4.救いの手?
倉庫には活気が戻り、水夫たちの威勢のいい声が響いている。
けれど、私の周りは未だ涙ぐむレナを始め、どうしていいかオロオロするばかりのトビアス。俯いたまま何か考え込んでいる様子のジュシュアと暗さが際立っている。
「あの、ごめんなさい……僕があの時、変なことを言わなければ…」
場の空気に耐えきれなかったのか、トビアスがはらはらと涙を流して謝罪しだした。
「トビアスのせいじゃないわ……あなたが何か言わなくても、すぐわかったことだろうし」
泣き出すトビアスを慰めようと言葉を掛けるも、投げ掛けた言葉から疑問が生まれてくる。
なぜ、ノーマン総裁はわざわざ私なんかを花嫁にしたいのだろう。
私の両親と昔からの知り合いだと言っていたけれど、それだけが理由で私を花嫁に選ぶとは、あの彼を考えると不自然な気もする。
「ぼっちゃん、何とかなりませんか? 奥様にぼっちゃんから断るよう取りなしてもらうことは……」
泣き腫らした顔を上げて、レナがジョシュアを見る。
「……無理だな。ノーマン商会との繋がりを欲していた母上からしたら、むしろ好都合だと喜んでこいつを嫁に差し出すだろう」
「そんなっ……ノーマン総裁は何が目的でこの子を嫁にだなんてッ!」
また涙目になるレナ。
「俺が知るか!! 俺だってさっきからずっと考えてる! ノーマン総裁は自分の利益にならない事は決してしない男だ。そんなやつが、ローレンス商会に借りを作るような真似をわざわざするなど……」
「単純に容姿が好みだったとかですか?」
「トビアス、お前は黙ってろッッ!」
いつの間にか泣き止んでいたトビアスの問いに、ジョシュアがはっきり青筋を立てて怒鳴り散らす。
「ノーマン総裁はお前のような単純な脳味噌じゃない! 俺が商人ギルドで受付の奴との会話を奴に盗み聞きされた時から、すでに素振りを見せていた。要は見た目で選んだわけじゃないってことだ」
「す、すいません〜……」
あのジョシュアが、さっきからトビアスのツッコミ役になっている。
トビアス……最初はここでやっていけるのか心配だったけど、この図太さならここの仕事に向いてるかもしれない。
「おい」
ぼんやりと二人のやりとりを眺めていた私に、ジョシュアが鋭い視線を投げる。
「さっきから、ずいぶんと冷静だな。自分の身に何が起こってるか理解してないのか?」
「ジョシュア……」
私も置かれた状況を理解していないわけじゃない。
ノーマン総裁に求婚された時の驚きと絶望はまだこの心の中で暗く淀んだまま居座っている。
水死、服毒死、転落死……ノーマン総裁の妻になった人は皆、数年で不審な死を遂げている。
私が彼の7人目の妻になったら、何が起こるか。
それを考えると……とても怖い。
「ぼっちゃん、そんな責めるような言い方は可哀想です……こんな現実、すぐに受け止められるわけないじゃないですかッ!」
言葉に詰まる私を、レナは涙ながらにかばってくれる。
レナが私のために泣いてくれるのは嬉しい。
私もレナのように涙を流して誰かに……ジョシュアにでも縋って助けを求めれば何か変わるのだろうか。
今までずっと、泣こうが喚こうが私の気持ちは誰からも無視されてきた。
むしろ、涙なんか見せればローレンス家の人たちは嬉々としてその涙の理由をあげつらって、私を責めるというのに。
私が泣いたところで……何も変わらない。
「……フン。かえって良かったかもな。無能なお前もこれでやっと我がローレンス家に恩返しが出来るというわけだ」
「ぼっちゃん!!」
「俺は事実を言ったまでだ。良かったなあ、お前のようなヤツにも貰い手があって。母上もさぞかし喜ぶだろう。この結婚は覆る事はないだろう。ノーマン以上の……例えば、上級貴族かそれこそ王族が求婚するなら話は別だろうが。ハッ!」
ジョシュアはそう吐き捨てると、足早に倉庫を去っていった。
その背中が見えなくなるまで、私はただ黙って立っていた。
……ジョシュアに何も言えなかった。
さっきジョシュアはノーマン総裁から私を庇うような素振りを見せてくれた。
なのに、また私をひどくなじる態度が私をより混乱させる。
私がノーマン総裁の元へ嫁ぐ事が皆にとっての幸せなの……?
胸の苦しさがどんどん増してきて、息がし辛い。
「仕事……しなくちゃ」
こんな時でも仕事の事が頭を過るのはおかしいのかもしれない。
でも、仕事でもしてないと、心がバラバラになってしまいそうだった。
「どもども、こんちにゃ〜〜!!」
一際明るい声に振り返ると、今度は倉庫の入り口に大きなネコのような耳を尖らせた女性が立っていた。
「チェシャさん……」
「あれあれ、子猫ちゃんなんか元気ないね? どうしたの~?」
私の纏う空気を察してか、彼女はニカッと笑顔を見せて私に走り寄ってきた。
「チェシャ……ちょっとね」
「あれ、レナ姐さんも元気ない感じ? ちょっと私にも話聞かせてよ~~!」
「あの、このお姉さんは……?」
「む、少年! 君は新入りか! あたしはチェシャ。ネコ耳がキュートなチェシャ商会の商人よ、よろしく♡」
「は、はあ……。僕はトビアスです、どうも……」
チェシャさんは腰まである淡いウエーブの掛かった紫色の髪をなびかせて、くるくるとトビアスの周りを飛び跳ねている。
その様子が何だか微笑ましくて、さっきまでの暗く淀んだ気持ちを少しだけ軽くしてくれた。
チェシャさんは私が港で働き始めた頃からの知り合いの商人。仕事仲間のレナに続いて私の数少ない友人と言える人だった。
私のことをなぜか子猫ちゃんと呼んで、昔からよく声を掛けてくれる。
大きなふわふわのお耳と自在に動く長い尻尾。初めて目にした時は驚いたっけ。
今はこの港で獣人を見かける事はごく普通になったけど、その頃はまだまだ彼女のような人を見掛ける事は少なかった。
好奇心で彼女の姿に釘付けになった私に、獣人という種族だと優しく教えてくれたのを思い出す。
そんな彼女にさっきの事を話すのは気が引けるけど、この港にいればいずれ彼女の耳にも入るだろう。
それなら、私の言葉で伝えたい。
「チェシャさん、あのね……」
陽気な猫の獣人のお姉さん、チェシャさん登場です。
ネーミングは何のひねりもなく、不思議な国のアリスのチェシャ猫です。