20 モニタリングラブ
「わーん、キーコ」渚さんがキーコに飛びついてきた。
「私やばいよー。補習が三つもついちゃったー。夏休みのグアムが白紙になっちゃったらどうしよう」
「生きていれば、そのうち報われるさ」よしよしと渚さんの頭を撫でるキーコ。
「それにさ、私も二つ補習あるし」
「本当?」渚さんは救われたように顔を明るめた。それから僕を流し見て、一転無愛想にいった。
「で? あんたも補習?」
「僕はセーフ」
テストが始まる前日に、夜遅くまで教科書の中身を頭に叩き込んだのが効いた。昔から一夜漬けは得意なのだ。
「自分だけこっそり勉強するなんてずるいなあ」唇を尖らせて、キーコは机に伏せた。
「りっくんと一緒に補習受けたかったのに」
補習は放課後に行われる。普段なら僕は帰宅、キーコたちは部活に勤しんでいる時間だ。こんなときだけ僕の下校を妨げようだなんて、そうはいかない。
「りっくん、キーコと仲よくやってる」
突然後ろから抱きつかれた。驚いて振り返ると、青柳さんのカエル顔が間近にあって更に動転した。青柳さんはキーコたちに視線を移すと、「私も二つだよ」とまるで自慢するかのようにいった。
「ちいちゃん、こいつのこと、りっくんなんて呼んでるの?」
ヘドロに生足を浸したときの顔をしながら、渚さんがいった。陰口でなく僕の目の前できちんといえるのは、ある意味信用できるポイントだなと、最近ではそう思え始めていた。
五月下旬。帰りのホームルームで中間考査の答案を返されたところだ。補習が明日からとされているのは、生徒たちの予定を汲んでくれているからかもしれない。
断じていうが、僕はキーコたちのグループに仲間入りしたわけではない。ただ、僕がキーコの彼氏になったというのを渚さんや青柳さんが、疑りながらも認めてくれたというだけだ。とはいえ、キーコはこの二年間の鬱憤を晴らすかのように、一日中僕にベタベタしてくるので、結果的に授業の合間や昼休みも彼女と過ごすことになり、周りからは僕もキーコグループの一員にしか見えないだろう。
内藤さんは見なくなった。「ケンカでもしたのかな」と想像していたら、先日キーコたちが「彼氏ができたらしい」と話しているのを偶然聞いた。隣のクラスの男子で、空き時間のたびに会いにいっているそうだ。
「彼氏ができたからってつき合いがなくなるなんて薄情だな」
と僕がいったら、キーコは僕を小馬鹿にしたように笑った。
「女の友情は複雑なの。彼氏と別れたらまた戻ってくればいいよ」
「そうゆうものなのか」と僕が感心せざるを得なかったのは、渚さんや青柳さんが、以前に比べてキーコに執着しなくなったためだ。一言二言話してすぐに去っていく。なるほど。キーコにも彼氏ができたわけだしな。
それから塚田も消えた。こちらは詳細不明である。キーコに訊いてみると彼女も不思議そうに首を傾げていた。曰く、「環境はぐるぐると移り変わるからね」。
うん、それも真理だ、と僕は思った。
「今日も部活休みなんだ」
終礼からしばらく。かばんを持つ手を肩にかけ、キーコに挨拶して帰宅しようとした矢先、彼女はいった。岩口待ちの時間に下校準備を済ませるのを忘れたらしい。いそいそとかばんに教材を詰めている。
「うちの部長の考えでさ。答案を返されたあとはみんなショックを受けて、実力をだせないからって」
赤点が前提なのか。僕は愛想笑いをし、キーコを待った。彼女の準備が整い次第、僕らは連れ立って教室を出た。
「ちょっと」
廊下にて後ろから声をかけられ、僕とキーコは同時に振り向いた。
丸坊主の巨体。声の主は塚田であった。それにより、僕はやや緊張する。彼はキーコに気があったはずだが、僕とキーコがつき合い始めたのに対しての彼の反応は、いまだになかったからだ。
塚田は決まりが悪そうに、そわそわと目を泳がせていた。「いったいなんなのだ」、と訝り始めたとき、彼の大きな背中の後ろから小さな影が飛びだしてきた。
「ふ、深海さん」
横井さんだった。塚田の腕に抱きつきながら彼女は、「はい?」と返事をするキーコをぐっと睨みつけていた。
「私、塚田くんとつき合うことになったから、だから、つ、塚田くんとあんまり仲よくしないでもらえる?」
キーコを見る。彼女はきょとんとした表情で、「はあ」と頷いた。
「以上。じゃあね、ばいばい」
手を繋いで僕らを追い越していく二人。塚田はこっそりこちらに目を向け、口の動きだけで、「すまん」と謝っていた。辟易したふうだったが、まんざらでもないように見えた。
僕とキーコは顔を見合わせた。
「横井さんって、負けず嫌いだねー」
「うん」
調子を合わせ、僕らも歩きだした。
例の事件から数日が経ち、僕の耳にも色々と情報が入ってきていた。
キーコの部屋に忍び込んでいたのは、やはりタナカさん宅の息子。年齢は三十過ぎ。昨今は無職で、親のすねをかじりつつ家に引きこもっていたのだという。やはり、キーコのおばさんが遅くなるというのを両親の世間話から知り、抑えきれず犯行に及んだらしい。
タナカさんに口を滑らせたおばさんも、息子に盗み聞かれたタナカさんも、さぞかし悔いたそうだ。タナカさんに至っては、「これ以上キーコに迷惑をかけられない」と息子の執行猶予も視野に入れ住居を移す予定である。
ただ、キーコはそんな事件など、もう忘れかけているようだった。
「やっぱ、彼氏ができると毎日が楽しいね」
はつらつとした様子で彼女はいった。歩き慣れた下校道。テスト期間中だったのもあり、ここ数日は毎日のようにキーコと一緒に帰っている。
「キーコが僕を避けていなけりゃ、中学三年間ずっと楽しかったじゃないか」
「だってえ」
恥ずかしそうに目を伏せるキーコ。
僕を避けていた理由を問い質すつもりはなかった。なぜなら、すでに僕には分かっていたからだ。
キーコが僕を避け始めたのは、僕があれを始めた時期と重なるではないか。あれとは何か。日課、すなわちオナニーだ。
かつてタナカさんの息子にいたずらされた経験にもより、彼女の中でそれはひどくけがらわしいものに映ったのだろう。勝手に僕を覗いておいて、勝手に僕を軽蔑していたわけだ。握手をしようと差しだされた右手にさえ、そいつは及んだ。
ところで今はなぜ軽蔑していないのか。その謎もすでに解けている。近日のキーコを見ていれば明らかであり、もはや隠そうともしていないように思える。要するに、彼女も知ってしまったというだけのこと。
団地に帰りついた。予想通り、キーコは甘えた口調で僕に寄りすがってきた。
「ねえ、今日ももちろん、やるんだよね」
「ああ」僕は頷きつつも、常々の疑問を口にした。
「でも、どっちかが直接部屋にいったほうが早くない?」
「だって……」うつむいて髪の毛をいじるキーコ。
「私たち、まだ中学生だもん」
「危険だ」と僕は改めて思った。そう、キーコはとにかく危険な女の子なのだ。頭のねじが確実に何本か外れている。
こんなクレイジーな子と、この先ずっとつき合い続けていられるのだろうか、と不安になってしまうが、カメラの件を経ているのだから、どんな衝撃にも耐えられるような気もする。
キーコと別れ、僕は階段を上がった。玄関を抜け、すぐに自室へ入る。テレビを点け、チューナーの電源を入れると、僕もそれほどのんびりとしていたわけではないのに、早くもキーコが待ちきれないといったふうにカメラの前にいた。
キーコの部屋の僕が仕かけたカメラは、テレビの上に移動していた。一方、僕の部屋のキーコが仕かけたカメラもこちらの同じ場所にあった。僕らはテレビのモニター越しに向かい合わせていた。
キーコがカメラにノートをかざした。「準備はオーケー?」と書いてある。彼女は携帯電話を持っているが僕は持っていない。よってこんなふうに筆談形式で会話しなければならない。だから直接会えばいいのだ。僕らが本当に中学生の身分をわきまえているとでもいうのか。
わくわくとした様子で、キーコはセーラー服を脱ぎ始めた。
「僕も人をとやかくいえないな」と思った。息子はとっくに元気になっている。
ノートに「好きだよ、りっくん」の文字。僕は苦笑し、また頷いた。
互いにモニタリングし合いながらのセックス。
モニタリングセックスじゃあんまりなので、モニタリングラブとでも命名するか。
かつて毎晩のように繰り返していたそれを、「これからも続けていこう」といいだしたのはキーコだった。なんというか、よほど気に入ったらしい。僕はどちらかというと生身の彼女と愛し合いたいのだが……
キーコはすでに上半身裸になって、急かすように僕を見つめていた。その顔には、かつて僕が心の底から求めていた、あのにこにことした無垢な笑みが浮かんでいた。
「本当に危険な子だ」と呆れながらも、僕はずりっとずぼんを下ろすのだった。
モニタリングラブ <完>
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