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ジョシュアの受難「父との確執②」

あれはまだ俺が10にも満たない頃だったろうか。

父に連れられ、彼が親しくしていたある上級貴族の豪奢な屋敷を訪れた際のことだ。

その家の主は歳を取った男で、父と慣れ慣れしく会話を交わしていた。しかしその間ずっと、男の気持ち悪い視線が俺に張り付いていた。


俺はその男の、肌を這うようなねっとりとした不快な視線に耐え切れず、ずっと床を見つめていた事を覚えている。

その視線には何とも言えない嫌悪感があり、今でもあの感触は忘れられない。


その日の経緯はすっかり忘れてしまったが、父が何らかの理由で一時的に部屋を離れた後、俺はその上級貴族の男と二人きりになってしまった。

男は優しく微笑みながら、俺に彼の膝に座るよう促した。

母からの教えを思い出し、礼儀正しく振る舞わなければと、俺は渋々その要求に従った。


男はあからさまな親しみを込めて、俺の髪や肩を撫で回した。

その手はなぜか異様に温かく、不快な感覚が俺を包んだ。

動揺を隠しながらも、俺はその場から逃れることができず、ただ黙ってされるがままになってしまった。


「ジョシュア君。私はね、君のお父さんと、とても“仲良く”させてもらってるんだ。息子である君も同じように“仲良く”してくれたらこれほど嬉しいことはないんだがねえ」


男はそんな事を囁きながら、俺の体を撫でまわしていく。

俺は喉の奥が潰れたように声が出せないまま、やっと小さく「はい」と答えた。


段々と男の息が荒くなり、その吐息が俺のうなじにかかり、おぞましさに吐き気を覚える。

俺は幼いながらも、この状況が異常であることを感じていたが、恐怖に囚われて身動きが取れなかった。


やがて男が俺の体をゆっくりと回して対面させると、男の顔が眼前に迫ってきた。

俺は恐怖のあまり目を強く閉じた。俺にできる唯一の抵抗は、その一瞬の無言の拒絶だけだった。


「ジョシュア!!」


父の声が突然響き渡り、俺は驚いて目を開けた。男の視線が急に俺の背後に移っていることに気づいた。振り返ると、息を切らした様子の父がそこに立っていた。


「ち、父上……」


その時の俺はまだ、父を信頼し親しみを込めて「父上」と呼んでいた。

父の姿を見つけると、安堵の気持ちから思わず彼に駆け寄った。


「父上、父上っ…!」


俺は、救いを求めるかのように彼の足に抱きついた。普段ならば、父は優しく俺を抱き上げてくれるはずだった。


「ジョシュア。少し外に出ていなさい」


しかし、父の返事は予想とは正反対だった。彼は俺を優しく抱きしめることなく、俺を扉の外に押し出した。扉の閉まる音は、俺にとって絶望を意味していた。


俺はどうすることもできず、扉の前にひざまずいた。

部屋の中では父と男の会話が続いていたが、やがてその声は静まり、曖昧な、苦しげな声が聞こえ始めた。その声は徐々に激しさを増し、俺はその異様な雰囲気に耐えかねて耳を塞いだ。ただ時が過ぎるのを待つしかなかった。


「……」


あの日、俺が感じた激しい嫌悪感、恐怖、そして突きつけられた孤独感は、今では父に対する深い憎しみとして俺の心に刻まれている。

父の道を辿ることは決してしないと固く誓った。


時が流れ、あの時扉の裏で何が行われていたのか、その真実を理解した今、社交界で父と俺に投げかけられる、あのしつこく粘りつくような視線の意味もよく分かる。

その誓いは、今や俺の中でさらに強固なものとなっている。


「そうそう、お前に土産話があるんだよ」


……土産話だと?

父の得意げな様子に苛立ちを覚える。もうコイツとの会話自体が億劫だ。

俺は何も答えず、再び暖炉の火に視線を落とした。


「ふむ。シュヴァルツェルト卿に関する興味深い噂を耳にしたのだが……そうか、ジョシュアは興味がないのかな?」

「シュヴァルツェルト卿だと……?」


突然の父の言葉に、俺は無意識に反応してしまった。父は俺のその反応に満足そうな表情を浮かべ、言葉を続けた。


「そうだ。私は王室の方々とも繋がりがあってね。ある興味深い話を聞いたんだ」

「だったら早く言え。俺はお前との無駄話に時間を割くつもりはない」

「まあまあ、そう焦るなって。たまには親子の会話を楽しもうじゃないか」


父はそう言いながら、ソファの隣に腰を下ろした。

こんなに父と近い距離で会話をするのは、何年ぶりだろうか。

父の遠まわしな言い回しに苛立ちは募るが、彼の情報源が間違いないことも知っている。

俺は内心を抑えて、父の次の言葉を待った。


「ふふ、いい子だ」


俺が静かに隣に座ったままなのを見て、父は満足げに話し始めた。


「シュヴァルツェルト卿が婚約した事は、一部の王族の間でも話題になっていてね。その相手が旧領主だったヨハン・シュヴァルツェルトの娘であるルチカだという事が注目されているんだ。彼女を養育していた我がローレンス家もその事で、彼らから色々と聞かれたよ。なぜ、“彼女”なのかってね」


シュヴァルツェルト卿……今まで浮いた話が一つもないという彼が婚約をした事は確かに意外ではあるかもしれない。しかし、王室の連中がそこまで関心を向けるようなネタだろうか。俺の浮かんだ疑問を見透かしたかのように、父は言葉を続ける。


「実はシュヴァルツェルト領は、将来的にはレヴァナス王国の第3王子が領主になる予定なんだ。現領主のレザトは、それまでの一時的な【繋ぎ】に過ぎないんだよ」

「なっ……」

「つまりね、シュヴァルツェルト卿にとって、ルチカとの婚約は、彼が正統な領地の継承者として見られるための戦略かもしれないんだ。王室を巻き込んだ政治的な動きがあるというわけさ」


俺は深くため息をつき、父の言葉を冷静に聞いた。

彼が提供した情報は、まさに俺が求めていたものだった。レザトがシュヴァルツェルト領の現領主であるのは一時的なものに過ぎない。これは彼がルチカとの婚約を利用して、自分の地位を確固たるものにしようとしていることを示している。


「どうして、この事を俺に……」


俺の言葉を待たず、父は立ち上がった。


「この情報をどう扱うかはお前の判断だ。愛する息子よ、君の成功を祈るよ」


そういって父は片目を瞑ってお茶らけた視線を向けた後、俺の問いには答えず部屋を後にした。

……どうして俺がルチカを取り戻そうと動いている事を、父は知っているのだろう。

アイツはもう、俺に関心などないはずなのに。


「くそっ……」


暖炉の火が揺らぐのを見つめながら、俺は思考を整理する。

父の思惑は今はどうでもいい。それよりルチカのことだ。


情報をどう活用するかは、俺の決断にかかっている。レザトがルチカを利用しているという事実は、俺にとって重要な手がかりだ。

もしそれが真実なら、俺はレザトを追い詰め、ルチカをヤツから解放することができるかもしれない。


そうだ、ここは一つ、違った視点も入れて考えるべきだ。

もう一つの謎、ジャン・グリ・ノーマンのルチカへの求婚の動機についても掘り下げなければ。


俺はソファに寄りかかり、背伸びをした。父との会話で凝り固まった体を伸ばす。

トビアスのヤツをまた呼びつけなければ。

ふっ……明日はまた長い一日になりそうだ。

今年はこれにて更新終了となります。

また書き溜めてからアップします~!よいお年を!

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