13 三十五番の席にて
一週間強が経過して、五月になった。
キーコは相変わらず、勉強もせずに腹筋もせずにお盛んだった。むしろ、始めの頃よりも大胆になっていた。
まずは位置の問題だが、以前はカメラからやや離れたベッドの上で控え目に足を広げていたが、最近ではベッドに寄りかかりカーペットの床に座った状態で臨むパターンも増えてきた。つまりカメラとの距離が狭まった。まあ、先方はそんなこと知る由もないだろうが。
それから一昨夜、ついにパンティを脱いだ。
このときはもう本当にカメラの目の前で、こちらに背中を向けてはいたが、僕に見せつけるようにくねくねと腰を振りながらパンティを下ろしていった。引き締まってもいて、それでいて可愛くもあるお尻だった。その日は全裸で始めたものだから、もうキーコの大事な部分はほとんどこの目に焼きつけてしまった。感想は述べ辛い。僕にはまだ早過ぎるのだろう。
ただ、僕は意外にも冷静でいられた。というよりも、日を追うごとに空しさが増していき、なんだかキーコの裸にもあんまり欲情できなくなってしまった。最中、おばさんに部屋の戸を叩かれたらしく、脱ぎ捨てたパンティを慌ててはき直すキーコを見て、くすりと笑ったりしていた。パンティ一枚の姿でおばさんを迎えていたので、そこまでは容認されているのか、と感心したりもした。
塚田が離れていったのも、少なからず因縁があるだろう。一週間前のあの日以来、塚田は休憩時間のたびに生田や和久田、はたまた末恐ろしいことにキーコや青柳さんのもとへ自ら出向いていき、僕と話す機会もめっきり減ってしまった。
昨日久しぶりに「お前がやってたあの戦記ゲーム、どこまで進んだ?」と声をかけてみた。返ってきた言葉はこうだった。
「お前もそろそろゲームは卒業したほうがいいぞ」
そんな理不尽なことってあるか。ついでに肩を見ると、ふけはちっとも溜まっていなかった。
とにかく塚田は陽グループに電撃移籍してしまい、僕は本当に一人ぼっちになった。僕とキーコの甘い関係を誰にも知らせられないというのが、何よりも痛かった。彼女との夜がいよいよ、まったくの独りよがりなものに感じられてきたわけだ。
そんなこんなで、道路を横断するスーパーのビニール袋のように、無気力な毎日が続いている。打開しようにも特に公明は見いだせないし、月末には中間考査が控えている。さすがに僕もキーコも、快感に身をよじらせてばかりとはいかない。
二時限目の授業終わり。青柳さんのもとへ巨体を揺らして歩いていく塚田を、溜息をついて見過ごし、ここ数日すっかり慣例となってしまった読書でも開始しようと机を探っていたとき、佐野さんが「やあ」と声をかけてきた。また三宅さんと連れ添っている。
「塚田くんにポイされて、寂しそうだね」
僕は泣きそうになった。そんなにはっきりといわなくてもいいじゃないか。
ただ、塚田との関係がこじれて以来、佐野さんは一日に一度程度、必ず声をかけてくれる。案外寂しそうな僕を見かねているのかもしれない。
「別に。もともと僕は一人のほうが好きだし」
精一杯強がってみせる。「キモ」と呟いて三宅さんが吹きだす。マジで、暗い夜道は背後に気をつけろ。
「だよねー。寂しいよねー」僕の返事を聞き流す佐野さん。
「なんか最近塚田くん、君の大好きな深海さんとも仲よくしてるみたいだけど、その辺についてはいかがお考えですか?」
マイクを向けられる。
僕は塚田を流し見た。教壇の付近でキーコと青柳さん相手にはしゃいでいる。
僕がキーコに気があるというのは、小学校時代の僕らの関係を知る一部の生徒のあいだで常識となっているらしかった。それを指摘されると僕は決まって否定するが、とても本気にしてはもらえない。よって今回は何も答えなかった。
「はあ? マジで? ちょっと、ありえないんだけど」三宅さんが僕の席の前に立ち、好奇心溢れる目で僕を見下ろした。
「深海さんってけっこう人気あるんだよ。一組のトダくんとか三組のワタベくんとかも片想いしてるって話だし。マジでいってんの? わー、超ウケる。なんていうか高嶺の花って感じ。私、応援してあげよっか、キャハ」
意外にも、今初めて僕のキーコへの想いを耳にしたらしい。三宅さんを見上げながら、割と整った顔立ちであることに遺憾を覚えつつ、ある有名人の格言を思いだしていた。男のプライドが傷つけられたときは、女に手を上げてもそれは正義だ――ひょっとして今がそのときか。
「マジでコクってみりゃいいじゃん」
佐野さんがあいだに入り、すんでのところで収まった。机の下ではもう拳を握っていた。
「なんかの間違いでつき合ってもらえるかもよ」
「無理、無理。月三万もらってもないわ」
二人の高笑いを聞きながら、僕ははらわたを煮えくり返らせていた。握り締めた手の平に汗が滲むが、落ちついたのか、はたまた余計に錯乱したのか、その手を解いた。そして次の瞬間には口にしていた。
「ここだけの話だけど」
二人に密談を要求し、声を潜める。彼女たちも、怪訝そうにしながら顔を寄せる。
「実をいうと、僕とキーコ、すでにつき合ってるんだ」
「は? ありえない、ありえない」
「病院いったほうがいいんじゃない」
動揺も見せずにまくしたてる二人。まったく信じていない様子だ。
「キーコにはホクロがある」
僕はいった。
「ホクロ?」眉をひそめる三宅さん。
「どこに?」
「お尻に。割れ目を挟んで両方の腿近くに一つずつ」
奥の手だった。キーコがパンティを脱いだとき、そのホクロがとても印象的だったのを覚えている。腿の近くとはいえパンティをはいていれば見えない場所であり、間違いなく恋人でしか知りえない事実だといえた。
ついに二人の顔色が変わった。それから、お互いに顔を見合わせる。
「そんなもん、調べようがないし」三宅さんは笑みを浮かべた。そのぎこちなさは、僕の言葉があながち嘘ではないと思い始めているのを物語っている。
「本人に聞いたほうが早いじゃん」
「それは勘弁してほしい」僕は神妙にかぶりを振った。
「ほら、あのゲロ騒ぎがあったろ。自分にゲロを浴びせた相手とつき合ってるってクラスメイトに知られるのが、たまらなく嫌みたいなんだ、あいつ。だからお互い絶対内緒にする、って約束してて、もし僕が口を滑らせたってばれたら、フられちゃうかもしれない」
「じゃあ、あの騒ぎよりもあとにつき合いだしたわけ?」
佐野さん。彼女はもはや僕の言葉を疑っていないように見える。
「そう。ゲームソフトを持ってキーコの家に謝りにいった、あの日だよ」
二人はまた顔を見合わせた。共に眉間にしわを寄せているので、まるで妻と愛人の睨み合いのようだ。
「分かった」唇を尖らせて思案していた三宅さんが、しばらくしてから頷いた。
「なんとかしてホクロを確かめてやるから。でも、もし嘘だったら千円払ってもらうよ」
本気だと僕は思った。中学生が払える現実的な額。それでいて、もらうとかなり嬉しくて、失うとかなり悲しい額、千円。
「いいとも」僕も自信満々に頷き返す。
「ただし、嘘じゃなかったら逆に僕が千円をもらう」
「約束する」
「えー、ちょっと、ちょっと」去っていこうとする三宅さんの腕を、佐野さんがつかんだ。
「確かめるったって、どうすんのよ。お尻見せて、とでもいうわけ?」
「分からない! でも、絶対に確かめる!」
そして次の三時限目の授業中、僕は早くも、キーコとつき合っているなど大ぼらを吹いたのを後悔し始めていた。
念は押したものの、あの二人がキーコに、または他の生徒に僕の発言を暴露しないという確約はないではないか。いや、百歩譲って嘘だとばれるのはよしとする。今以上に僕とキーコの距離が広がり、クラスのみんなから白い目を向けられるだろうが、それは致し方ない。
問題はホクロのくだりである。僕とキーコがつき合っているというのは嘘だが、キーコの尻に僕のいうようなホクロがあるというのは真実なのだ。ホクロの存在を他人が知る可能性は薄いだろうが、キーコ自身は知っているのではないか。
僕の嘘を含め、ホクロ発言についても三宅さんが話してしまう可能性はあるぞ。そうなったら今度は、なぜ僕がホクロのことなんて知っているのか、という話になる。まずい。まずいではないか。
ただ、さすがにキーコもそれで隠しカメラと結びつけるような突飛な発想力は持っていないかもしれない。そうだ。「小学校の頃のプールの時間に、水着が食い込んで偶然見えてしまったのをいまだに覚えていた」とでも説明すればいいだろう。ある意味、余計に変態じみて聞こえるが、少なくとも犯罪ではない。
四時限目は岩口による国語だったが、開始の礼が済んだ途端、彼は教壇に両手をつき、にやりと不気味な笑みを浮かべながら生徒たちを見渡し、こんなことをいいだした。
「お前らがあまりにしつこいから、この時間を使ってやってやるか」
薄い頭と白い歯が妖しく光る。生徒数人がざわつき始める。
岩口は続ける。
「えー、それじゃあ学級委員、前に出て。あとはお前らに任せるから、勝手にやっといてくれ」
教壇のパイプ椅子を黒板の脇に持ち寄り、ずっしりと彼は腰を下ろした。
「それじゃあ、みんなのたってからの希望だった席替えを始めます」
横井さんを差し置いて和久田がいった。こうゆうときだけは張りきるタイプなのだ。教室中が歓喜に湧いた。
新学期当初から席替えを希望する声が多数上がっていたのは知っていた。現在は男女別に出席番号順、つまり五十音順で座っているが、その味気ない席順に退屈していたのだろう。
今となっては僕にとっても席替えは喜ばしかった。なんといっても、通じ合わなくなった塚田と席が前後しているのが気まずい。だからといって誰のそばだと安心できるのか、と問われればその答えも定かではないが。とりあえず塚田、それからキーコと離れてさえいれば満足だ。
贅沢はいわないさ。できれば窓際が……できれば大人しい女の子と……できれば横井さん……深田さん……できれば……
「というわけで多数決の結果、男女混合のくじ引きで席を決めたいと思いまーす」
和久田が声を張り上げ、横井さんが黒板に教室内の見とり図と席にあてがう番号を書いていく。なかなか足並みの揃ったコンビだ。
女子生徒数人で作ったというくじと箱が用意される。席替えを事前に知らされていた生徒もいたわけだ。
現在の席順に、教壇に置かれた箱からくじを引いていく。塚田が引き終え、次に僕の番。席に戻ってからそっと紙を開くと、三十四番と書かれていた。黒板に書かれた図を参照しなくても分かる。四十人の席が五つずつ八列並んでいるわけで、僕の新しい席は後ろから二番目、窓側から二番目に決まった。
「お前、何番だった」
三日ぶりに塚田が話しかけてきた。天然パーマだった頭を丸刈りに変えている。もうどこからどう見ても吹奏楽部員ではなく、柔道部員だ。しかも主将クラスの。
「三十四だってさ」
見た目の迫力が増した塚田にやや怯えつつ、僕はとり澄まして答えた。
「ふーん」
そのまま自分の番号をいわずに席を立ってしまいそうな雰囲気だったため、僕は慌てて訊き返した。
「お前は?」
「あん? 三番だよ」
ものすごくうんざりした調子で答える塚田。ふん、別にかまわない。お前とは席も遠く離れるのだし、これで縁はばっさりきれた。
続いて、クラス全員が一斉に席を移動し始める。机は入学時から一貫して同じものを使用するシステムで、中身だけ入れ替えて移動するわけにもいかない。ずずず、と机を引く音が響き渡り、「ちゃんと抱えて運べ!」と岩口が怒鳴り声を上げた。
三十四番の席にたどりつく。多くの生徒がそうしているように僕はひとまず席につき、辺りを見渡してみた。
うーむ、話が合いそうなやつは近くに見当たらないが、悪くはないのではないか。
なんといっても我がクラスを代表する不良共が揃いも揃って廊下側に追いやられているのが素敵だ。おまけに左隣、窓際には希望通り深田さんが座っている。右斜め前に陣どる渚さんが唯一のガンといえるかもしれない。まあ彼女も美少女といえば美少女だし、夏はブラ透けも期待できる。目の保養ぐらいにはなるか。
今度は教室中をくまなく眺める。もちろん最大のガン、キーコを探すためだ。廊下側にはいない。中央にもいない。となると、窓側か?
「うわ……!」渚さんが突然振り向き、僕のほうを見て苦笑した。
「キーコ、災難だねえ」
「うん。マ、ジ、で、最悪」
背後から聞き覚えのある声がした。
僕は恐る恐る後ろに顔を向け、次の瞬間にはすかさず前に向き直した。ぷるぷると身を震わせながら、これはいったい何が起こる前兆なのだ、と頭を抱える。
キーコは僕の後ろ、三十五番の席にて、ぶすっとした表情で頬づえをついていた。




