15 彼女を指差して
火曜か水曜更新です…;;
終礼の直後、僕は一番に席を立って教室を出た。キーコの脇を通る際に彼女を睨みつけたら、意外にも目が合ってしまい、慌てて自分からそらした。
くそったれが。なんで僕が怯まなきゃいけないのだ。復讐だ。復讐だ。
初めて覚えた言葉をいじらしく連発する赤子のように、僕は頭でそう繰り返しながら家路を歩いた。
帰りのホームルームのわずかな時間に、今の状況をどう打開するか、ある程度の考えはまとめられた。面白くないのはなんといっても、キーコが平然としていることである。自分のオナニーする姿を他人に見られるなんて僕だったら蒸発ものなのに、彼女はなんら変わらずふてぶてしい態度をとり続けている。それはなぜか。もちろん、覗かれているというのを彼女が知らないからだ。
帰宅して部屋着に着替えると、僕は早速自室に引きこもった。一度意味もなくチューナーの電源を入れ、無人のキーコの部屋を眺め、それからビデオデッキにテープを差し込んだ。
そう、キーコのあられもない姿を録画してやるのだ。彼女が服を脱ぎ、昇天して服を着るまで一秒たりとも逃さずにばっちりと。そしてこの録画テープを、インターネットに流出させてやる……いや、嘘だ。そこまではしない。というか、パソコンなど扱えない。
本当は、キーコの部屋にまた忍び込み、ぽんとベッドの上にでもこのテープを置いておくのだ。あれ、これは何かなとテープの中身を確認すれば、さすがのキーコも背筋を凍らせてしまうに違いない。
惜しむらくは、そのさまをモニタリングできないということだ。キーコがテープを観れば、カメラの位置もばれてしまうだろうし、僕に疑いがかかる可能性だってある。最悪通報され、僕の部屋が家宅捜索の対象になるというのもあり得る。
だから、テープを置きに部屋へ忍び込んだ際、同時にカメラも回収しなくてはならない。そしてチューナー共々、どこか家の外に隠しておくのだ。
つまり、実行に移すときは、モニタリングを終えるときでもある。重ね重ね惜しいが、このまま続けていても何も得るものはなさそうだし、そうしなくてもいつかはカメラが見つかってしまうだろう。きっと、僕に残された唯一の道なのだ。
録画テープの映像を観たときのキーコを想像すると、思わず笑いが込み上げてくる。くっくっく。彼女はどうするだろうか。母や兄にそれを告げるか。自分のオナニーする姿が映ったビデオをだぞ。くっくっく。すっぽんぽんで股間をまさぐっているんだぞ。通報したら多分、警察にも見られてしまうぞ。くっくっく。
録画の準備は整った。あとは主演待ちだ。彼女が帰る午後六時まで、僕はいつものようにゲームをしながら時間をつぶした。今月は中間考査もある。いい加減勉強をしたほうがいいかとも思われるが、キーコの件が済まない限りはどうせ頭も働かない。さあ、キーコ。僕の将来の問題でもあるのだ。手短に頼むよ。
キーコが情事に励む時間はまちまちだ。夕食を終えた八時から九時頃の日もあれば、その後の入浴を終えた十時から十一時頃の日もある。始める前は必ず、パンティ一枚でしばしくつろいでいるので見過ごしはしないだろうが、できればやはり服を脱ぐ瞬間から記録したい。そうしたほうが、あなたのプライベートは完全に把握しています、というのが表れると思う。バッテリーを気にしてこまめに電源は落とすが、今夜は本当にテレビの前に張りついていなければならない。
六時半少し前にキーコは帰宅した。制服姿だった。彼女が帰宅した瞬間を目撃したのは初めてとなる。帰ってすぐに始めるとは想像がつきにくかったが、せっかくなのでモニタリングを続ける。一応、ビデオの録画ボタンに指を添えていた。
まずは画面の右端に消え、テレビをつけたようだ。それからやけに食い入るように画面を見つめていた。何か気になるニュースでもやっていたのだろうか。そう思いきや、テレビを消すためかまた右端に消え、明かりをつけたまま部屋を出ていった。
戻ってきたときは部屋着に変わっていた。アメコミのようなポップなイラストがプリントされた白いティーシャツと、黒いスパッツ。そしてまた右端に消える。
これまで数週間キーコを観察してきて、彼女は相当なテレビっ子だというのが分かっていた。リモコンがないようで、一時間のうちに何度も何度も立ち上がってテレビを操作する。テレビ自体はカメラの位置から隠れているので、正確には定かでないが、彼女の様子からチャンネルをきり替えているのだと推測できる。同時間帯に観たい番組がひしめきあっているのだろう。ビデオに録ればいいじゃないかと思う。
「りっくん、ご飯食べなさーい」
いつの間にか帰っていたおふくろに呼ばれる。キーコもそろそろ夕食だろうし、僕は「はーい」と長い返事で応えた。
父さんは帰っておらず二人での夕食を終えてから、僕は早速モニタリングを再開した。午後七時半になろうとしていた。
ところがキーコの部屋は真っ暗で、それから幾度となくチューナーの電源を入れては消し、入れては消しを繰り返しながら見守っていたが、次に明かりがついたのは午後十時を過ぎた頃だった。
すでにパジャマに着替えていた。まさか、部屋の外で済ませてきた、などという話はまかり通らない。「いよいよこれからだ」と録画ボタンを押さんとする左手が熱を帯びる。
しかしキーコはガラスのテーブルに何やら本を数冊広げ、書き物を始めてしまった。あれは間違いない。教科書にノートだ。ここにきて今更、毎晩遅くまで勉強している、を体現しようとでもいうのか。冗談じゃない。
苛立ちからベッドに上り、思いっきり壁を叩いた。画面の中のキーコはノートに落としていた視線を上げて一瞬ピタッと静止し、そうっと後ろを振り向いていた。そんな彼女の反応を観るのは面白かったが、僕は自分の行動に後悔を覚えた。そんなものを発端としてキーコが服を脱ぎだすはずはないし、万が一発端となっても、それを録画したビデオなど使えない。「僕が犯人です」といっているようなものだからだ。
結局その晩、キーコは純潔なまま就寝した。今夜はそんな気になれなかったのだろう、と僕も観念した。
天変地異が起こった。
なんとその夜から、キーコはまるで出家してしまったかのように、あるいは性に向ける気力を使いきってしまったかのように、ぱったりとオナニーをやめた。おそらくは中間考査が近づいたので控えているというのが真相であろうが、とにかく納得がいかない。こちらが名案を思いついた途端にこれだ。僕の考えを見透かしているとでもいうのか。
試験まであと一週間と迫っていた。自分の部屋でとは裏腹に、キーコはなんら変わりのない学校生活を送っていた。一方の僕も、いい加減にあきらめていた。いかんせん僕だって勉強をしなくてはならない。キーコに気をとられて赤点でもとってしまったなら、今度は父さんにどんな仕打ちを受けるか分かったものではない。
今は我慢しよう。中間考査が終われば、キーコも日課を再開するはずだ。
日課……? そういえばキーコがオナニーを始めたのは突然のことだった。それまでそんな気配はまったくといっていいほどなかったのに。
僕が見ていないときに?
あり得ない。キーコは長いときは一時間弱ほど裸でいるのだ。気づかないはずがない。となると、あの夜に初めて覚えたのだろうか。思えば僕のように手馴れていなかったような。
うん、決まりだ。何がきっかけなのかはつかめないが、キーコの僕と同じ日課はあの夜から始まった。
なんだか興奮してきた。僕はキーコの、性の歴史が産声を上げた瞬間を目撃したわけか。要するに最初の男だ。ははは。この先彼女がどんな性体験を積み重ねようが、その起源には常に僕がいる。ははは。
「今日ね、ヒメコんちで一緒に勉強するんだけど、キーコもこない?」
「あ、うん、いくいく。それじゃあさ、一緒に晩御飯食べようよ。うち、お母さんが飲み会で遅くなるんだ」
「あ、私はちょっと家族で外食する予定なんだよね。ヒメコは?」
「うん、聞いてみる」
四時限目の終了を告げるチャイムが鳴って数秒後、そんな会話が背中越しに聞こえてきた。キーコの相手は声色からいって内藤さんらしい。
次第にがやがやと後ろが騒がしくなっていった。椅子を引きずる音などを聞き、「今日はキーコの席に集まって昼食をとるのだな」と合点がいった。僕に遠慮してくれていたのか、席替え後では初めてだった。
ちらっと背後を見る。メンバーは渚さんに内藤さんに塚田。青柳さんは本日風邪で欠席。生田は最近、別のグループと行動を共にしていた。穂積さんは、席替えしてからは完全に親交を絶っている。席が近いだけの仲だったらしい。
四人はそれぞれ椅子を持ち寄っていた。僕の席を明け渡す必要はないらしいが、かといって大変に息苦しい。横井さんと深田さんは横井さんの席で昼食をとるようになってしまい、ここ数日はずっと一人で寂しく弁当を食していた。それだけならまだ気楽でいいと割りきれるが、すぐそばにグループ、しかもキーコたちが陣どっていながら一人というのは、どうにも落ちつかなかった。
「ねえ、昨日の〈尋ね人ウォーリー〉観た?」
「観た、観た。あれ、すごく感動したよねー」
午後八時台の人探しバラエティ。僕も時々観ているが、昨夜はキーコのモニタリングに忙しかった。キーコはというと、やはりしきりにチャンネルを替えながらもテレビに釘づけとなっていた。
「そうかな。俺ってああいうの、あんまり泣けないんだよな」
「うわ、最悪。嫌だね、人の心を持たない男って」
「お前にいわれたくねえし」
塚田と渚さんが笑い合っている。進級当初は予想だにしなかった情景だ。
「何それ。面白いの?」
「はあ? あんた知らないわけ? 生き別れの親兄弟をスタッフが総力を上げて探すのよ。最後には絶対感動の再会シーンが用意されててさ。ああ、思いだしてまた泣けてきた」
「ふーん。私、あまりテレビ観ないから分かんないんだよね」
無意識のうちに後ろを向いていた。それに唯一気がついた渚さんに、悪魔よりひどい顔で「なんか用ですか?」と訊ねられ、僕はしゅんとなって前を向き返した。
そしてご飯を一口口に入れ、眉間にしわを寄せた。
今の、キーコの声だったよな。「あまりテレビ観ない」って、なんでそんな嘘をつくんだ?
「ねえ、この人って、普段家で何して過ごしてるんだろう」
渚さん。声を潜めていたが内容は丸分かりだった。というか、ある意味声を潜めていたおかげで、僕が話題にされているというのに、疑いの余地はなかった。
「勉強に明け暮れてるんじゃない?」
「勉強なんかしてないって、寝ても覚めてもゲームばっかやってるよ」
塚田のクソハゲデブが。かつてはお前もそうだったろうが。
「もしくはさ……ふふ」
いやらしい含み笑いと、不自然の間。
「ちょっと、マジでやめてよ! 最悪! キモ過ぎるんですけど」
「それは塚田くんでしょ!」
何やら湧いている。いったいどうしたのだろう。塚田のいった「もしくはさ……」の次はなんなのだ。更に音量を縮めたというよりは、ジェスチャーで表現したというような雰囲気だった。
「一度こいつの家にいってみろって。イカくさくてたまんなくなるぞ」
「マジでキモいから!」
……なるほど。それは僕の日課の話か。
ならばおめでとう、大正解だ。さすが塚田は僕についてよく分かっているな。いいさ、いいさ。僕をこけにして笑いをとりたいのなら、いくらでもとるがいい。
ただ、一つ気になっていた。
再び振り向く。会話は瞬時にとまったが、みんな薄笑いを浮かべて僕を蔑むように見ていた。キーコは……少しだけ期待したが、彼女も同じだった。
目頭が熱くなり、脇を汗が伝った。そして次の瞬間、僕は真っ直ぐに彼女を指差していた。
「自分だって、人のこといえないだろう」




