい!」
ソゴゥが声を張り上げる。
ヨルがすでに、小さな樹精獣のハリーとソルトとイーサンを回収している。
くすぐったかったのか、スラジ王が体をフルルっと、濡れた犬が水を切るように左右に動かすと、ジェームス達が蚤のようにピンピンっと弾かれて宙に放り出された。
ソゴゥとヨルが慌てて、樹精獣達を空中でキャッチする。
樹精獣達は楽しかったのか、ソゴゥ達の焦りとは裏腹に大喜びしている。
「すまぬ、くすぐったかった」とスラジ王が謝る。
「いえ、大丈夫です。喜んでいるようですし。スラジ王、今のうちに人型に戻ってください。このままですと、身ぐるみを剥されかねないですから」
ジェームス達も、流血なしに剥ぎ取れるパーツが無い事に断念した様子で、竜神王から何かを貰う事は諦めたようだった。
人の姿になったスラジ王が、イグドラシルの裏庭を歩きながら、オレンジの実を付けた木々を指して「あの実の名は何というのだ?」と尋ねる。
「あれは、クレモンと言います。かつてはエルフにとって有害な植物でしたが、今は無毒化に成功して、実も安全に食べることが出来るようになりました」
「ランカ島からの避難民が献上して来た実と似ている。天空帝国のラサでは、あの実のなる木を積極的に栽培していたと言っておったが、次元も異なる故、同じものかは定かではない。しかし、エルフに有害というのであれば、余の妻にとっても、毒となる可能性があると言う事か」
思案顔のスラジ王の横で、ソゴゥは、リンドレイアナ姫は既にエルフから竜となっているので、クレモンの原種には中てられないのではないかと思った。
「ランカ島から持ち込まれた実の廃棄と、栽培を禁止せねばなるまい」
「でしたら、あの木の枝を持って行ってください。栽培を禁止するより、あの無毒な枝を有毒な木に接木して広める方が、有毒株の抹消に繋がります。あの木の枝は、原種に接ぎ木すると、無毒な実を付けるだけでなく、根幹も無毒化できるのです」
ソゴゥが自慢気に話す横で、樹精獣たちもドヤ顔で胸を反らしている。
通常、根や幹が有毒株であれば、接ぎ木した枝側が無毒でも毒の影響を受けるが、ソゴゥが十年近くを費やして農家の協力の元生み出した品種は、接ぎ木した根や幹全てを変質させて無毒化するワクチンのような株なのだった。
スミスがクレモンの木の枝を、スラジ王に渡す。
「ニャッ、キュニエ(結婚祝いでございます)」とジェームスが言う。
「ああ、有難い。早速神の庭に植えて増やし、有毒株を見つけた際はこれを接ぎ木しよう」
「ところでスラジ王、随分申し伝えるのが遅れましたが、太陽の石は、実は私がお預かりしておりました。持ち帰られますか?」
国立美術館から盗み出した事を伏せて、ソゴゥがしれっと言う。
「ああ、やはり魔族に盗まれてはいなかったのだな。良かった」
「魔族が盗んだのは、偽物です。スラジ王の真意が分からなかったもので、失礼を承知で預からせていただいておりました」
「いや、よい、安心した。アレは貴重な物だ、それこそ何万年とかけて結晶化した惑星の歴史と言ってもよい。だが、悪用された時の事を考えると、我が国にも、イグドラム国や、人々の暮らすどの国においても、あれは不要のものと、今回そう考えさせられた。邪神の宝物庫から、神殺しの武器が盗まれたことが、今回の神の庭に甚大な被害を与えた。ならば、何処にしまっても、魔族に盗まれる危険をはらむ。あれは、砕いてしまった方が良いだろう」
樹精獣たちがスラジ王とソゴゥの会話を聞いて、俄かに騒ぎ出す。
ジェームスが、ヨルを召喚する赤い魔導書をどこからともなく取り出し、スミスとオレグが、いかにも宝が入っていそうな箱を二頭で抱えて持って来ると、スラジ王とソゴゥの前に置いた。
樹精獣たちは、イグドラシル内であれば、何処へでも瞬時に行って戻って来られるため、その太陽の石の入っている箱を、二頭が第七区画に取りに行ってきたのだ。
キュッ、キュッ、キュッ、キューエー。
「壊すのなら、太陽の石をください、とは。しかし、今話していた通り、魔族の手に渡らないようにするには、やはり壊すしかないのだが」
キュニエフ、ニャウ・・・・・・。
オレグが、ジェームスの持つ魔導書を前脚で指しながら、長々と訴える。
「ヨルの強化パーツとして、魔導書に取り込んだら、魔族に盗まれる危険がなくなるとな。ヨルとは、悪魔殿のことか」
スラジ王がヨルに目を向ける。
「なるほど。けれど、太陽の石をヨルの強化に使って、何か意味があるの?俺、ヨルの体が昼夜問わず、こんなに光り輝いていたら、イグドラシルで一緒にやっていける気がしない」
「我もそれは困る」
スミスが、オレグの言葉を継いで説明するところによると、太陽の石を取り込めば、ヨルの魔術にレパートリーが増えるとの事だった。
「樹精獣の方々がそういうのであれば、余に否やはない」
キュエッ!キュエッ!
ジェームス達は喜んで、早速石を魔導書の開いたページにギュッギュッと押し込んだ。
明らかに魔導書の方が小さいのに、石が一度詰まってから、小刻みに振動した後に吸い込まれるように魔導書の中へと消えた。
魔導書を覗き込んでいたヨルの体が、黄金色に光り、スラジ王とソゴゥがビクッとしてヨルに目を向けると、光は直ぐにヨルの中に収束していった。
「どうだ、強くなったように感じるか?」
スラジ王の問に、ヨルは人社会において、ソゴゥから気を遣う事の大切さを学び、大切にして来た石を貰っておいて、「良く分からない」と答えるのに忍びなく「何かこう、そんな気がする」とヨルなりに精一杯の言葉を選んで答えた。
ソゴゥは腕で自身の口元を覆い、少し漏れてしまった笑い声を押さえ込む。
小さな樹精獣たちが、ヨルの足に寄りかかるように前脚を付いたり、ポンポンと叩いたりしてヨルを見上げ「成長したな」と言っている。
また、ジェームスもヨルに「最初に会った時は、自分たちのことを狸だとか、茶色いケダモノだとか言っていた悪魔が、相手を慮るようになったことを私は嬉しく思う」と、補導した非行少年が、数年後に更生して立派にな社会人となった姿を見た喜びを噛みしめる補導員のような事を言うのを聞いて、ソゴゥはグフッと我慢しきれずに吹き出した。
「楽しそうですね、お久しぶりです星の使徒よ」
スラジ王に緊張がはしる。
ソゴゥも身内とスラジ王以外の第三者の声に、険しい目を向ける。
直ぐにその正体が知っている者と分かり、更に理由も察して目を細めた。
「まったく、何処から聞きつけたんだよ」
「イグドラム国の王女が竜神王とご結婚なさると聞いて、これはもう是非竜神にお会いしたいと思い、急いでやって参りましたが、人型でしたか」
スラジ王が、突然現れた黒髪金目の悪魔を見て「其方は何者か」と尋ねる。
「失礼いたしました。私は、竜種を観察することを生甲斐とした、こちらの星の神子と縁ある悪魔でございます」
悪魔はいかにもな、取り澄ました笑みを口元に浮かべる。
「そちらのヨル殿と同様に、どの邪神の系統にも属さない『外』からの存在でございますので、魔族とも一線を画しております、ご安心ください」
ソゴゥは、結婚式と聞いて礼服を着て現れた悪魔に、そうまでして竜を見たいのかと呆れつつも、竜は確かにカッコいいと、これまで会った海王や、金剛、そして竜の姿の竜神王を思い出していた。
「この悪魔は、私にとっては恩のある悪魔ですが、それほどよく知っているわけではありません。以前、関わった際の願いの代償は、竜に会わせる事でした」
「聖隷、貴方が私と契約をすれば、代償など不要でお役に立てるのです。そろそろ、そちらのヨル殿だけでは、御身をお守りするのに足りないと感じていらっしゃるのではございませんか?」
ソゴゥはしゃがみ込み、樹精獣たちと目を合わせると「どう思う?」と尋ねた。
ソゴゥ達が相談をはじめた側で、金目の悪魔はスラジ王に「竜の姿にはなられないのでしょうか?」と尋ねる。
スラジ王は目を眇め「余に何か得があるか?」と意地悪そうに答える。
ヨルが、悪魔に「この後開催される、空中国家での披露宴について行ってはどうか?姫も番い、新たに竜となった。どうせなら、二人そろった竜の姿を見た方がよいであろう?」と提案する。
「それは素晴らしい!是非とも、拝見させていただきたい」
「ヨル殿」とスラジ王は毒気を抜かれたように、名を呼ぶ。
「スラジ王、空中国家での披露宴に際し、この悪魔に護衛を任せてはどうであるか?聞けば、隣の帝国は油断ならない皇帝がおるようであるし、保険と思って側に置いておくとよいであろう。この悪魔は、竜には決して危害を加えぬ」
「私の存在に掛けて誓いましょう、私は竜を愛する悪魔です。竜に仇なすものは排除してご覧に入れましょう」
ソゴゥは徐に立ち上がり「いいんじゃないですか、その悪魔に『竜の姿を見せる』ことを引き換えに、披露宴の護衛をしてもらうというのは」と助言する。
「代償が立てば、私はそれまで自身の創った世界へ戻らずとも、こちらの世界に身を置けますので、是非に」
「なら、ただで拝ませるより、その方がよさそうだ。当然我が民に危険が及ぶようなときも、率先して危険の排除に役立ってもらうが、よいか?」
「フフフ、竜神王、百の竜の能力を受け継ぐ竜の中の竜よ、ご期待に応えましょう、ところで」と悪魔がソゴゥに顔を向ける。
「この任が、無事叶いましたら、私との契約を再考ください」
「わかった」
ソゴゥは請け合った。
エルフの寿命は果てしなく長い。
戦争のない時代であれば、その長い天寿を全うすることが多いが、事故や災害、魔獣、それに、病気などで亡くなる場合もある。
宿主のDNAを書き換え、ヒトゲノムに組み込まれるウイルスなどは、高等治癒魔法でも治癒しない事がある。健常なものか、ウイルスにより変容した細胞か判断できず、毒のように取り除くことが出来ないためである。
イグドラム国の大病院では、魔法治癒と物理医療が組み合わさった治療法が取り入れられている。そんな先端医療を行うセイヴの国立病院でも、零れ落ちる命はある。
アイリスは夫の死を受け入れられず、担当の医師に思いつく暴言を吐き、酒浸りの日々を送っていた。
酒が切れ、床に瓶を転がして、天上を見上げる。
蘇るのは、夫の安らかな寝顔だった。
医療ミスなどではない事は分かっていた。夫のニゲラは既に三百歳を超え、魔力が減衰しており、最善の施術であっても、それを受ける体力がなかったのだ。
アイリスも三百を超えたエルフなため、そろそろ星の循環に帰することは、むしろ楽しみでさえあった。だが、いざ夫のニゲラに先立たれると、寂しくて、寂しくて、どうにもやるせないのだった。
エルフの精神が成熟期と若年期を行き来する性質上、この若年期にあって夫に先立たれたこともまた、アイリスの精神に負担を掛けた要因でもあった。
アイリスは床に転がる酒瓶を蹴って、裸足のまま、酒を求めて家の外へと出ると、街へと向かった。アイリスの家は、セイヴの中心街から少し外れたところにある。
街路樹の灯の下、真っ黒な川の上に架かる橋を渡ると、そこに佇む人影を見た。
背が高く、赤いローブを頭からかぶった、おそらく男と思われる者。
普段なら警戒心から、来た道を戻って逃げるところだが、酔って気が大きくなっていたアイリスは、そのまま橋を渡って、男の元に近づく。すると、赤いローブの男は、アイリスの気配を察してか、掻き消えるようにその場を去って行った。
男のいた場所には、青白い人型の光が浮かび上がっていた。
アイリスは、それが何かを確かめるために近づき、橋の上に佇んでいる茫洋とした目の青白い男の姿をじっくりと見つめた。
「あなた・・・・・・」
それは、まさしく亡くなった夫ニゲラだった。
ニトゥリーはティフォン・トーラスの聴取の後、特殊事案調査室のメンバーである、フォグ・スコーピオと共に、妙な幽霊騒ぎに駆り出されていた。
ニトゥリーが幽霊に会うのは初めてだが、フォグは、今日で六人目となる。これまでフォグは、別の調査室のメンバーを伴って、調査に赴いていた。
時刻は深夜零時を回り、蓄光性の街路樹の灯も薄くなってきている。
月も星も雲に隠れた濃い夜闇の中、街外れの通りに、青白い女性の姿が浮かび上がっている。
幽霊が現れるようになって六日。毎日、一体ずつ増えていく彼らに、死者の声を聞くことが出来るフォグが、声を掛ける。
「お嬢さん、何故そんなところに立っていらっしゃるんで?」
フォグは相手の年齢関係なく、女性には「お嬢さん」と話しかける。
青白い光は揺らめきながら、フォグの声に反応して瞳をこちらに向ける。
『この場所から、動けないのよ』
「それは難儀ですねえ、どうしても動けやせんか?」
『ええ、どうにもできないの。困ったわ』
女性の話す姿は見えるが、その声をニトゥリーは聞き取ることが出来ない。
「どういうわけで、ここへ来たか覚えておいでで?」とフォグが尋ねる。
『私は、先日病院で家族に看取られたのよ、皆に囲まれて幸せな門出だったわ。でもねえ、気が付くと、この場所にいたのよ』
今回の幽霊もまた、事件性のない寿命と思しき亡くなり方で、本人も自分の死に疑問を持っているわけではないようだ。だが、どうして自分がその場所に佇んでいるのかは、心当たりがないと言い、これまでの他の幽霊の言葉と共通している。
「亡くなった後、誰かに会いやしませんでしたか?」
『そうねえ、そう言えば、赤いローブを着た方が、私の近くにいたわ』
「ははあ、赤いローブの者ですか」とフォグが自分の顎を撫でる。
「赤いローブ」というフォグの言葉を聞いて、ニトゥリーが口を挟む。
「そいつは、何をやっとった?顔は見たんか?」
フォグがニトゥリーの言葉を、女性に伝える。
『顔は思い出せないわ、赤いローブに隠れていたの。それに、気が付いたら、いなくなっていたわ』
「そうですかい、ありがとうございます」
フォグは幽霊の女性にお礼を言い、ニトゥリーとその場を離れた。
「やはり幽霊は、『死者の日』まで放っておくんか?」
ニトゥリーは、出現した幽霊がそのままなのが気掛かりで、フォグに尋ねた。
「死者の日が近いってえのは、好都合なんですよ。年に二度ある惑星のエネルギーの満ち引きにより、生者の世界であるこの現し世に留まる、死者のエネルギーは、この日に隠府へと引かれていきますから。彼らもまた通常の循環で戻れなかった隠府へ、惑星の満ち引きの力を借りて戻ることが出来るんですわ。こういうのは、術者が無理矢理送るより、自然に任せるのが一番なんですぜ」
「そう言うもんなんかのう」
「それに、彼らの隠府送りをアテの祖母に頼んだら、屋敷を売らないとならないような、高額な報酬を要求されますんで」
「他に魂還し出来るもんはおらんのか?」
「そう言えば、第一貴族のエリース家に、魔族との戦争時に亡くなって循環に乗ることが出来ず蟠っていた多くの戦死者達を、全て隠府へ送ったっていう大魔術師がおられるとか聞きますがねえ」
「その大魔術師殿は、ご存命かのう?」
「さあ」
「おい」
ニトゥリーよりも大先輩であるフォグは、悪びれた様子もなく、肩を竦めて見せる。
「しかしあれですね、こう毎日新しい幽霊が出没するのは気が滅入りやすね」
「そうだな、まあ、殺されたんではないんが救いよ、一体何が起こっておるんかのう」
「皆が目撃している、赤いローブの男ってえのは、何者なんでしょうかねえ。アテはねえ室長、この男はかなり良くない事を企んでいると思いますよ。出没場所を割り出して、早々に身柄を拘束しないと、取り返しのつかない事が起こる予感がしますぜ」
ベテラン刑事であり、さらに勘働きの鋭いスコーピオ家のフォグの言葉に、ニトゥリーは捜査体制の強化を決意した。
王宮では、魔族の炙り出しに力が入れられていた。
第二王子であるロブスタスの指揮のもと、王宮に常駐する者や、王宮に出入りする全ての者の調査が行われた。調査の内容は、精神支配を受けていないか、身元に不審な点がないか、太陽の石が王宮に持ち込まれた前後に、いつもと違う場所に立ち入ったりしていないか、行動に不審な点がなかったかなどである。
王族、常駐の騎士や魔導士、施設職員はもちろん、出入りの業者や、登城する貴族全ての調査が終わるのに三カ月が掛かっていた。
また、城内に不審な物が置かれていないか、広大な敷地全てを細分化しブロックに分けて調査日を知らせず、抜き打ちで実施した。
ゼフィランサス王が過去にも行っていたが、今回の徹底した調査でも、やはり魔族に繋がる事柄は発見されずに終わった。
何か見落としがあるはずだと、調査方法について再検討をすべくロブスタスはイグドラシルへ相談に訪れる頻度が増えていた。
この第二王子の訪問には、レベル5の司書達が対応していた。
冬も目前のこの時期、帰省していたソゴゥは国立病院に入院することになり、国立図書館であるイグドラシルを不在にしていたのだった。