1.特異点
いよいよ新章突入です! レザト様とルチカのラブラブっぷりが加速……するのか⁉
午後の陽だまりが、シュヴァルツェルト家の屋敷に温かな光を注いでいる。
メイドのフェリシアが入れてくれたハーブティの香りを楽しみながら、私は屋敷内の一室にあるエマさんの治癒室で秘石についての学びを深めていた。
「エマさんに貸していただいた本、本当に理解しやすくて面白かったです!」
「ルチカ様、熱心に学ばれていて素晴らしいですわ。あの本がお役に立ったようで私も嬉しいです」
私が感謝の言葉を述べると、エマさんは仕事の書類に目を落としながらも、私に温かな微笑を向けてくれた。作業をしている彼女の机の上は薬草や瓶、さまざまな器具で溢れ、秘石の欠片を収めた小さなケースが脇に置かれている。
この治癒室は、騎士団のメンバーや時には領民のためにも開放される場所。広々とした部屋には、白いリネンが敷かれた治療用のベッドが複数並び、その上方を流れるようなアーチ状の天井が包み込んでいる。
窓際に配された緑豊かな植物たちは、大きくアーチを描いた窓からの光を浴びて命に溢れるように輝いて、この部屋がただの治療の場ではなく、癒しと安らぎの空間であることを私に教えてくれる。
この居心地の良い空間は、エマさんの治癒師としての温かな心遣いが生み出しているもので、私は何度もここに来ては、彼女の好意に甘えていた。
「秘石は魔術師の方にとって、命にも等しい存在なんですね」
エマさんへの質問は、私が読んだ本からの知識と好奇心から生まれたものだった。エマさんが選んでくれた本は、秘石との出会いから始まり、魔術を駆使して王国一の魔術師へと成長する主人公の物語で、読み進めるうちに自然と秘石への理解も深まっていった。
「ええ、その通りですわ。魔術師にとって秘石は常に側にあり、私たちの力の源です。実際、『秘石が魔術師から手放されるのは棺に入る時だけだ』という言葉もあるほどです」
「そういえば…ふと思ったんですけど、秘石を身体に埋め込めば盗まれる心配もないし、ある意味効率的だと感じたんですが、それはしないんでしょうか?」
ふとした疑問を投げかける。秘石は魔術師にとって命と言ってもいい大事なもの。
それならいっそ、物理的に外せないようにすればいいのに、なんて思ってしまう。
「ふふふ、過去にそういった事を行った魔術師の話は魔術書でも幾度も出てきますわ。しかし、その末路は悲惨です。体内に秘石を取り込むことは自殺行為です。秘石の力に身体が耐えられないのです。人間とは違い、魔獣などの一部個体には秘石を取り込んだ生物もいるという話は聞いたことがありますが…伝説の域をでませんね」
「へえ……」
「母様!」
ばたばたと慌ただしく走る音と共に突然、治癒室の扉が勢いよく開いた。
明るい声が部屋に響き渡り、エマさんと同じ水色の髪がぴょんぴょんと跳ねる。
「あら、レオ。お行儀が悪いですよ。ルチカ様がびっくりしていますわ」
「あ、ルチカねーちゃん! こんにちは!」
「こんにちは、レオ」
部屋に入って来たのはエマさんの息子のレオだった。レオは今年七歳になる男の子でエマさんによく似た元気な子だ。
私がエマさんの治癒室に通うようになって、レオとも知り合うようになった。
レオはよく、エマさんの治癒室や騎士団の訓練所を遊び場にしてるようだった。
レザト様も特にそれを禁止したりせず、好きなようにさせている。
エマさんの旦那さんは同じ騎士団の副団長で、今はリタクロスの駐在所で魔獣討伐の任務についていると話してくれた。
もう三年近く一緒に暮らしていないんですと語るエマさんの横顔が少し寂しそうだったのを思い出す。きっとレザト様もそれを気にして、レオが騎士団内を自由に遊ぶ事に何も言わないのかもしれない。
「そうだわ、ルチカ様。よろしければ一緒に秘石の適性テストをしてみませんか?」
「適性テスト……ですか?」
私は少し緊張気味に聞き返した。
「ええ、秘石に適性があるかどうかを調べるテストですの。魔術師になる素質があるかどうかを見極める大切な儀式なんですよ。お貸しした本の中にもあったでしょう? せっかくの機会ですから実際に試してみるのがよろしいかと」
エマさんはそう説明しながら机の上の小さなケースを手に取り、中から色とりどりの秘石の欠片を取り出した。
「やり方は簡単です。これらの秘石の欠片を手に取って、その存在に語りかけるだけ。もしあなたに適性があれば、秘石が反応を示すはずです」
目の前に置かれた色とりどりの秘石の欠片にある記憶が過る。
港の倉庫で、ジョシュアから渡された秘石の欠片を磨いていた時のこと。ふとした瞬間、水浸しになってしまったあの出来事を。
「実は以前、港で秘石の欠片を磨く仕事をしていた時、突如として水びたしになったことがあったんです。もしかして、あれは秘石の力が働いたということなのでしょうか?」
「水、ですって? それはまさに、私と同じ水属性の秘石、ピュアリア・アクアリスに対する適性の表れかもしれませんね」
「ルチカねーちゃんもやってみようよ! 俺も水属性の秘石に反応したんだ!」
レオが嬉しそうに言った。
「レオも私と同じ属性の適性があるのです。ふふふ、将来有望な魔術師になるかもしれませんね」
エマさんの口元に優しい微笑みが浮かぶ。
「分かりました、やってみます!」
私は心を決め、言葉にした。
エマさんに導かれるまま、私は秘石の欠片を一つずつ手に取っていく。
最初の水属性の秘石を手にした瞬間、不思議な感覚が全身を駆け巡った。
この感覚、覚えてる……! 初めて秘石を触った時のあの感覚。
やっぱりこの感覚は秘石と繋がる感覚だったんだ!
私も秘石への適性があったなんて……心の中が段々と喜びで満ちてくる。
でも待って。このままだとまた前みたいに水浸しになるかもしれない。どうしたら……。
ふと視線の先、エマさんの机の上に空になった薬瓶が置かれていた。
あの瓶の中に水を吸い込ませるイメージを思い浮かべる。すると心の奥で何かが輝くような感覚があり、次の瞬間、秘石から螺旋を描くように水が噴出し、まるで瓶に吸い寄せられるように収まっていった。
「ええっ……!?」
「わあ、ルチカねーちゃんすごい!! 今のどーやったの⁉」
エマさんとレオの驚嘆の声が飛び交う中、私は不思議な高揚感に包まれていた。
「うーん、なんていうか……。頭の中でイメージを思い描いて、秘石にお願いをするような感じで……」
そういえば、秘石はどうなったんだろう。
手の中にあるはずの秘石に目を落とすと、今回の秘石は手の中で粉々になっていた。
「ルチカ様、まさかこのような低レベルの秘石で、あのような芸当を成し遂げるとは……。本当のところ、あなたは魔術院の生徒だったのではありませんか?」
エマさんの瞳には驚きと疑念の色が混じり合っている。
「い、いえ、そんなことは! 私は幼い頃から最近まで、ずっと港の倉庫で働いていたんです。魔術を学ぶ機会なんて、一度もなくて……」
私は慌てて弁明した。
「そうだったのですね……」
エマさんは顎に手を当て、何かを思案するように眉を寄せる。
けれどすぐに、いつもの穏やかな笑みを浮かべて私を見つめた。
「ルチカ様、あなたの才能は本当に素晴らしいですわ! 水属性の秘石に対する適性は群を抜いています。正しい訓練を積めば、きっと私をも上回る水属性の魔術師になれるはずです」
「は、はあ……」
漠然とした返事を返す私に、エマさんは畳みかけるように言葉を続ける。
「もしよろしければ、本格的に秘石について学んでみませんか? 治癒の力を自在に操れるようになれば、きっとレザト様も……騎士団にとっても心強い味方になるはずです」
「レザト様の役に立てるなら……! ぜひ、教えてください!」
私の声は、自分でも驚くほどの熱を帯びていた。
レザト様のために、みんなのために。私の力が少しでも役立つのなら、惜しむことなく捧げたい。
そう心に誓う。
「うふふ、その意気です! そうですね、まずは魔術院のカリキュラムに沿って……いえ、ルチカ様向けにアレンジを加えた方が良いかもしれませんね」
エマさんは呟きながら、本棚に歩み寄り、何冊かの本を取り出した。
「ねえねえ、ルチカねーちゃん! じゃあ次は、この緑の石はどう?」
レオが興奮気味に次の秘石を差し出す。
「分かった、やってみるね」
私は微笑み、差し出された秘石を手に取った。
「レオ、普通の人は一つの属性にしか適性がないのよ。ルチカ様はすでに水属性に強い適性を示しているのだから、二つ以上は……きゃっ!」
エマさんの言葉は、突如起こった風に掻き消された。
私も驚きを隠せない。まさか、こんな風が起こるなんて……。
「すごい、すごーい! じゃあこの赤い石は?」
レオはますます興奮を隠せない様子だ。
私は促されるまま、赤い秘石を手に取る。途端、秘石から真っ赤な炎が天井に向かって一直線に伸びた。慌てて炎を鎮めようと秘石に念じる。何とか天井が焦げるのは免れたようだ。
「わあ! じゃあ最後に、この茶色い石!」
レオが暗褐色の秘石を私に手渡す。
何だか力を込めるのが怖くなってきた。そっと優しく、力を込めるイメージで秘石に語りかけてみる。
「あれえ、何も起こらないや」
レオが肩を落として呟く。私はほっと胸を撫で下ろした。
良かった……さっきみたいな強烈な反応がまた起こったら、部屋の中がめちゃくちゃになるんじゃないかって心配してたもの。
「わっ! ルチカねーちゃんこれみて! お花が咲いたよ!」
「花……?」
レオの声に振り向くと、机の上の植物から次々と蕾が膨らみ、美しい花を咲かせている。
色とりどりの花々が、まるで時間を早送りしたかのように次々と花開いていく。
息を呑んで、その幻想的な光景を見つめた。
「ルチカねーちゃん、すごい! 全部の秘石が反応した~!」
レオが興奮気味に叫ぶ。
「エマさん、これはどういうことなんでしょう?」
私は戸惑いながら尋ねた。
「ルチカ様……どうやらあなたはほぼ全ての属性の秘石に適性があるようです。こんなこと、私の知る限り前例がありません……!」
エマさんの声は驚愕に震えている。
私は言葉を失った。全属性の秘石に適性があるだなんて。
それって、私はどんな属性の魔術でも使えるってことなの……?
もしそうなら、私はレザト様にもっと、もっと役立てるかもしれない。
騎士団のみんなの力になれるかも……!
「……」
どうしたんだろう。私の高揚感とは裏腹に、エマさんは物思いに沈んだような顔をしている。
深い考え込みの末に、ふと沈黙が生まれた。
「エマさん……? どうかしましたか?」
私は不安を覚えながら、エマさんに問いかけた。
「ルチカ。ここにいたのか」
不意に、治癒室の扉が開く音がした。振り向くと、そこにはレザト様の凛々しい姿があった。
「レザト様……!」
私はどぎまぎしながら、レザト様に頭を下げた。
「ねえねえ、レザト団長! ルチカねーちゃんが全部の属性の秘石に反応したんだよ! すごかったの!」
レオが興奮気味にレザト様に報告する。一方、エマさんは複雑な表情でレザト様を見つめている。レザト様もまた、その眼差しに何かを感じ取ったようだった。
けれど、すぐに表情を和らげ、私に優しく微笑みかけてくれる。
「ルチカ、貴女は特別な才能を持っているのですね。でも今は、そのことを深く考える必要はない。貴女らしく、自然体でいればいいのです」
レザト様の優しい言葉に、私の心は少し落ち着きを取り戻した。
「そうだ、ルチカ。貴女を探していたのです。実は貴女にお願いがありましてね」
「はい、なんでしょう?」
「二週間後、リタクロスの町でリタルク・ルミナリアという祭りが開かれます。そこに私も領主として参加することになっていましてね。できれば、ルチカにも一緒に来てほしい」
「祭り……ですか?」
私は少し戸惑った。
「ええ。この祭りは商人ギルドとの関係も深い。そういった付き合いも領主には大切な事なのです。それに、ルチカにも外の世界を見る良い機会だと、私は考えています」
レザト様の申し出に、私は内心少し躊躇していた。
屋敷の外の世界……お祭りだなんて、私には似つかわしくないような気がする。
「エマとレオも一緒に行くことになっております。だから、ルチカも一緒に来てくれると嬉しいんだが……」
そう言ってレザト様はエマさんに目配せをした。
「ルチカ様、ぜひご一緒しましょう。リタクロスの街並みも素敵ですし、きっと楽しい思い出になりますわ」
エマさんの言葉に、背中を押される思いがした。
「ねえねえ、ルチカねーちゃん、一緒に行こうよ!」
そう言って、レオが私の袖を引っ張る。
「……分かりました。ご一緒させていただきます」
私はレザト様に向かって、そう告げた。
レザト様がここまで言うのなら、きっと大切なことなのだろう。
レオとエマさんが一緒なら、私も頑張れる。そう自分に言い聞かせ、私は決意を固めた。
「そうか、それは良かった。リタクロスにはエマの夫である副団長のギデオン。副領主としてリタクロスの自治に関わるイリアナという部下もおります。ルチカ、貴女を私の婚約者として紹介するのが楽しみですよ」
「は、はい……」
レザト様の言葉に、私は思わず顔を赤らめてしまう。
「さあ。私たちはこれからリタクロスの旅程の事で話し合いがあります。レオ、良かったらルチカ様に我が家を案内してもらえないかしら?」
エマさんの提案に、レオは嬉しそうに頷いた。
「いいよ! ルチカねーちゃん、俺のウチこっちこっち!」
「もう、レオ! そんな勢いよく掴まなくても大丈夫だってば!」
ぐいぐいと服の袖をひっぱるレオに、思わず身体がよろけそうになる私を、エマさんとレザト様はにこやかに見つめている。
「ルチカ。また夜に」
「は、はいッ!!」
視線があった私にレザト様が告げた言葉に、私は動揺を隠せないまま返事をした。
「うふふふ」
私の様子に、エマさんがどこか含みのある笑みを向けている。
その視線に恥ずかしさを覚えながらも、私はエマさんとレザト様に一礼をしてから治療室を後にした。
「ルチカねーちゃん! 俺のウチの庭にねえ、ウサギの親子がいるんだよ!」
廊下を歩きながら、レオの賑やかな話し声が響く中、私の頭の中ではレザト様との会話が何度も蘇っていた。
『ルチカ。また夜に』
あの言葉の意味するところ……考えれば考えるほど、胸の奥が熱くなっていく。
レザト様との関係は、確実に新しい段階に入ろうとしているのだと、そう感じずにはいられなかった。
「もー! ルチカねーちゃん聞いてんの?」
「ご、ごめんごめん。ウサギの親子、私もみたいな~。どんな柄をしてるの?」
「えっとねえ、お母さんが茶色なんだけど、子供は白黒のと白いのがいてね……」
そしてその予感は、昨夜のレザト様の言葉を思い出すたびに、強まるばかり。
『ルチカ、明日から寝室を共にしよう』
あの優しくも力強い口調で囁かれた瞬間、私の鼓動は早鐘のように高鳴ったのだった。
それを思い出す度に、恥ずかしさがこみあげてきて、どこかに隠れたいような気分になる。
どうしよう、こんな調子だったら、今夜は……今夜はどうなっちゃうの⁉




