6. 騎士団の疲弊① <レザト>
リタクロスの街は、光の祭り「リタルク・ルミナリア」の準備で熱気に包まれていた。
太陽の光を受けて煌めく虹色の旗が風にはためき、街路樹には色とりどりの秘石ランプが無数に揺れていた。
人々の笑い声と靴音が石畳に響き、空気は期待と興奮で震えているようだった。
香辛料と焼き菓子の甘い香りが鼻をくすぐり、祭りの到来を告げていた。
しかし、この華やかな雰囲気とは裏腹に、私の胸の内は鉛のような重さで満ちていた。
2週間前、チェシャとエドウィンからの報告書の文字が、今も目の奥に焼き付いている。
騎士団の疲弊——その言葉が、胃の中で冷たい塊となって沈んでいた。
この状況を早急に改善せねばならないという責任感が、私の背中を押していた。
そのために祭りの開催1週間前からこの地に赴いたのだ。
祭りの準備で賑わう街を横目に、私たちは静かに騎士団の駐屯所へと向かう。
靴底が石畳を踏む音だけが、私たちの存在を主張しているかのようだった。
ふと、ルチカの眉間にうっすらと寄った皺が入る。私の緊張が伝わったのだろうか。
「ルチカ」
私は声を柔らかくし、僅かに笑みを浮かべた。
「見事な飾り付けですね。まるで街全体が宝石箱のようだ」
ルチカの表情が和らぎ、頬がほんのり赤みを帯びたように感じる。
「はい...まるで夢の中にいるみたいです」
駐屯所の重厚な石造りの建物が視界に入ると、私は思わず足を止めた。
ここでの話し合いは避けられない難題の数々だ。
ルチカとレオの顔を見て、一瞬ためらいが胸をよぎる。
「……ルチカ、レオ」
私は咳払いをして言葉を続けた。
「馬車の移動で疲れたでしょう。貴女たちは先に宿で休んでは? 騎士団での話は…….退屈な大人の話になりそうでしてね」
「え...」
ルチカが小さく息を呑む。
レオは目を丸くして、ルチカと顔を見合わせた。その目には明らかな失望の色が浮かんでいる。
「いいえ!」
ルチカの声が予想外に強く響く。
「私...私はレザト様と一緒に参ります」
彼女の言葉に、レオの顔が一瞬曇る。
しかし、すぐに決意に満ちた表情に変わる。
「オレも行く!」
レオが拳を握りしめる。
「オレだけ除け者はやだ!」
その言葉に、私は息を呑んだ。二人の決意に満ちた眼差しに、自分の取り越し苦労を恥じる。
ルチカは彼女なりに私を支えようとしている。
レオも、父との再会を楽しみにしていたのだろう。
「そうだな……2人の言う通りだ。一緒に行きましょうか」
そっと2人の肩に手を置き、私たちは重厚な扉に向かって歩み始めた。
「レザト団長だ!」
「団長、お待ちしておりました!」
騎士たちの声が、冷たい石の壁に反響し、まるで歓迎の鐘のように廊下中に鳴り響いた。
秘石ランプの揺らめく光が、鎧の金具に反射して鈍い閃光を放つ。
足音が石畳を打つ度に、僅かに湿った空気が鼻をくすぐる。
その中に、かすかに漂う革と金属の匂いが、騎士団特有の雰囲気を醸し出している。
廊下の突き当たり、古びた樫の扉が目の前に立ちはだかる。
その重みに耐えかねたかのように、蝶番がかすかに軋む音を上げた。
扉を押し開けると、部屋の中から懐かしい声が雷鳴のように轟いた。
「おっと、これは我が国境騎士団の英雄様じゃないか!」
肩まで伸びた漆黒の髪をかき上げる音が、まるで鎧の擦れる音のように鋭く響く。
「やっと顔を見せてくれたな、レザト!」
ギデオンの声が部屋中に轟き、壁に掛けられた盾が微かに震える。
彼の声は表面は荒々しく耳に突き刺さるが、屈託のない大らかさがあった。
彼は重厚な樫の椅子に深く腰掛けたまま、片手を大きく振り上げる。
その動作に一瞬の痛みが走ったのか、顔をわずかに歪め、歯を食いしばる音が聞こえた。
椅子の軋む音と共に、彼の鎧が軋むような音も響く。部屋に漂う薬草の香りが、その痛みを物語っているようだ。
「ギデオン...」
私は彼の様子を窺いながら、静かに応じた。
「相変わらず騒々しいな。まるで戦場の太鼓のようだ」
ギデオン・クレストフォード。
彼の名を心の中で反芻すると、幾多の戦場で交わした誓いの重みが、まるで鎧のように私の身体を包み込む。親友であり、背中を預けられる戦友。
しかし、今のその姿に私は一瞬たじろいだ。彼の顔に深く刻まれた疲労の刻印。
肩にかかる黒髪は、以前の艶を失い、まるで戦場の灰のように色褪せていた。
彼の息遣いは重く、甲冑の下で筋肉が震えているのが見て取れる。
しかし灰褐色の瞳だけは、変わらず鋭い光を湛えていた。
そのギデオンの目がゆっくりとルチカに向けられる。
彼の瞳孔が開く様子は、まるで獲物を見つけた鷹のようだ。
太い眉根が持ち上がり、その表情には好奇心と、何か別の感情―――警戒心に近い何かが混じっているように見えた。
「おやおや、レザト。まさか噂は本当だったのか?」
彼は口角を上げ、からかうような口調で続けた。
「こんな若い娘を妻に...ふむ、お前にこういう趣味があったとはなあ」
どこかルチカを値踏みするようなギデオンの目つきに、私はあからさまな嫌悪の視線を向ける。
「チェシャから聞いた時は冗談かと思ったぞ。お前が恋愛沙汰とは、世も末……」
「ギデオン!」
反論しようとした私の背後から、エマが一歩前に出て、まるで剣を振るうかのように鋭く言い放った。
「ギデオン、その舌、切り落とされたいのかしら?」
「エエエエ、エマ!?」
豪快なおっさん、ギデオンの登場です。




