11 塚田のラリアット
「二連休のおかげで、なんとかパーソン島を陥落させるのに成功したわ」
翌週の月曜日。
登校した僕は、最近新たに購入したという戦記シミュレーションゲーム〈ジ・ウォーズ〉の話を繰りだそうとする塚田に、憔悴しきったふうの表情を見せつけてやった。かまわず話を続けようとしたので、今度は「はあ」と溜息をつき左肩を右手でぽんぽんと叩いてみせた。彼はようやく「随分疲れてるな」と僕を気にしてくれた。
「まあな」僕は微苦笑を浮かべながら、こくこくと二度首を縦に振った。
「最近ちょっと激しくてさ」
「激しいって何が?」
「彼女だよ」と僕はなんでもないふうにいった。
「こっちの身にもなれって話だよな。毎晩のように求めてきやがって、まあ、そりゃ好きだから仕方ないけどさ」
「お前、彼女なんかいないじゃん」
些細な狼狽の色を含んだ声だった。その発言に絶対的な自信を持っているというわけではないらしい。
「お前にはいってなかったっけかな。二年のときからつき合ってる子がいるんだよ」
「いや、知らない」塚田の目の色が変わった。羨望というより軽蔑のまなざしに近いか。もてているはずのない友人に彼女がいたことで、だし抜かれたように感じたのかもしれない。
「へー、お前にも彼女なんていたんだな」
「誰にもいうなよ」頬づえをつき、僕はハリウッドスターのようにキザな笑みを浮かべた。
「お互い内緒ってことにしてるんだから」
「え、ていうことは」塚田が巨体を近づけてきて囁いた。本日に限り、肩のふけも気にならなかった。
「お前の彼女って俺も知ってるやつ?」
「知ってるっつーか、うちのクラスの女子だよ」
その言葉に、教室中をきょろきょろと見回す塚田。もうほとんどの生徒が登校してきていて、各々思い思いに朝の時間を過ごしていた。キーコは今朝も自分の席にて、級友たちに囲まれていた。
「降参だよ」しばらくして塚田は両手を軽く上げた。
「このままじゃ気になって眠れなくなっちまう。誰なのかちゃんと教えてくれ」
「それは無理な相談だ」僕はふふ、っと馬鹿にしたように笑ってみせた。
「さすがに名前はだせないよ」
「青柳さんだ」塚田は僕を指差した。
「昨日、なんか親しげにしてたじゃん」
僕が首を振ると、今度は「佐野さんだ」とまったく変わりない調子で口にする。僕はもう一度かぶりを振って、「内緒だよ」と彼を突き放すようにそっぽを向いた。
まさか僕の彼女というのが、あのキーコだなんて夢にも思っていないだろう。
先日のゲロ事件は、鉄のように固い絆で結ばれた恋人同士をも一発で破局に追い込んでしまうほどの未曾有の惨事だ。塚田が正解にたどりつくまで待っていると、あっという間に日が暮れてしまいそうだった。ただ、それも仕方ないことではある。僕とキーコは結局、というかなんというかつき合っていないのだから。
先週、ついに己のすべてをさらけだしたあの夜を境に、キーコは次の夜もその次の夜も毎晩毎晩、それはもう目覚めたかのように情事を行った。土曜の夜、日曜の夜も変わりなかった。同じパンティ一枚の格好で、漫画を読みながらテレビを観ながら。僕はというと、その瞬間だけは初夜に覚えた後悔の念もすっかりと飛び、いそいそと服に手をかけてやはりキーコと一緒に裸で朽ち果て、就寝時にまた後悔する、を繰り返した。
キーコに目を向けてみる。ホームルームの時間が迫り、とり巻きたちは消えていた。後ろの穂積さんに無邪気に笑いかけている。少々前髪が乱れているのは昨夜の僕との時間の名残というわけではないだろう。毎晩僕と快楽を共有しているのを知らない彼女。もし知ったらどんな反応をするのか。恐ろしくもあるが、興味もある。
「つき合っている子がいる」などと塚田にでっち上げたのは、キーコとの仲を誰かに知ってもらいたかったからだ。僕らの仲は、僕ら以外の人間どころかキーコさえも知らない。連夜を彼女と共にするうちに、その事実がだんだんと耐え難くなってきた。まるで、本当に卒業アルバムの彼女の写真を眺めながら、淡々と一人エッチをしているような空しさに襲われる。
まあ、確かに変わりないともいえるのだが。
とにかく、塚田には彼女が誰なのかぼかしておいたが、いずれは――今日中にも明かそうと考えている。口は堅いやつなので、おそらく大丈夫だろう。
「そんでさ。作戦司令部に手榴弾が投げ込まれた、とかってテロップが出てさ。ボーン、と全員やられちゃってんの。なんだ、このクソゲー、ってディスク叩き割ろうかと思った」
「へー」
一時限目の終わりも、二時限目の終わりも、塚田は僕の彼女について追求してこようとはしなかった。つまらなさげに聞き流す僕に、嬉々として自分のハマっているゲームの話をする。そりゃあ僕だってゲーム好きなのだから、平常ならある程度は楽しめる。しかし、彼は僕がハウスコードをプレイできない環境にあるというのを忘れていやしないか。いやそれよりも、もっと僕の彼女について訊いてくれ、と思う。恋人の正体を明かしたいのに、明かせないではないか。
「まあでもさ、今年のソフトの中ではマシなほうかな。あれなんかひどかったぜ。なんつったっけ……」
「へー」
四時限目の体育の授業のために、三組の教室に移動して体操服に着替えている途中だった。僕が自分から彼女の話題に触れないのは、話が聞こえる位置に数人の男子がいるせいだった。
「深海って可愛くね?」
その数人の男子の一人が不意に発言し、僕の意識は塚田のゲーム失敗談から完全にそっちへ移動してしまった。
声の主は三組の男子であるらしかった。他の一人に否定され、むきになって反論する。
「いやさ、確かになんの変哲もない顔立ちだけどさ。ああゆう女って将来化粧を覚えたらめちゃめちゃ綺麗になるんだって。うちの従姉妹がそうだもん。今のうちにキープしとくべきだって」
「でも、あいつ、あんまりそそられないんだよな。エロさを感じない」
話している二人は、どちらも僕と同じような目立たないグループに属する男子だった。身の程知らずが。僕のキーコを評価するのは十年早いぞ。じゃあ、僕もだが。
「いや、エロさなんていらねえじゃん、別に。深海さんは清純派で通してほしいね」
ふっ、キーコが毎晩裸で股間をまさぐっているというのも知らないで。
僕は溢れくる優越感から、タンゴでも踊りたくなった。
「塚田くん」
突然、この場に似つかわしくない高い声が聞こえる。同じく塚という字のつく僕は、塚田という名前に間違って反応してしまうことが多々あったが、今回もそうで、塚田と同時に振り向いてしまった。
「はい」
そう返事をする塚田を見て、すぐに間違いに気づく。
「ごめん。和久田くんを呼んでくれない?」
教室教壇側のドアの隙間から顔を覗かせていたのは、トレードマークの眼鏡を外していたため一瞬誰だか分からなかったが、学級委員の横井さんだった。和久田といえばもう一人、男子のほうの学級委員なのだが、横井さんがあまりに働き者なので、基本的にうちのクラスで学級委員といえば彼女を指す。
「分かりました」
なぜか敬語でそう答え、巨体を揺らしながら教室の奥へ小走りで駆けていく塚田。すでに真っ白な体操服に着替え終えている。つまりは入り口の最も近くにいたせいで、彼が呼びだし役に抜擢されてしまったらしい。横井さんは一部のはしたない女子とは違い、男子の着替えの真っ只中をずかずかと歩いていける性質ではないようだ。
しばらくしてそそくさと戻ってきた塚田の顔が、どうも赤ばんで見えた。「大丈夫か」と訊ねるも、「いや」と首を横に振るばかり。そういえばゲームの話もぴたっとしなくなった。いったいどうしたのだろうと訝った矢先、下品ながらがら声が教室中に響き渡った。
「どうでもいいんだよ。お前一人でいけよ」
和久田だった。線が細く長身で、風が吹けば飛ばされてしまいそうな体躯だが、パーマを当てた茶髪が示す通り、一応は不良生徒と見なされている。
「駄目だよ。二人できなさい、って先生にいわれたんだもん」
横井さんも和久田もしっかり体操服姿だった。気がつけばまだ着替えを終えていないのは僕ぐらいのものだ。やや焦ってしまうが、横井さんがすぐ近くにいる手前、学生服のズボンを下ろすのはためらわれた。
「お前さ、そんなこといって男子の着替えを覗きにきただけなんじゃねえの?」
「ち、違うし」
恥ずかしそうに顔をうつむかせる横井さん。眼鏡の印象が強過ぎるせいであまり意識しなかったが、かなりの美少女だと思う。彫が深く、白人のような顔立ちだ。確か下の名前はつばさだったはずだが、ジェシカとかエレナとかのほうがピンとくる。
僕の隣で塚田はぼうっと横井さんを見つめていた。もっと簡単に表すのなら、見惚れていた、とすべきか。そこで僕は合点がいった。そうか、おそらく塚田のやつは。
「横井の大好きなもん見せてやるよ」
そういって塚田の背後に忍び寄ったのは和久井ではなく、サッカー部の青木だった。彼が悪どい笑みを浮かべしゃがみ込んだとき、何をしようとしているのか僕にも分かったが、制する時間もなければ勇気もなかった。そしてそれは起こってしまった。
青木が塚田のハーフパンツに後ろから手をかけ、勢いよくずり下げた。
ハーフパンツどころか、下にはいたトランクスさえも足首まで降下し、塚田の息子がぽろりした。体格に似合わず、なんとも可愛らしい息子だった。
「きゃ!」と両手で顔を覆う横井さん。塚田も何かを口にして、慌ててパンツを上げようと腰を曲げたが、バランスを崩して前のめりに倒れ込んでしまった。何やら吹き出物の多い大きな尻を突きだす形となり、教室では爆笑が起こった。その間、僕はただおろおろと、ことの成りゆきを眺めるぐらいしかできなかった。
その体勢のまま、なんとかパンツを上げる塚田。生徒たちは笑い足りないらしく、爆笑はいまだに続いていた。気がつけば横井さんも顔を赤らめながら頬を緩めている。この場で笑っていないのは僕と塚田のみという状況だった。
「ほら、ほら、みんな見ろよ」笑い過ぎて目に涙を溜めた和久井が、廊下に出て横井さんを指差した。
「こいつめちゃくちゃ喜んでるぞ、大好物が拝めたから」
「うるさい!」
ばしっ、と和久井の肩を叩く横井さん。和久井は痛くもかゆくもなさそうに首をすくめてみせた。
そのときだ。どこからか地響きのような重低音の唸り声が聞こえ始めた。途端に笑い声は途絶え、ざわめきに変わる。唸り声はどうも塚田から発せられているようだった。
むくっと立ち上がった彼を見て、僕は恐れ戦いた。まるで般若の面のような、恨みに満ちた表情をしていたからだ。
「おい、どうした?」異変を察知した和久井が、引きつった笑みを浮かべた。
「か、勘違いすんなよ。今のは俺じゃね……」
弁明を待たず、和久井の身体は宙を舞った。空中でくるんとバック転し、床に落ちたときにはうつ伏せになっていた。塚田のラリアットが炸裂したのだ。太い腕を和久井の首めがけて思いきり振り抜き、その勢いで自らもまた転んでいた。
僕を含め横井さんも青木も、その場にいた全員がかちんこちんに固まっていた。うつ伏せる和久井から、「いてえ……」と泣き言が漏れる。意識があるようで一安心だった。
やがて一人の生徒が動き始める。廊下で偶然今の場面を目撃したらしい体操服姿の三組の女子生徒だった。大慌てで階段方面に駆けてゆく。おそらく教師を呼びにいったのだろう。うむ、賢明な判断だ、と感心する。いや、感心している場合ではない。しかし、どうしようもない。
それにしても、と僕は思った。まさか塚田が、僕の起こした例の事件と匹敵するような騒ぎの当事者になってしまうとは。この先彼の身に振りかかる逆風を想像すると、どうにも目をつむりたくなる。まずは恥ずかしいあだ名をつけられてしまうか。それともクラス全員から腫れ物扱いされるか。そもそも彼は立ち直れるのか。このまま不登校になりはしないか。
延々とそんなことを考えていたとき、塚田はすっと立ち上がり、「すまん」と呟いて和久井に手を貸していた。その姿が妙にかっこよく見えたのは、どうやら僕だけではないらしかった。




