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4.救いの手? その②

「ノーマンが子猫ちゃんと婚約ぅッ!?」


木箱に腰掛けて話を聞いていたチェシャさんは婚約の二文字を聞いた途端、木箱から勢いよく飛び降りた。


「そ、それで子猫ちゃんはオッケーしたの?」

「オッケーも何も……私の返事なんて何も聞かずに、勝手に宣言だけしていなくなったから」

「そっかぁ……あのノーマンが……」


チェシャさんは手を顎に当てて、何か考え込むような素振りをしている。

紫色の瞳には鋭い光が宿っていて、いつもの彼女の快活な印象から離れたその表情にドキリとした。

チェシャさん、一体何を考えてるんだろう……?


「まだ、正式には決まってないんだよね?」

「うん……。ノーマン総裁は後日、ローレンス家に使者を送るっていってたから。でも近いうちに正式に決まると思うわ」

「よし!」


言い終わるや否や、彼女は出口に向かって歩き始めた。


「チェシャ! 何か用があったんじゃないのかい?」 


レナが不思議そうに尋ねる。


「ちょっとヤボ用思い出しちゃってさ! また改めて来ま〜す!」


こちらに背を向けたまま、チェシャさんはひらひらと手だけ泳がせて返事をする。

そのまま出口についたかと思うと、くるっと向き直って最後、私を見てニヤリと笑った。


「また会おうね、子猫ちゃん」




◇◇◇




あれから7日。

今日もいつも通りの日々を過ごしている。

あの日からジョシュアもチェシャさんも倉庫に顔を出す事はなく、一見平穏な日常に戻ったようにも思える。


けれど昨日、とうとうノーマン総裁の使者がローレンス家に来たらしく、お屋敷はひっくり返ったような騒ぎだったらしい。


昨日、疲れた身体を押して帰宅した所、奥様に捕まり長い間質問責めにされたのはとても辛かった。

滅多に帰ってこない旦那様までいて、二人して私にノーマン総裁との関係について聞かれた。


出会ったばかりの人の事を根掘り葉掘り聞かれても答えようがない。

よく分かりませんと答える私に、奥様は「はぐらかさないで!」と怒鳴り散らした。

深夜になってようやく解放されたものの、お陰で今日は寝不足だ。


奥様たちは今、おそらく私の婚約条件を詰めているのだろう。

この倉庫で出荷を待つ商品みたいに、時が来れば私も市場に出され、売られる運命が待っている。そこに私の意思なんて何一つ関係ないのだ。


「はあ……」


心の中の重苦しい気持ちは、ため息を吐いても吐き出される事はない。

その重さに耐えきれず私は近くの木箱に寄りかかった。


いっそ、ここから逃げ出してしまおうか。

出荷される木箱の中に潜んで船に乗ってしまえば、いくらノーマン総裁でも追ってこれないかもしれない。


でも、彼から逃げてその後は?

船に潜んでいるのがバレれば、当然罰せられるだろう。

見つかって船の男たちに乱暴されることもあるかもしれない。

港にいれば、この手の耳を塞ぎたくなるような下品な話はいくらでも聞く。 


なら大人しくノーマン総裁の妻になって、彼に取り入って少しでも自分が生き残る道を探す方が賢明なのかもしれない。

結局、どう進んでも私の今後行く道は真っ暗闇で、少しでも足を踏み外せば奈落へ突き落とされる。

死と隣り合わせの緊張感に満ちた日々が続くのだろう。

……駄目だ、どんどん暗い方向ばかり考えてしまう。


ノーマン総裁に見初められた事をチャンスと考えて、上手く立ち回ること。

それが私の出来る唯一の事だと頭では分かってるはずなのに。


だけど、彼が何故私なんかと結婚を望むのかが理解できない。

彼はレヴァナス王国の一流の商人。たとえ彼に悪い噂があっても、結婚を望む女性はたくさんいるだろうに。


私はレナが話してくれたノーマン総裁の前妻たちの事を思い出した。

彼女たちは一人一人が華やかな経歴を持つ、大商人の令嬢や社交界で名高い美女、人々を魅了する舞台女優たちだった。


私には、彼の前妻たちのような華々しい経歴も、輝く美貌もない。

彼の目に私はどう映っているのだろう。


私が選ばれた理由……私とノーマン総裁を繋ぐ接点……。

私がシュヴァルツェルト家の人間だから……?


「おい」

「ジョ、ジョシュア!?」


鋭い声に顔をあげると、いつの間にかジュシュアが私のそばで腕組をして睨んでいた。

慌てて、寄りかかっていた木箱から体を離す。


「仕事の手を休めて物思いに耽るとはいいご身分だな」

「ご、ごめんなさい。すぐやるから……」

「それはもういい。母上からお前に呼び出しがかかった。今すぐ屋敷に来いとのことだ」

「えっ……?」


突然の言葉に、思わずジョシュアの顔を見つめた。

ジョシュアはただ黙って私の困惑した顔を見ている。

一週間ぶりに見るジョシュアの顔は、目の下にクマが出来ているし、頬もややこけて見えた。……どうしたんだろう?

ノーマン総裁の事で何か奥様に頼まれ事でも受けて忙しかったのだろうか。

それとも、お見合いの件……?


「いつまで呆けている。……とっとと行くぞ」


ジョシュアの声は苛立ちを隠さず私を責め立てる。

けれど、体が中々動いてくれない。

奥様がわざわざ私を呼び出すという事はノーマン総裁との婚約の話がまとまったのだろう。

結果は分かりきっているのに、それを聞くのが恐い。


「や、だ……」


ぽつりと漏れてしまった心の声。

声に出してしまった事に私自身が驚く。

声にしたところで何も変わるわけじゃないのに。


それでも、一度声に出すと今まで押し込めて無視していた感情がどんどん溢れてくる。

ローレンス家から抜け出して、レナやチェシャさんみたいに自分の力で誰にも縛られず、自由に生きてみたかった。

結婚なんてしたくない。

恋も……好きな人すらまともに出来た事がないのに。

私も誰かを愛して、愛されてみたかった。

愛のない結婚をして、さらに自分が殺されるかもしれない危機に怯える毎日なんて、誰が望んだだろう。


「ふっ、うっ…」


ぐちゃぐちゃになった感情が涙となって、溢れ出すのを止められなかった。


「おい……」


ジョシュアの困惑する声が聞こえる。


「……間抜けな顔を晒すな。お前が泣いた所で何一つ変わらん」

「わか、わかってるっ……!」


ジョシュアの前で泣いてしまった。

小さかったあの頃、ジョシュアに意地悪されて泣いてばかりいた自分に戻ったみたいだ。

あの頃より少しは強くなれたと思っていたのに。

もう涙なんか見せないと自分に約束したはずなのに。


「しょうがないヤツだな。泣き止むまでは……待ってやる」


ジョシュアは私に背を向けて呟いた。その声は、いつもよりも穏やかに聞こえた。


「うん……ありがと」


ジョシュアの背中が、私の視界全体を占める。

彼の背中に身を隠すようにして、私は静かに涙を流した。

落ちた涙一つ一つがジョシュアのマントにぽたりと落ちては、心の声を無言の染みとして残していった。



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