4.救いの手? その③
ローレンス家のみんは雰囲気悪いですね~。
ここでようやく、レザトの名前が…!
「やあ、戻るのが少々遅かったじゃないか。我らの尊い花嫁殿を連れて、一体何処へ遊びに行っていたんだ、我が愛する息子よ」
奥様の書斎。扉を開けて待っていたのは、氷のような冷たさと威厳を纏った奥様に、その奥様とは対照的な、明るく無邪気な笑顔を浮かべた旦那様だった。
「……」
ジョシュアは旦那様の言葉にぎろりと睨みを利かすだけで何も言葉を返さず、座っている奥様の方へと足を進める。
私も恐る恐るジョシュアの後に続く。奥様の書斎へは何度か入った事はあるけど、全ての壁が本棚で埋め尽くされたこの光景はいつも圧倒される。
古く時代を経た木の香りが、この書斎がローレンス家の長い歴史と知識を積み重ねた場所なんだと実感させた。
ふと視線を感じてその方向を見ると、旦那様の緑色の瞳がこちらを見つめていた。その淡く澄んだ色は、金色の髪から浮かび上がって見えて、思わず体が強張る。
ジョシュアと同じ色の瞳。
改めてジョシュアは旦那様によく似ていると思う。
この事をジョシュアに言うと怒り狂って機嫌が悪くなるので黙っているけれど、二人の関係を何も知らない人が見ても、彼らが親子だと気付くと思う。
旦那様は私の泣き腫らした目に気付いたのか、驚いたように目を見開いた。
「ふむ。二人とも10年も一緒に暮らす【家族】だものな。別れを惜しむ時間は必要か。ジョシュア。女性の“慰め方”はちゃんと心得ているかな? 私の息子だというのにお前は女性に対する扱いが……」
「口を閉じろ、うるさい」
旦那様はため息をつきながら肩をすくめ、ゆっくりとカウチソファに体を預けた。
相変わらずジョシュアの旦那様に対する態度は拒絶の二文字しかなくて、見ているこっちはハラハラしてしまう。
けれど旦那様はその性格もあってか、ジュシュアの態度を特に諌めたりせず、不思議な親子関係だなと見る度に思う。
「母上、連れてまいりました」
「そう、ありがとう」
奥様が私の方にゆっくりと顔を向ける。深い青色の瞳が、品定めするように私をじっと見つめる。その視線に、緊張から口が乾いてしまう。私はぎゅっと手を握り締めた。
「ほんと、不思議ねえ」
ふう、と奥様が長く息を吐く。
「あなたみたいなどこにでもいる小娘の何が気に入ったのかしら? まさか二人から婚約の申し込みが来るなんて」
「二人……!?」
ジョシュアが驚いた顔で呟く。私も同じく耳を疑った。
婚約の申し込みはノーマンだけじゃなかったの?
「今日、またあなた宛に使者が来たの」
「使者……ですか? 一体誰が……」
呆然とする私に、奥様はしっかりした口調でその人の名前を告げた。
「レザト・フォン・シュヴァルツェルト。シュヴァルツェルト領の領主であり、国境騎士団の団長でもある救国の英雄と謳われる人物よ」
「シュヴァルツェルト…!?」
私と同じ名前……。
またこの名前を耳にするなんて、どういうことなの?
「そう、あなたと同じ家名。あなたの両親がかつて治めていた領地は今、彼が治めているのよ」
「そんな人が…なぜ私に婚約の申し込みなんて……」
「さあ? 送られた書状には当たり障りのない事しか書いてないしねぇ」
そう言って奥様が立ち上がる。
その動きはまるで猫が獲物を狙うようにゆっくりと、一歩一歩確実に私との距離を縮めていく。
口元に浮かぶ笑顔は不自然なほどに明るくて、そのちぐはぐさがひどく奇妙で怖い。
こちらに近づいてくるたびに、奥様の圧力を肌にビリビリと感じて、私は思わず後ずさってしまった。
「あなたがローレンス家に来て10年……色々と厳しい教育をしてきたけれど、どれも全部あなたのためと思って心を鬼にしてやったこと。賢いあなたなら分かってくれていると思ってるわ」
「は、はあ……」
……教育?
朝から晩まで無償で働かされる奴隷のような生活を、堂々と『教育』と名付ける奥様の厚顔無恥さには、ただ呆れて言葉も出ない。
「ようやく幸せになれるのね。おめでとう。私には娘がいなかったから、あなたの事は本当の娘のように思ってるのよ。これからはシュヴァルツェルト卿の奥様として自分の勤めをしっかり果たしてちょうだいね」
「シュヴァルツェルト卿…!? 母上、こいつをシュヴァルツェルト卿に嫁がせるのですか?」
「ええ。ノーマン総裁との繋がりはローレンス家としても魅力ではあったけれど……彼、良くない噂があるでしょう? 大事な娘を嫁がせるには、ちょっとねぇ…ふふふ」
奥様は何が可笑しいのか、口元に手を当ててニヤついた笑みを浮かべている。
「その点、シュヴァルツェルト卿は先の大戦での活躍が認められ、領地を与えられた英雄よ。人格も身分もあなたには勿体ない方。何よりあなたの故郷の領主だなんて運命的ね!」
笑顔だった奥様の顔にサッと影が差す。
「断る理由なんて、ないわよねぇ……?」
ひどく落ち着いたトーンの声、その中に有無を言わさない凄みを感じて、喉が張り付いたように声が出ない。
『いいえ、私は自分の意志で結婚相手を選びます!』
そんな声に出来ない叫びが、私の頭の中でぐるぐると渦を巻いて彷徨っている。
ノーマン総裁も奥様も、大人はみんな私から奪っていく。
言葉も。未来さえも。
「は、い……」
溢れる思いは言葉に出せないまま、私の口から漏れ出たのは僅かに震えた声だけだった。
「しかし、シュヴァルツェルト卿はまだ結婚してなかったんだな。確か彼、私たちと同年代だったろう? あれほどの男が40過ぎてまだ独身だとはなあ……他の女性が放っておかないだろうに。……ま、彼は“アレ”だからな。貴族は敬遠するかもしれないな」
カウチに寝転びながら、旦那様が不思議そうな顔をして独り言のように呟く。
「それにしても20も年の離れた若い娘と結婚とは、同じ男として何とも羨ま……」
瞬間、奥様とジョシュアの刺し殺すような視線を感じて、旦那様の顔が引きつる。
「あなた。無駄口を叩くほどお暇なら仕立て屋を呼んで下さる? あなたの馴染みの女がいる店。あなたが呼べばすぐ来るでしょう」
「仕立屋? 母上、一体何をなさるつもりですか?」
「ふふふ、ジョシュア。これから忙しくなるわよ。シュヴァルツェルト卿が親睦の証として領地で討伐した貴重な魔獣の毛皮を送って下さったの。それも大量にね。今後もうちと優先的に取り引きして頂けるようだからその段取りをしなくちゃ」
目まぐるしく変わる状況。
みんな、好き勝手な方向へ歩き出す。
私一人を置き去りにして。
「……」
心が……まだ追いつかない。
ノーマン総裁との婚約がなくなったのは良かったけれど、今度はシュヴァルツェルト卿?
故郷の領地を治める、私と同じ名前の方。
旦那様の話では、親子ほど年の離れた人だと言うけれど……。
「あら」
その場に佇む私が視界に入ったのか、奥様が声を上げる。
「ああ、出てっていいわよ。用は済んだから」
奥様はちらりと私を見たあと、もう私に興味はない様子で机上の書類に目を通し始めた。
「今日はゆっくり休んでちょうだい。明日にはシュヴァルツェルト領に出発しますからね」
明日……?
耳を疑う言葉に一瞬、固まる。
「明日ですか!? いくら何でも急では……」
ジョシュアが呆然としている私の気持ちを代弁したように、奥様に聞き返す。
「うちのモットーは即断即決よ。シュヴァルツェルト卿の気が変わらないうちに、書状の返信と一緒に領地へ向かえば手っ取り早いでしょ」
奥様は、商品を出荷するのと何ら変わらないといった感じで、自分の言ってることの残酷さをこれっぽっちも理解してないようだった。
やっぱり、この家にとって私はただのお荷物でしかないのだと強く実感する。
「ああ、楽しみね。今日は特別なご馳走にしましょう。ローレンス家とあなた。新たな門出を皆で祝いましょうね」
奥様の声が、重苦しい書斎の中でやけに楽しげに響いていた。