非日常は突然に
私には、大大大~っ好きな推しがいる。
「はぁぁぁぁ今日もとおとぃぃ…」
仕事が一段落し、賑やかな打ち上げの真っ最中。周りの事など気にもせず、ゲーム画面越しに溜め息をつきながら突っ伏す私…パートナー居ない歴=年齢(29歳)な三塚 雨は今日も今日とて愛しい推しに癒されています。
夢だったメイク会社のデザイン部に来て一年…楽しいけど疲れるものは疲れる! そんな時は癒しに限るよねぇぇ……!! と眺める先には癖毛な黒髪とサファイアのような瞳の騎士…そう、愛しの冷夜様!
「癒されるのは結構ですが…余り飲み過ぎないで下さいね、先輩」
でろんと溶けている状態の私を気にも止めないこの人の名前は霧崎 京くん。私の半年後輩で、私がお世話係になって面倒を見ることになった。……どちらかというと、お世話してるのは霧崎くんの方なんだけど……。霧崎くんは髪が長く、いつも顔は髪に隠れていて見えないけどとても良い人で頭が良いので凄く助かっている。
これでイケメンなら…と頭によぎり、咄嗟に画面の中の推しを見た。私は何浮気しようとしてるんだ。
「私はずっと冷夜さんの追っかけなので、ご心配なく♡」
今日も変わらずラブコールを送っている私をみて溜め息をつく霧崎くんをよそに、私は推しを愛でる。
「相変わらず大好きねェ、その人……冷夜さんだったカシラ?」
ふふ、と微笑みながら話しかけた遥さんに「もちろん、冷夜さんが一番なので!」といいながら画面を見せびらかした。
「ホント、何度見ても冷たそうな男ネ……」
頬に手を当てて苦笑する遥さんはいわゆるオネェ、という人で、パッと見は少しがっしりした女性のような見た目なんだけど声はしっかり男性。けれど恋愛観は私達女性と同じだし、人柄も良くてこの会社では結構人気な人。私の先輩で家も近くて仲良し。あとメイクが上手で上品なんだよね…真似したい。
「お仕事してる時は人当たりが凄くよくて猫かぶりなんですが、実は凄くストイックなんですよ……! 自分には特に厳しくて、でもそれは全部街の人や他の人の為っていう…!!」
興奮気味に推しを布教しながら画面を見て「はぅっ、かっこいい…」とダメージをうける。
「ハイハイ、それ何度も聞いたワヨ? もぅ、貴女そんなのじゃ彼氏出来ないわよ~」
苦笑しながらそういう遥さんに「いいんですぅ~、私には冷夜さんがいるのでぇ~」と言いながらスマホを見て微笑む。
「かなり酔ってるワネ、コレ…どうしまショウ?」
ぼんやりしてきた視界の中で遥さんが誰かと話してる。今遥さんに推しを布教してる最中なのに……。
「仕方ないので、遥さんと私で先輩の家に送りましょうか。二人で送れば後々変な誤解もない上面倒事も減るので」
淡々と話してる霧崎くんに「一人で帰れるもん~」と言い返す静かに睨まれた気がする。
「まだ9時とはいえ夜なんです。遥さん先輩はと家が近いですし、女性二人で夜道も危険ですので送ります」
霧崎くんはそういって荷物を持ち立ち上がると「霧崎両手に花だな~」や「お疲れ様です」などの声があちこちから聞こえる。
「んふふ、花だなんて照れるわァ!」
遥さんが嬉しそうに微笑むと遥さんと恋バナしていた人達が遥さんへ手を振る。何でもない光景なのに、とても暖かくてニコニコしてると遥さんが私の荷物と手を差し出してくれた。
「ハイ、どうぞ。雨チャン歩けそう?」
お酒でぽわぽわしながら「ありがとうございます…」と荷物を受け取り遥さんに捕まり体制を整える。
「ん~、歩けそうです! …あ、遥さんメイク変えました!? かわいい!」
近くで遥さんの綺麗なメイクを見て、ふと何時もと雰囲気が違う事に気づく。
「んふふっ、アリガト! うちの会社の新作でネ、お試ししてほしいって言われてルノ。ドウカシラ?」
微笑みながら少ししゃがんだ遥さんの顔をじっと見て、お店の照明を見てもう一度遥さんを見つめた。
頭のなかで、照明は少し黄色が入ってたから…と今見えてるより少し黄色を引く。
「アイシャドウの発色がまぁまぁですね、ラメがありすぎるのかも…? チークとリップは発色もよくてかわいいです!」
仕事の話になり少し酔いが飛んだので真面目に話すと遥さんも頷いてくれた。
「雨チャンもそう思うワヨネ! そう、ラメが多いノヨ……合わせるのに苦労シタワ。チークとリップはカワイイからこのままで良いワ~!」
その方向でイキマショっとスマホを操作してる遥さんに「仕事はほどほどにしましょうね~!」と微笑んでると霧崎くんが私達の所に来た。
「御二人とも、準備が出来たなら帰りますよ」
テキパキと帰り支度を済ませた霧崎くんに遥さんと一緒に「は~い」と返事をして付いていく。
―――*―――
「♪~」
昨日の打ち上げ楽しかったなぁ…と思い返しながら鼻歌まじりに知らない森をお散歩をする。今日は久々にお休みを貰ったので冷夜さんぬいぐるみとお出掛けだ。
「冷夜さんぬいと聖地巡礼! これぞ休日の推し活…!」
楽しみですね~! なんてぬいに話しかけながらゲームに出てきた場所へ向かっていると、近くからゴトゴトトッと大きな音がした。
「ひゃ!?」
驚いてから動物かな、と思いすぐ熊の可能性がよぎる。ちょうどタイミング悪く出掛ける前に熊のニュースを見たせいなのだけれど、もし熊ならと少し怖くなる。
いや、でもここ山じゃないし可能性は低い…森のほうがいるのかな!? 森の熊なんて言われるくらいだし! と頭の中でぐるぐるする思考と今度はゴトゴトと重そうな何かだけではなく草を掻き分けるガサガサという音まで聞こえてきた。
「怖い怖いこわい…!!」
ぎゅう、と冷夜さんぬいをしっかり持ち逃げたい心と恐怖で動かない体に段々とパニックになる。
家族、遥さん霧崎くんと過り、愛しの冷夜さんが過る。冷夜さんなら熊相手でも戦えるんだろうな、守るんだろうなと思い涙が浮かぶ。
「冷夜さん……」
助けて、と二次元にいる彼には届くはずもない事を願ってしまう。森になんて、来なきゃ良かった……。
「い"っ」
けれど木々の合間から聞こえたのは、熊でもなく動物でもなく人の声だった。
……?
……………??
人の、声…??
「え………?」
熊でもなく、小動物でもない。しっかりと人の声が聞こえたので混乱してしまう。え…? 人…??
「った……服破けて…ないか、よかった」
明らかに人の声がぼんやりと聞こえ、恐る恐る近づいて目を凝らす。
「あの、誰かいるんですか…?」
怖い人だったらどうしようと考えながらなんとか声に出し、道なき道を進む。
「います! すみません、通行人の方ですか?」
帰ってきた声にやっぱり人だ、とほっとしながら「ひい、そうです!」と返事をしてその人を探す。どこにいるんだろう?
「不運にも手を怪我をしてしまって、他の人を呼んでいただけますか?」
申し訳なさそうな声を頼りにどんどん歩き、冷夜さんぬいを鞄へと戻しながらハンカチを出す。
「怪我をしてるんですか!? とりあえず怪我を見て……」
血が出てるなら止めて、とりあえず道までその人を連れていこう。そしたら救急車を近くに呼んで…と考えながら歩くと、その人の所へ着いた。
「……」
幻覚かと、目を疑った。
少し跳ねた漆黒の髪と、サファイアのような瞳。黒色の騎士服と膝には少し砂がついていて、右手には血が滲んでいてとても痛そう。……でもその人は現実にはありえない、いるはずのない人で。
「いや、歩けはするので少し手伝っていただきたく……って、来てしまいましたか」
私に気づいて、申し訳なさそうな顔をするその人の声も…アニメ版ではあるけど何度も聞いた、愛しの愛しの騎士様の声で。
「なん、で……?」
どうしてここに、なんで、という言葉でぼーっとしてると何かを察したのかその人は丁寧にお辞儀する。
「こんな格好で申し訳ない……私はれい……え!?」
丁寧に、優しげに話してる最中のその人の前でしゃがみこむ。まっ、え? なんで、どうしてここに冷夜さんが? ありえない、だって彼はゲームやアニメ、二次元の存在で……! とただただ困惑する。
「ど、どうかしましたか?? まさか道中でお怪我でもー…」
慌てながらも心配をしてくれる優しい彼にまだ困惑する頭で、ゆっくりと深呼吸する。
「………もしかして、冷夜様…ですか…?」
ありえない、違うはずなんて理性とそうであってほしい、そうだと言って欲しい気持ちがぐちゃぐちゃに混ざりながらもまだこの状況に追い付けない私がいる。
「え? はい、そうですが……」
…そんな私を置いてけぼりに、その人は私の言葉を肯定してしまう。あぁ、どうしよう……目の前に、大好きな大好きな騎士様が。冷夜様がいる…。
「…ャパ……ー…す」
声にならない声に冷夜様が首をかしげ、じわじわと実感がわく。話してるんだ、目の前にいるんだ、と。
「キャパ…オーバーです……っ」
もうだめ、と小さく呟いて私は意識を手放した。