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7 モニタリング

夏のラジオって曜日の感覚一日遅れてるんじゃね。

そうお思いの方、ごめんなさい。

最近、なんか火曜が忙しいのです。暇だから火曜なのに。

 決行のときが訪れた。


 月曜日の放課後。キーコが田辺さんと部室方面へ歩いていくのを見届けてから、僕はそそくさと帰宅した。

 もちろん家には誰もいなかった。おふくろは夕方まで仕事。父さんは夜更け以降に出張から帰る予定だ。ただ、この世に絶対はない。僕は玄関の扉を閉めると、中からサムターン錠を回しておいた。時刻は午後四時前。天気はばっちり晴れ。


 土日の二連休を含めたこの三日間、僕は意外にもすっきりとした気持ちでいられた。ひょっとしたら先週の、初めてキーコをおかずにしたオナニーが効いたのかもしれない。あれは僕の中での決意の表れだったのだ。もう引き返さない。これまで築き上げてきた僕とキーコの関係は粉々に崩れ去ってしまった。あのときの快感を思いだすたびに僕はそう再認識させられた。今日学校でいくらキーコを視界にとらえても、葛藤や後悔などまるで起こらず、「ああ、可哀想に。いよいよ君は僕にプライベートを奪われてしまうのだな」と他人ごとのように哀れむばかりだった。


 哀れんではいても作戦は実行する。当然だ。


 僕は居間と隣り合う、両親の寝室として使われている和室のタンスから、真っ黒なジャージを引っ張りだした。一年ほど前、ジョギング用にと父が自分のために購入したものだったが、二、三度使っただけで、そのまま忘れ去られている。これを勝負服にしようと決めていた。決め手はなんといっても黒という色。実際に目立ちにくいというのもあるが、これから他人の家に忍び込むのに派手な服を着ていては失礼だ、という礼節的な意味合いもあった。


 ジャージに着替えた僕は続いて軍手をはめた。休日を利用してこっそり買っておいたものだ。うちにもどこかにあったはずだが、場所が分からず、母に訊ねようにも怪しまれそうなのでできなかった。軍手を使用する理由は、指紋を残さないためである。どう転べば「指紋を採取される」という状況になるのかは定かではないが、できるだけ証拠は残したくないと思った。指紋が重要な証拠になってしまうということぐらい、いくら僕だってさすがに心得ている。キーコの部屋に仕かけるカメラの指紋もきちんと拭きとっておいた。


 この時点で時計は四時十分を差していた。隠し場所を決めきれず、キーコの部屋に長居する可能性だってある。ためらいはないはず。さっさと始めよう。


 僕は心臓をばくばくいわせながらキーコの家に電話をかけた。発信音が一度、二度、三度と続く。十回待ってから、受話器を下ろす。よし、留守だ。カメラと、粘着の強い小さなフィルムテープをポケットに入れ、外の様子に気を配りながらベランダへ通じるガラス窓を開けた。


 隣の棟の窓には要注意だ。何気なく景色を眺めている住人がいるかもしれない。ただ、あちらに見えるのならこちらにだって見えるはず。窓辺に人の姿があれば、しばし行動を自重すべきだ。


 ベランダに身を潜める場所がないのはやや痛い。おふくろは朝のうちによく布団を欄干に干して出かけるが、今日に限ってはない。腰を屈めながら、しばらくじっと目をこらして前方を眺めていた。


「いける」と僕は思った。駐車場にも窓にも、一応は人影らしきものがない。素早い動作で、隣のベランダとを隔てる板の前まで歩く。もう一度辺りを見回しながら、板にしがみつき欄干に乗り上げる。足の指紋を残さないため、そして足音を軽減するために靴下をはいており、滑りやすい。運動神経の乏しい僕なら、充分に注意しなくてはならない。ここは三階なのだ。


 しかしながら至極あっさりと、キーコの家のベランダへ降り立った。頭はコンクリートのようにクレバーだった。そんなことを考えた矢先、どこかから、ぱん、と布団の叩く音が聞こえ、飛び上がりそうになった。必死に心を落ちつかせる。どうやら下の階かららしかった。大丈夫。僕の姿は見えない。


 二ヶ所のガラス戸のうち、そばにあったほうに近づき、引いてみる。なんと、あっさりと開いた。まさかこんなにことがスムーズに進むとは。いや、感激している場合ではない。ここで目撃されたのではすべてが水の泡だ。


 不在は確認しておいたものの、念のため中の様子を窺う。明かりは点いていない。やはり人の気配はない。僕はガラス戸の隙間にさっと身体を滑り込ませた。


 思わず感慨深くなってしまう。そこは僕の家では居間として使われている部屋だった。そして、昔キーコの家に遊びにいったとき、ゲームをした場所でもあった。僕は中心に立ち、部屋を見回してみた。テレビの位置は変わっていない。タンスも確かこの場所だった。この置物も見覚えがある。変わっていることといえば、ゲーム機の姿が見えないのと、隣の部屋とを隔てる襖が閉ざされているのぐらいか。


 さて、と。こうしてはいられない。僕が用のあるのはキーコの部屋のみだ。僕はなるべく足音を立てないように、そっと薄暗いダイニングを抜けて奥の洋室へ向かった。僕の家と左右が逆なので少し混乱してしまう。


 ガラス戸は開け放っていた。もしキーコや家族が帰ってきたら、すぐに逃げだせるようにだ。その場合は、もはや隠密にこだわる余裕はない。何か顔を隠すもの、せめて帽子ぐらいはかぶっておくべきだったかと初めて気がつく。しかし、もう遅い。


 洋室への扉のドアノブを回した。かちゃ、という音と共に、こちら側へ扉が開く。窓がレースのカーテンで塞がれており、室内はやたらと暗かった。電気を点けるのははばかられ、僕は薄闇の中おそるおそる歩を進めた。


 部屋に入った瞬間からキーコの匂いを感じていた。いや、キーコのそばでくんくんと鼻をひくつかせたことなど一度もなかったが、なんとなくそんな感じがした。脂っこさの微塵もない清爽感溢れる香りだった。


 フローリングの床には水色のカーペットが敷かれていた。部屋の中心、蛍光灯の真下に甲板が透明なガラスでできた小さなテーブルがあり、上には鉛筆立てのみ置かれていた。勉強机はない。教材などは普通の本棚に並んでいた。部屋の隅には意外にも、台に置かれた小型のテレビがあった。人の声でさえかすかにしか届かないのだから、テレビの音が僕の部屋へ漏れてこないのは当然といえる。ディーブイディーデッキの存在も確認できたが、ゲームのハードらしきものの姿は見えなかった。


 ベッドもあった。僕のパイプ式の荒涼としたものとは違い、木製で暖かみがあった。布団や枕も淡い桃色で女の子らしかった。僕の部屋を女の子が使ったらこうも変わるのだな、と妙に納得してしまった。


 はっ、と僕は気がつく。入り口から見て左側にベッドは置かれている。そちらは僕の部屋の側ではないか。そして、僕もキーコの部屋の側にベッドを置いている。つまり僕らは、壁一枚を隔てて毎晩添い寝しているわけか。


 何を思ったかベッドに腰を下ろし、枕に顔を埋めてみた。ああ、キーコの匂いがする。部屋に入ったときの印象とは違い、フルーティーでエレガントな、要するにシャンプーの香りであったが、とにかくキーコの匂いだ。


 いや、いや、いや。僕はいったい何をしているのだ、とすかさず立ち上がる。今にもキーコや、彼女の家族の階段を上ってくる音が聞こえ始めそうだ。急がなきゃいけない。


 とはいえ緊張感はほとんどなかった。頭はバウムクーヘンのようにクレバーだ。思えば、この家に電話をかける瞬間が緊張のピークだったような気がする。すでに後戻りのできない場所まで足を踏み入れてしまっている、という自覚の賜物かもしれない。


 僕はまず天井の四隅を見た。駄目だ。カメラを仕かけられるポイントはない。それならば逆に床はどうだ。駄目だ。せっかくなら見下ろし加減に設置したい。そのほうがキーコのプライベートをよりはっきりと把握できるように思う。


 たんたんたん、とかすかに足音が聞こえた。僕はぴたっと静止する。誰かが外の階段を上ってくる。そのときばかりはさすがに心臓を高鳴らせたが、足音が上方へ向かい、どこかの玄関扉が開閉される音を聞いた瞬間に、すっと落ちつきをとり戻した。


 さあ、さっさとカメラを仕かけてここを抜けだそう。僕は引き続き部屋を見回した。壁かけのジグゾーパズル、窓のカーテンレール、候補は次々と挙がったが、いずれも危うい。見つかってしまう想像しか浮かんでこない。天井付近のダクトホールはなかなかいい隠し場所だと思ったが、本棚のすぐ上にあり、大きく視界がさえぎられる。うーむ、どうするべきか、と途方に暮れかけたとき、そいつが目に入った。


 本棚とその隣の原色多用のポップな柄の洋服ダンスとの隙間だった。カメラが丁度収まりそうな幅だ。僕はそこに近づき、値踏みするように眺めた。やがて、今度は窓の外をちらっと確認し、思いきって明かりをつけてみた。そしてすぐに消した。大丈夫だ。明かりを点けてもここは陰になる。次に隙間に背を向けてみる。ベッドを正面にとらえられる。


 自分でも驚くほど行動は素早かった。本棚はそれなりに重たかったが、なんとか動かすことができた。ただ、女の子の力では無理だろうと思い、また一つ確信を得た。更に、ほこりにまみれた空間があらわになって、この場所は長いあいだいじられていないというのを知った。


 洋服ダンスの側面、丁度僕の目線ぐらいの高さにテープでカメラを貼りつける。前面から二センチほど奥の位置だ。あまりに前方過ぎると危険だし、後方過ぎると視界は悪くなり、それにバッテリーがとり込めない。入念に向きを確かめてから、本棚をもとに戻しカメラを挟む。


 僕はベッドに腰かけて隙間を眺め見てみた。まったく分からない。ただの細長い闇だ。しかけた自分でさえ、カメラがどこにあるのか分からない。少しずつ近づいていき、鼻先の距離でようやく影が見える。レンズは真っ直ぐにこちらをとらえている。


 よし、パーフェクトだ。見つかりっこない。あとは脱出するのみ。僕は痕跡を何も残していないか注意を払いながら、部屋を出た。テープはきちんとポケットの中。問題はない。何も問題はない。


 侵入した際とは打って変わって早足だった。つま先歩きで家の中を縦断し、開かれたままのベランダに飛び込む。静かにガラス戸を閉める。一応、人目を気にするのは忘れていない。帝国スパイのように、視線を辺りに散らしながら、僕は入ったときと同じルートで我が家へ帰りついた。


「ついに」居間のソファに倒れるように座りながら僕は呟いた。

「ついにやった。やってやった」


 時刻は五時前だった。湧き上がる達成感と心地よい充実感に、このまま眠ってしまいたい衝動に駆られたが、こんな怪しい姿を家族に見られるわけにはいかない。僕はまず着替えを済ませてから、ジャージをもとの位置に直し、軍手やテープを自室に持ち入れ机の引きだしにしまった。玄関の鍵を開けておくのも忘れない。


 気分は高揚していた。いざ実行に移してみると、なんのことはない。あっさりと済んでしまったではないか。カメラが見つかる? 誰かに目撃されている? ノンノン。カメラが見つかったってそれが僕の仕業だという証拠はない。誰かに目撃されていたって、別に何も盗んじゃいない。カメラが見つかって、誰かに目撃される。両方が起こって初めて僕の犯行がとり沙汰されるのだ。いったいその可能性は何パーセントだ。限りなくゼロに等しいのじゃないか。いやあ、実に愉快だ。じい、酒を持ってこい、ってな。


 カメラの映像はまだ観ない。楽しみは夜までとっておくことにした。僕はまた卒業アルバムで作業のように日課を済ませたあと、ネクストコードの電源を入れた。ハウスコードの一世代前のハードだ。ハウスコードを売却されたからってくじけたりはしないのさ。真のゲーマーは新旧にこだわらない。


 ツーディーの忍者ゲームで敵を丸焼きにすることはや何時間。窓の外には薄闇が広がり、扉の向こうでは母が夕食を準備する音が聞こえていた。時刻は六時半になっていた。隣のキーコの部屋から物音はしないが、なんとなく人のいる気配はする。


「りっくーん。そろそろご飯食べる?」

 ノックと、母の呼ぶ声。キーコを丸裸にするのは、食後でも遅くはないか、と僕は思う。満腹を撫で、つまようじで歯をしーしーしながら、あまりにも甘く、あまりにもほろ苦いデザートを堪能するのだ。至ってひねりはないが、それをモニタリングと称しよう。


 僕はキーコをモニタリングする。


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