2.窮地 その③
「レザト様……」
「団長っ! しっかり!」
「あっははは! 効果抜群ですね! すっっごく作るのが面倒なヤツなんですけど作っといてよかったです。狼の獣人にだけ効くよう調整するの大変だったんですよ~?」
褒めて欲しいと言わんばかりに語るリュミセラを、チェシャさんがキッと睨み付ける。
「ちょっと、腹黒うさぎ! レザト様を元に戻せっつの! いっくら可愛い顔してても、少々痛い目みてもらわなきゃ分かんないかしら?」
「こうなったら、薬が切れるまで私でも、なんも出来ませんよ。そーですね。薬が切れるまで一晩ってとこかなあ。それまで足を切断でもしない限り、その衝動のまま見境なく暴走し続けるんです。わ~~楽しみ~~~!!」
「なんですって……!?」
「に…げ……てくれ……!」
「レザト様っ!」
レザト様が絞り出すように言葉を紡ぐ。
何かを耐えるように全身を震わせ、こちらを見るレザト様の目は苦痛に歪んでいて、リュミセラの言う本能と必死に戦っているのが伝わってくる。
……心臓が苦しい。どんどん鼓動が速くなってくる。
身体が何かを思い出せと囃し立てるような……。私の内部で、名前のつかない何かが出口を求めて渦巻いている
私は知ってる。あの眼を。
―――でも、どこでみたの?
「わっ! まだ喋るだけの理性が残ってるんですね~すごいすごい!」
頭上から降り注ぐリュミセラの声は、まるで子供が花火を見上げるような楽しさで溢れている。その声が耳に入っても、私はレザト様の燃えるような赤い瞳から目を離せない。
どうしよう、レザト様をどうしたら助けられるの…!?
レザト様の顔に刻まれる苦痛が次第に深まっていく。その表情を見ているだけで、私自身も胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
突然、レザト様の瞳から光が消えたように見えた。その瞬間、彼が私に向かって猛然と踏み出して――。
「ルチカッッ!」
瞬く間にフランソワが私の前に飛び出し、レザト様の獰猛な剣撃を防ぎ切った。
「ぁ…あっ……」
一瞬の出来事に、声も出せずまったく動けなかった。
もしフランソワがいなかったら、私は――。
「レザト様、婚約者さんを殺そうとしちゃダメですよ~! ルチカおねーさんは私にとっても、大事なお友達なんです! って聞こえてないか~」
緊迫した状況に、ひどく不釣り合いなリュミセラのあっけらかんとした声が響く。
ショックを受けて、固まってる場合じゃない。
レザト様を元に戻すために何が出来るのか、考えて…行動しなくちゃ!
さっきリュミセラが言っていた“大事なお友達”という言葉。
小屋の中でも、私に他にやってもらうことがあると言っていたから、あの言葉は彼女の皮肉じゃなく本心かもしれない。だとしたら……。
「団長! どうか正気に戻って…下さいッ!」
フランソワがレザト様の剣を受け止めながら、声を震わせて呼びかける。けれど、レザト様の剣はますます重く、激しく振り下ろされる。彼が私たちをただの敵としか認識していないことが、痛いほどに明らかだった。
「ほらほら、このままレザト様が村に行ったら、どうなると思います~? 一晩で領主様が自ら村人全員惨殺とか、歴史に残る日になりそうでワクワクしませんか♪」
「チェシャさん、騎士団に知らせに行って下さい! チャシャさんの足なら……」
私は木の上から状況をうかがっているチェシャさんに、必死の声で呼びかける。
「んな、子猫ちゃん残していけないって! フランソワだけじゃ……」
「私は大丈夫です! リュミセラは私を殺させません! 私が今死んでは困るようなので、仮にレザト様が襲ってきても…守るはずです!」
「……分かった! フランソワ、死ぬなよッ!」
チェシャさんは木から木へと移動して、あっという間にその姿が見えなくなった。
「そのつもり…ですっ!」
レザト様の猛攻を受けながら、フランソワが答える。
彼も防御が精一杯で、このままでは体力が尽きて命が危ない。けれど少しでも可能性に賭けるなら……今はチェシャさんを信じるしかない。
「ちぇっ…痛いとこ、つかれちゃいましたね。確かにルチカおねーさんは今死なれたら困るんですけど、そこの赤髪のおにーさんはいつまで持つかな~?」
「グァァァァッ!!」
レザト様が獣のような咆哮を上げる。
その声は痛みと絶望が凝縮されたような、心の奥底まで揺さぶる叫びだった。
「守り切って見せるさ! ルチカも! 団長もなッッ!」
負けじと放ったフランソワの叫びが剣に力を与えるように煌めき、レザト様の剣を力強く跳ね返して、地面に叩きつけた。
フランソワ、すごい……!!
レザト様は地面に落ちた剣を取ろうと、フランソワから一旦離れた。
「ハアッ…どうだッ! ルチカ、今の内にここからっ……おわっ!?」
フランソワが木の根に足を取られて転ぶ。その瞬間、彼の頭が地面に打ちつけられ、動かなくなった。
「フランソワ…?」
声を掛けるも反応がない。
……嘘でしょ!? こんな時に気を失ってしまった彼に唖然とする。
レザト様は剣を再び拾うと、フランソワに向かって歩き出した。
レザト様の剣が、彼の無防備な体に突き刺そうと、大きく振り上がる。
「フランソワッ、起きて!」
思わず叫ぶ。レザト様がこのまま人を傷付け、殺してしまったら……薬の効果が切れた後、どれだけ自分を責めるだろうか。その絶望と慟哭は、計り知れない。
そんなレザト様の姿なんて見たくない……見せたくない!
何だか……胸が…熱い。
ただの感情ではない、何かが私の中で目を覚ますような感覚。
私自身も理解できない何かが湧き上がってくる。
レザト様……レザト様ッ!
彼の顔が浮かんでは消える。その瞳はいつも優しくて、力強くて。
その彼が暗闇に飲み込まれようとしている。
私はその闇を払いのけたい、彼の心に再び優しい光を灯したい。
その想いが胸を焦がすように熱く、私の全身を包む。
―――私がレザト様を守れたら。
“じゃあ、わたしがおじさまを守ってあげる!”
遠く、遠く昔の記憶がふと心の中でよみがえる。
それは幼い私が口にした、約束の言葉。




