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1.世界はこんなに広いのに

音楽を聴きながら、河原の道を歩いていた。

このご時世、野良猫への餌やりは風当たりが強い。

偽善や自己満足と言われても仕方ないことは承知している。

けれど空腹で生きたいと鳴く声を、どうしても素通りできない。

自分の小遣いを餌代に変え、欲しいゲーム機や音楽プレーヤーは兄達の物を拝借している。

イヤホンからは夕暮れの情緒をぶち壊す、喧しい音楽が鳴り響いている。

突然、耳に激痛がはしった。

「痛ってぇ!」

耳朶を抓るような痛みに、思わず声が出る。

長時間のイヤホンの装着で、静電気でも起きたのかと、イヤホンを外す。

その途端、虫の羽音がして、耳を咄嗟に手で払った。

何かが手に当たって、地面に叩きつけられる。

見ると、『何するのよ』と言わんばかりに、嫋やかな女子の如き横座りをしてこちらを見上げるカナブンと目があった。

いや、『何するのよ』はこっちのセリフだからな!

なんで、俺の耳朶にと止まるんだよ!

そこら中に木が生えているというのに、どうして、歩いていている人間の耳に止まる必要があるんだ。

心の中で、カナブンに文句を言いつつ道を行く。

俺はどうも虫に好かれる質だ。

あれは、三才か四才くらいの頃、家の玄関の内側に巨大な蜘蛛がいたことがあった。

あの当時は、今ほど虫が苦手ではなかった。

兄達はその蜘蛛を見て「これはタランチュラだ!」と言った。

「たらッちゅらッてな~に~?」

「素剛、気を付けろ!タランチュラに噛まれたら毒で死んじゃうんだ!」

「ええ!」

伊世但が俺を脅かし、淀波志が俺の腕を引いて蜘蛛から引き離そうとする。

ウゾウゾと動く蜘蛛の動き、その肢の長さ、見たことのない形状、そして噛まれると死ぬという情報が相俟って、これは「怖いもの」だと、インプットされた瞬間だった。

三人で急いで、玄関の沓脱に蜘蛛がいることを母さんに知らせる。母さんが掃除機を持って駆け付けると、蜘蛛は忽然と姿を消していた。

その夜、淀波志を起して二階の子供部屋からトイレについて来てもらい、階段を降りていると、パジャマの肩のところにポスリと軽い衝撃があった。

見ると、昼間逃げた大きな蜘蛛が肩に乗っかっていた。

家じゅうの人間を瞬時に叩き起こす絶叫を上げ、父さんにキレられつつ蜘蛛を取ってもらった。淀波志は何の役にも立たなかった。

またある夜、二階の子供部屋の窓を外からノックする音がした。

「ここ二階なのに・・・・・・」と言って、淀波志がその場で凍り付いた。

俺は淀波志を押しのけカーテンを開き、窓の外に誰かいるのか確かめる。

暗い窓に自分の顔が映っていて、外がよく分からなかったから、窓のカギを外してガラガラと開けると、その途端、羽音がして額に何かが激突した。

あまりの衝撃に「ギャアッ!」と叫んで仰向けに倒れると、隣の部屋から駆け付けて来た仁酉と光輿が「カブトだ!」「おお、カブトムシだ!」とはしゃぎ出す。

窓に音をたててぶつかっていたのはカブトムシで、窓を開けた途端、俺の額にクリティカルヒットしたのだ。はやり、淀波志は何の役にも立たなかった。

極めつけは、日が暮れて暗い雑木林の横の道を歩いていた時だ。

雑木林の方から、僅かな外灯に映し出された黒い虫の影が、こちらに向かって飛んで来た。

咄嗟にしゃがんで避けた。一瞬だったが、見えたその形状から、カナブンだろうと思った。

しゃがんで、虫の羽音がしないか確認し、徐に立ち上がると、今度は、頭を左右に振りながら歩く。すれ違う人がいたら、明らかに不審者と思われただろう。

俺には確信に近い、恐怖があった。

恐らく、カナブンは俺の髪の毛に止まっている。

杞憂であればいいが、そうでない場合を考え、振り払おうと頭を振っているのだ。

家へ駆け込むと、廊下にいた淀波志を捕まえて、洗面所に連れ込む。

鏡を見て虫がついていないか確認するが、後頭部まではどうにも見えない。

「ヨド、俺の頭にカナブンついてない?」

連れて来た淀波志に、俺の頭を確認させる。

「カナブンって、何処で遊んでいたんだ?」

「雑木林の横の道を通っていたら、飛んで来たのが見えたんだよ」

「だからって、頭につくか?」と言いながら、淀波志が俺の髪の毛を確認して、無言で後退った。

「おい、いたのか?カナブン」

「いるけど、カナブンじゃない!」

「噓だろ!カナブンだよ、カナブンだったし!取ってくれ!」

「いや、無理!」

「カナブンだよ?あんな小さな虫とれるだろ?」

「カナブンじゃないんだって!!」

「じゃあ何だよ、何がついているんだよ!」

悲鳴に近い声を上げる俺に、淀波志は「知らない虫だ」と答える。

「カミキリ虫か?玉虫か?なあ、よく見ろ、知らない虫ってことはないだろ?まさかGじゃないよな!」

「いや、どれでもない」

「取れって!おい、取れってば!」

騒いでいる俺たちに、父さんが来て「何をやっているんだ、お前たち」と声を掛ける。

「父さん!俺の髪についた虫取って!」

「え?虫?カメムシだったらヤだぞ、ご飯前だからな」と言いながら、俺の髪を見て、父さんが後退る。

「何だこれ?何の虫だ、デカいぞ」

「カナブンだもん」

「カナブンじゃないな、ちょっとティッシュ持って来るから待っていろ」

「素手で取ってよ!今すぐ!」

「痛いのか?」

俺が首を振ると「じっとしてろ」とおっかない事を言って、父さんがティッシュを取りに出て行く。

その間、俺はオロオロしている淀波志を睨みつけていた。

虫を取ってくれないなら、もうお前に用はない。言外に訴える。

淀波志は手を伸ばしては、引っ込めを繰り返し、結局父さんが虫を取ってくれた。

二人は虫の知識が乏しいだけで、ティッシュに包まれた虫を見せられて、俺は直ぐにそれが何だかわかった。

カブトムシの雌だったのだ。

「なんだよ、カブトムシじゃん」

「いや、違うだろ?」

「カブトムシの雌だよ、バカ一、バカ二め!」

「取ってやったのに」

「無駄に恐怖を煽って、俺の繊細な心に多大なストレスを与えやがった」

「素剛ごめんな」

「うるさい、お前を兄とは認めない。役立たずめ!」

「素剛、それは淀波志が可哀そうだぞ」

「なんでだ!なんで世界はこんなに広いのに、俺の体に止まりたがるんだ!!俺は虫を愛していないし、憎んでもいない!互いに干渉せずに生きていければそれでいいんだ!!」

何とも切ない叫び声が野島家に響き渡った。

淀波志は、この時から少し変わった。頼れる兄だと言われようと、そう努力しているのが伝わって来た。それは前向きなようでいて、仄暗い感情でもあったように思う。

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