14. 交差する影 <レザト> ①
朝もやが街を包み込む早朝、リタクロスの静寂を破るように、騎士団駐屯所の鐘が鋭く鳴り響いた。
「また魔獣の襲撃か……」
私は机に広げられた地図に赤い印を一つ加えると、深いため息をついた。地図上には既に複数の赤い印が散りばめられ、次第に浮かび上がる一定のパターンに眉をひそめる。
視線を落とすと、昨晩の戦いで負った手の甲の傷が目に入った。一瞬の隙を突かれ、あの黒い霧を纏った魔獣に爪を立てられたのだ。傷口からは体内に黒い霧が這い回るような悪寒が走り、任務中はずっと血が止まらなかった。ギデオンの状態を思い出し、絶望的な気持ちで帰宅した私を、ルチカは優しく抱きしめてくれた。
その瞬間だった。手の甲の傷から滲む血も、骨の髄まで染み入るような悪寒も、まるで煙が消えるように跡形もなく収まったのだ。
連日の公務に加え、夜の哨戒が続くこの数日間。私の年齢を考えれば体調を崩してもおかしくない忙しさだ。だが不思議なことに、ルチカと共に眠ると、翌朝には気力と体力が満ち満ちた状態で目覚める。
これは単なる気のせいではない。ルチカには確かに何らかの力がある。
知らず知らずのうちに、彼女の力に私はまたも救われている。彼女の力の根源について探求したいところだが、今はその余裕はない。
ルチカの謎は一旦脇に置き、今は魔獣出現の背後に潜む謎を追うべきだ。
「だん、団長。昨夜の襲撃のしょ、詳細報告書…で、す」
エドウィンが静かに部屋に入ってきて、几帳面にまとめられた報告書を差し出す。
「ありがとう、エドウィン」
私は報告書を受け取りながら、地図に記された印を指し示した。
「これを見てくれ。魔獣の出現地点だ。何か気づくことはないか?」
エドウィンは眼鏡を直し、地図を真剣に見つめた。
「……確かにに、ある種のパタ、パターンが…見られます、ね。おも主に、街の中心部、特にしょ、商業地区周辺に集中してます……それ、それと北西の工房地区にも」
「そうだ。そして、この赤い印をつけた場所は……」
「す、べて…新しく設置された、ひ、秘石ランプの、位置と…重なります」
エドウィンの言葉に、私はゆっくりと頷いた。
「つまり、魔獣の出現と秘石ランプの間には、何らかの関連性があるということだ」
私は立ち上がり、窓辺へと歩み寄った。窓から見える街並みには、昨晩の襲撃の爪痕がわずかに残っている。人々は既に普段通りの生活を取り戻しつつあったが、その無防備な日常が、再び破壊される可能性を考えると胸が締め付けられる。
祭りの準備に勤しむ街の人々。彼らの笑顔を守ること。それこそが、この領地を託された領主としての私の責務だ。
同時に、命懸けで街を守る騎士団の兵士たちの顔が脳裏に浮かぶ。昨夜、魔獣との戦闘で負傷した三人の部下たち。
彼らの家族は今、どんな思いで彼らの回復を祈っているだろうか。
「祭りを一か月…いや、せめて一週間だけでも延期できればな……」
私は深く溜息をつくと報告書を机に置き、椅子の背にもたれた。
「ふた、二つの立場を持つことの難しさは……よく理解しています。団長は背負うものが多く、ございますから……」
報告書と睨み合う私にエドウィンが心配そうに声をかける。金縁の丸眼鏡の奥から、じっと私を見つめるその眼には、何故だか悔しさに似た感情が滲んでいた。
私の元に文官として赴任してからの数年間、彼は非の打ち所のない働きを見せてきた。聞くところによれば、王都にいた頃は吃音という彼の特性が災いし、辺境の地に飛ばされてきたのだという。
当時、団長の責務に加え、領主としての書類の山に押し潰されそうだった私にとって、エドウィンの存在は救いだった。そしてそれは今日まで変わらない。
「しかしエドウィン、お前の報告書はいつも完璧だな」
エドウィンは静かに頭を下げ、顔を上げると薄く微笑んだ。
「とと、とんでも……ありません」
「通常の秘石ランプが魔獣を引き寄せることはない。だが、最近設置された新しいランプ、特に商人ギルドから提供されたものが……」
「何か、さ、細工がされてる可能性があるということ……で、すか?」
私が言葉を途中で切ると、エドウィンの表情が一瞬曇った。僅かな変化だったが、私の目には明らかだった。
「何か気になることでもあるのか?」
問い詰めるように尋ねると、彼は戸惑ったように視線を泳がせた。
「……いい、いえ。ただ、調査は……慎重、にすす、進めるべきかと」
「慎重に、か。何か心当たりがあるのではないか?」
言葉に力を込めると、エドウィンはさらに口ごもる。
「もも申し訳、ありません。まだ、まだ確証が……」
「確証がない話でも構わない。話してくれ」
エドウィンは小さく息を吐き、目を伏せた。
「きし、騎士団の動きを把握している人物がいる可能性がございます。ひせ、秘石ランプの、設置を推進したノーマン商会……かかか、彼らに通じている者がいるかもしれません」
その言葉に私は眉を寄せる。
「お前がそれを疑う根拠は?」
「じょ、情報の漏洩経路を調べております。ただ、複雑な状況で……」
「複雑?」
「ははは、はい……。ですが、かな、必ず報告いたします。もう少しお時間を……」
彼は私の目をまっすぐ見つめた。その瞳の奥に宿るものが忠誠心なのか、それとも別の何かなのか、私には判断できなかった。
「分かった。だが、あまり時間はない」
エドウィンは静かに頭を下げ、部屋を退出した。
一人残された私は、彼が見せた一瞬のためらいを思い返した。
胸の中で小さな違和感が広がっていくのを感じながら、呟いた。
「エドウィン、お前は一体何を隠している……?」
その言葉が静寂の中に消えていく。窓から差し込む光が、机上の地図に映る赤い印を照らし出す。
ノーマン商会と秘石ランプの関係。情報の漏洩。そして黒い霧を纏った魔獣たち。
これらの糸を手繰り寄せるためには、一人の男に会う必要があった。
私は決意を固め、立ち上がった。
商人ギルドのサブマスターであり交易主任、あの狐のような男——カイ・ルーガスなら何か知っているはずだ。




