7.獣の本能、人の駆け引き <レザト>
商人ギルドの建物が視界に入った瞬間、ルチカの息が止まったかのように感じた。
真昼の太陽の下で輝くその姿は、リタクロスの街並みの中で突出して豪華で、まるで異世界から降り立った黄金の宮殿のようだ。
白亜の外壁には、繊細な彫刻が施された黄金の装飾が絡みつき、その煌めきは真上から降り注ぐ陽光を反射し、見る者の目を眩ませる。
よく見ると、その装飾には様々な商家の紋章が巧妙に組み込まれており、まるで商人たちの権勢を誇示するかのようだ。
中央に据えられた巨大なステンドグラスは、真昼の光を受けて七色の光彩を放っている。
その色彩の中に、リタクロスの歴史や繁栄を象徴する図柄が描かれているのが見て取れる。
街の再開発を象徴するかのように、古い街並みから新しい街が生まれる様子が色鮮やかに表現されている。
建物の周囲には、他の街区とは明らかに異なる雰囲気が漂う。
高い壁に囲まれたこの一帯は、通りに面した商家の邸宅も、それぞれが趣向を凝らした装飾で飾られ、その豪華さを競い合っているかのようだ。
「まるで……夢の中にいるみたい…」
ルチカの声は震えていた。
「でも、なんだかリタクロスの他の場所とは違う感じがします」
私は静かに頷いた。
「そうですね。ここは商人たちが自らの力で作り上げた街の中心。彼らの見栄と野心が、この華美な姿を生み出したのでしょう」
確かに、この建物は圧倒的な存在感を放っている。
しかし、その華美な外観の裏に潜む真実を、私は知っている。
美しい外観に惑わされてはいけない。この建物の中で繰り広げられる駆け引きこそが、真の姿なのだから。
「でも、ルチカ。外観に惑わされてはいけません。この建物の中で何が行われているのか、よく見極める必要があります」
ルチカは一瞬戸惑いの表情を浮かべたが、すぐに凛とした眼差しで私を見上げた。
「はい、レザト様……!」
これから始まるのは、剣を交える戦いとは全く異なる闘争だ。
正直なところ、このような腹の探り合いは私の本意ではない。
直截な剣戟こそが、私の真骨頂というものだ。
しかし、避けては通れぬ道がある。
領主として、そして騎士として、この試練に立ち向かわねばならない。
深く息を吸い、心を鎮める。そして、覚悟を決めた私は、扉へと歩を進めた。
重厚な扉が開かれると、甘美な香水の芳香が一気に押し寄せ、私の鼻腔を満たした。
その瞬間、最も避けたかった人物の声が、鋭く響き渡る。
「やぁやぁ、ようこそいらっしゃいました、レザト様ァ!!」
その声に続いて現れたのは、深い森の奥底を思わせる深緑の髪、鋭利な刃物のように細く切れ長の瞳、そして常に計算された笑みを湛えた口元を持つ男、カイ・ルーガスその人だった。
彼の姿を目にした瞬間、私の背筋を氷のような戦慄が走り抜ける。
カイの笑顔の裏に潜む狡猾な計算高さ、その瞳に宿る狐のような狡知。
そして、私と同じ獣人であることを示す尖った耳と、しなやかに揺れる長い尾。
かつての同胞が、今や最も警戒すべき者へと変貌を遂げた運命の皮肉さに、言いようのない苦さを覚える。
「カイ、久しぶりだな」
私は警戒心を隠しつつ、冷静に応じた。
カイは丁寧に頭を下げると、ルチカに視線を向けた。
彼の目が一瞬、獲物を見つけた猟犬のように輝いたのが見えた。
「おやおや、こちらの麗しき女性はルチカ様でしょうか」
甘く媚びるような調子でカイがルチカを呼ぶ声に、つい苛立ちを覚えてしまう。
「お噂はかねがね伺っておりましたが、実物は月光のように清らかで美しい。レザト様が手放さないのも頷けますねェ」
その言葉に、私は無意識のうちにルチカの前に立ちはだかっていた。
獣人としての本能が、大切なものを守ろうとしているのだ。
カイはそれを見逃さず、意味ありげな笑みを浮かべた。
「おっと! 素性も明かさずズケズケと失礼致しました」
カイは軽く咳払いをして、改めてルチカに向き直った。
「ルチカ様、ワタシは商人ギルドのサブマスター及び交易主任を務めておりますカイ・ルーガスと申します。レザト様とは旧知の仲。以後お見知り置きを……」
そう言いながら、カイはルチカに向かってウインクをした。
私は思わず低い唸り声を喉の奥で鳴らす。カイの軽薄な態度に、怒りが込み上げてくるのを何とか抑える。
「いやあ、ギルドマスター直々にお出迎えと行きたいところでしたが、何分忙しくてですねェ」
カイは両手を広げ、困ったように肩をすくめた。
「僭越ながらこのワタシがレザト様一行をご案内させて頂きますよォ」
まるで舞台上の役者のように計算されている動きだ。
その仕草が、その声が、蜘蛛の糸のように巧妙に私の思考を絡め取り、その網の中心へと手繰り寄せるような。
「さて、レザト様」
砕けた表情から一瞬、カイは真剣な表情を浮かべこちらを見る。
「騎士団の状況は伺っております。魔獣の襲撃が激化しているとか。大変な時期に商人ギルドにお越しいただき、感謝申し上げます」
「カイ。相変わらず耳が早いな」
カイは軽やかに肩をすくめ、狐のような笑みを浮かべる。
「常に最新の情報に気を配るのも商人の務めなものですからねェ。この街で起こることは、風が運んでくるんですよ」
彼は一歩近づき、声を落とした。
「何かお知りになりたいことがあれば、なんなりとお聞き下さい。ギルドの耳と目は、レザト様のためのモノでございますから」
その言葉に込められた意味を推し量りながら、私は一瞬の躊躇の後、話を進めることにした。
「そうか。では、リタルク・ルミナリアの準備状況を聞かせてくれ」
彼は満面の笑みで応じ、優雅な仕草で廊下を指し示した。
「もちろんですとも! 立ち話もなんですから、ささ、どうぞこちらへ。ゆっくりとお話しいたしましょう」
彼に促されるまま、私たちはギルド内のある一室へと足を進める。
ルチカの手を軽く握り、私は無言の警告を送った。
カイの甘い言葉の裏に潜む真意を見抜かねばならない。
ここでの全てが、シュヴァルツェルト領の未来を左右するのだから。
またまた新キャラ登場! 今度は何やらレザト様と因縁がありそうな獣人の男、カイです。




