表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/20

1 キーコ

 そのときのキーコの髪型は、ツインの三つ編みだった。「そのとき」というけれど、中学入学時に長い髪をばっさりときり、ショートカットにイメチェンするまでは、ずっと三つ編みで通していたはずだ。服装は覚えていない。何しろいつ頃の時期だったか覚えていないので、薄着だったか厚着だったかも定かではない。


 僕はテレビゲームをやっていた。ツーディーの横スクロール型アクションゲームだ。迫りくるモンスターをばっさばっさと剣でなぎ倒していく。操作性においてはジャンプにやや問題がある。地面を歩く半分のスピードでジャンプするので、慣れておかないと、なんでもない落とし穴に「すっ」と落っこちてしまう。このゲームが高難度とされる一番の要因だ。


「すごーい。りっくん、上手だねえ」

 前のめりになってテレビ画面を見つめるキーコは、しきりに感嘆の声を上げていた。


 僕はこのゲームが得意だった。五面の空のステージは、およそ八割が落とし穴の難関ステージだったが、なぜか歩ける雲の上をぴょんぴょんと飛び移りながら、次々と画面をスクロールさせる。キーコに褒められるたびに得意気になり、「たいしたことないよ」、「ほれ、もういっちょ」、などニヒルな口調で呟いていた。


 雲から足を踏み外す。


「惜しーい」

 まるで自分のことのように悔しがるキーコ。そういえば彼女はタイト気味のワンピースを着ていた。四つん這いでうなだれる彼女のスカートの裾から、ピンク色のパンティが覗いたのを覚えていた。


「次はキーコの番」

 キーコにコントローラーを渡そうとするも、彼女はかぶりを振った。

「私はいい。りっくんがやってるの、見てたほうが面白いから」


 そう、とだけ僕は口にし、再び雲を渡る作業に戻った。「すっごーい」とキーコはまた瞳を輝かせていた。「見ていたほうが面白い」という感覚は理解できなかったが、「彼女はそうゆうタイプの子なんだろうな」と納得していた。


 キーコの家だった。時間帯はもちろん昼間だ。学校帰りではなかったはずで、日曜日だと思う。なぜそんなことになったのかは分からないが、僕は生まれて初めて女の子の家に遊びにきていた。ゲームは、ハードもソフトもキーコのもの。いや、ひょっとしたら彼女のお兄さんのものだったのかもしれない。


 二つの部屋が一続きとなった六畳の和室。部屋の内装はよく覚えていない。洋服ダンスが置かれていただろうか。部屋が二つあれば洋服ダンスの一つや二つ置かれているのは当然だといえるが。ただ、間どりははっきりと覚えている。覚えているというか、知っている。和室が二つ、洋室が一つ、ダイニングキッチンが一つの三ディーケー。左右は逆になっているが、僕の部屋とまったく同じだ。


 僕とキーコの家は、同じ市営住宅の同じ棟にあった。建物の左右中央に三つの階段があり、それぞれ一階につき二部屋を擁する四階建て。つまり、建物全部で二十四の部屋がある。僕が暮らすのは、右側の階段を三階まで上がった左側の部屋。三○五。キーコが暮らすのは中央の階段を三階まで上がった右側の部屋。三○四。僕とキーコはお隣同士だったが、双方の部屋をいききするには、まず階段を下りて建物を出、それからまた隣の階段を三階まで上がらねばならなかった。


 キーコとの親交は小学二年生のときから始まっていた。一学期の始めに彼女がどこからか転校してきたのだ。第一印象は忘れていない。先生に手を引かれて教室に入ってきた彼女に、僕はぼうっと見惚れてしまった。背中を這うツインの三つ編み。すらっとした身体の線。量産型といえるような美しくも醜くもない顔立ち。いや、それらに惹かれたわけではない。彼女の最大の魅力はその笑顔にあった。新たな環境への不安や戸惑い、そういったものを微塵も感じさせず、彼女はにこにこと目を細めて笑っていた。


 当然ながら、キーコはすぐにクラスに打ち解けた。女子も男子も彼女の机をとり囲み、彼女にさまざまな質問をぶつけていた。僕はというと、そんな様子を横目に見ながら、仲のよかった男子と新作ゲームの話に花を咲かせていた。キーコと話したいのは山々だったが、あの中に割り込んでいく勇気が僕にはなかった。


手塚てづかくんって私と同じ団地なんだよね」

 キーコが転校してきて一週間ばかりが経過していた。放課後だった。ランドセルを背負い、「一緒に帰ろう」と男子と教室を出ようとした矢先、キーコにそう話しかけられた。相変わらず、にこにこしていた。僕とキーコが同じ市営住宅に住んでいることを、このとき初めて知った。


「じゃあお前ら、一緒に帰ればいいじゃん」

 はやし立てるようにいったのは、一緒に帰ろうとしていた男子だ。明らかに目にいやらしさが滲み出ていた。


 嬉しかったのも確かだが、それ以上に恥ずかしかった。ただ、一般の小学校低学年の男子なら、「なんで、お前なんかと一緒に帰らなきゃなんねえんだ」と邪険な態度をとるだろうが、僕にはそんな勇気すらもなかった。


 キーコと一緒に帰った。話した内容は覚えていないが、その時間がとても楽しかったから、以後何度も一緒に帰ることになったのだと思う。本当に何度も何度も一緒に帰った。「お前らできてんじゃねえか」とからかわれ、気まずい思いをすることもあったが、次第にそんな声も気にならなくなっていった。


 小学校六年まで、キーコとはずっと同じクラスだった。近所ということで親同士の仲もよく、もはや公認のカップルといえたかもしれない。席が隣同士になったときは、先生もよく授業中に僕らをからかっていた。「いちゃいちゃするのもいいけど、ちゃんと黒板を見なさいよ」。みんなの爆笑の中、僕とキーコは頬を赤らめてうつむいたものだった。


 それでも、僕がキーコの家に遊びにいったのはたった一回だけだったし、彼女が僕の家にきたことはない。あの、二人でゲームをやったひとときが、親交を校外にまで及ばせた唯一の時間だったのだ。


 話を戻すことにする。「二人でゲームをやった」といっても、あの日結局、キーコは一度もコントローラーを握らなかった。最後まで僕のプレイをはたから見ているだけだった。「見てたほうが面白い」と彼女はいった。あのときは納得したが、実は今となってはその考えを改めていた。


 そんな馬鹿な。友達がゲームをしているところを見ているだけなんて、僕だったら発狂してしまいそうだ。「はあ」とか溜息をついてしまいそうだ。「下手くそ」とか罵ってしまいそうだ。まあ、僕が異常にゲーム好きなだけかもしれないが。


 ただ、思うことがある。この世で一人、その子がプレイしているところを見ているだけで満足できそうな人物がいる。キーコだ。僕にとってのキーコ。それなら、彼女にとっては――。


 意味はない。こんなことを考えても遅過ぎる。万が一、あのときのキーコが僕に好意を寄せてくれていたとしても、もう彼女はそばにいない。百万里も、いや、十万光年も離れた場所へいってしまった。


 小学校を卒業し、家のすぐ近くの中学に入学した。僕とキーコは初めて別々のクラスになった。始めの頃は廊下などで顔を合わせると一言二言声をかけ合っていたし、一緒に帰宅することもあった。しかし一月ほど経過すると、変化が訪れた。僕らをからかう周りの声に、僕は小学校時代と同じく、「しょうがねえなあ」とにやけてみせていたが、彼女のほうは本気で顔をしかめるようになった。廊下で声をかけようとしたときには、顔をそらしてそそくさと逃げられた。彼女の拒絶の空気を感じとった僕も、いつしか自分から彼女を避けるようになっていった。


 さて、キーコが僕から離れてしまった理由は、僕の中にだが諸説ある。まず一つは僕という男の、魅力のなさに気づいてしまった説。別に顔は悪くない。それなりに背も高い。学業もまあまあか。ただ、僕はかなり暗い男子だった。ゲームが上手いというのは、小学校ではそれなりの権威を持てたが、中学ではまるで通用しなかった。ゲームを卒業し、部活動に傾倒することこそ正義と見なされたからだ。事実、陸上部へ入部するキーコを尻目に、僕はゲームがしたいからという理由で帰宅部を選択した。友達も限りなく少ない。その数少ない友達も、同じくゲーム好きな、周りの生徒から暗いとされている男子ばかりだった。


 思春期説。僕はこの説を推している、というか希望している。中学生になったキーコは、以前のように異性と気軽に接することができなくなってしまった。その異性が自分の好きな相手となったら尚更だ。素直になれず、素っ気ない態度をとってしまう。一緒に帰るところを級友に見られるのが恥ずかしい。話しているところを、笑い合っているところを、恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。


 他にも幾つかあるが、一貫しているのはキーコが変わってしまったということ。事実、彼女は明らかに変化していた。


 頭の禿げ上がった眼鏡の男性教師が、教壇に立って話していた。このたび僕が在籍することになった三年四組の担任、岩口いわぐちだ。おそらく四十代前半で、授業では国語を教えている。上下をジャージで統一し、腕を組みながら、無駄にダンディーな低い声を生徒たちにまき散らしていた。話の内容は、受験がどうのこうの、男女の交際が、家庭が、という普遍的なもの。


 僕は後ろから二番目の、中央やや右寄りの席にいた。出席番号順であらかじめ決まっていた席だが、教室のかなり広い範囲が見渡せるという点で割と気に入った。目の前に、二年から引き続き同じクラスとなった塚田つかだの大きな背中がある。紺色の学生服の肩辺りに白いふけがついていた。「いやなものを見てしまったな」と、僕は慌てて目をそらす。


 目をそらした先に、キーコがいた。僕から見て左側、窓際の一番前の席だ。始めは、教室に明かりが点いていないため、窓からの逆光でほとんど影だけしか見えなかったが、だんだんと目が慣れていった。彼女は教壇に顔を向けていたが、右手で頬づえをついているため、横顔はほとんど見えなかった。髪の毛は以前より少し伸びたようで、ちょうど首すじが隠れる長さとなっている。セーラー服のトップスの裾から、わずかに生身の腰が覗いていた。


 始業式を終えたあとの、ホームルームだった。三年に進級し、僕らは再びめぐり会った。「このまま何ごともなく平穏に中学を卒業し、キーコと二度と顔を合わさずに生きていけたらどんなに気楽だったろう」とも考えた。でも、本当はやっぱり嬉しかった。二年の月日の中で、二人の距離は果てしなく広がってしまったけれど、その距離をまた縮められるかもしれない。「最後のチャンスを神さまがきっと恵んでくれたのだ」と信じることにした。


 他の生徒だってみんなそうだが、キーコは相槌一つ打たず、つまらなそうに岩口の話に耳を傾けていた。そんななんでもないことが、とても悲しく感じる。なぜなら、彼女はキーコだからだ。僕がよく知るキーコは、休み時間はもとより授業中も、朝礼中も、どんなときも、いつもあのにこにことした笑顔を浮かべていた。


 キーコは変わってしまった。

 でも、この期に及んで僕はまだ彼女のことが好きだった。


基本的に毎週火曜更新予定です。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ