2.ケモ耳紳士
とうとうケモ耳紳士おじさん、レザト団長登場回です。
「はあ……」
シュヴァルツェルト家のお屋敷。広い部屋にぽつんと一人、取り残されたような気分で私は縮こまっていた。
シュヴァルツェルト家の屋敷に到着したものの、門番の騎士は最初、私をただの村娘と見間違えて、入れてもらえなかった。馬車も御者もメイドも伴わず、ただ一つのトランクを抱えた小さな私が「レザト様の婚約者です」と声を張り上げても、疑われるのも当然だと思う。
どんなに必死で説明しても、騎士の困惑は増すばかり。話が進まず、追い払われそうになったところ、他の騎士が気づいて止めてくれた。そのおかげで、やっと屋敷内に入ることができた。
レザト様は今、外出中らしい。
戻ってくるまでここでお待ち下さいと言われたけれど……緊張してしまって、寛げる気がしない。
「こちら、よろしかったらどうぞ」
ふと横をみれば、メイドさんがお茶を勧めてくれた。
「あ、ありがとうございます……」
ニコリと柔らかな笑みを向けられて、私もつられて笑い返す。
メイドさんの手前、せっかく入れてくれたお茶に手を付けないのも悪い気がして一口飲んでみる。
「美味しい……!」
爽やかな風味と苦味が口いっぱいに広がり、でもその中にフルーツのような甘さも感じる。こんな味、初めてだ。
「こちらは領地内で採れたハーブを使ったハーブティーでございます。お口にあって良かったです」
メイドさんは軽く会釈すると、所用で少し離れますがすぐ戻って来ますと言って部屋を出ていった。
メイドさんが入れてくれたお茶のお陰で少し気持ちが落ち着いたのか、一人になってもさっきまでの息苦しさはあまり感じなくなっていた。
周囲を見渡すと、高い天井と大きな窓から柔らかな光が部屋全体を照らしている。壁は深い森のような濃い緑色で、広々とした部屋の雰囲気を落ち着かせていた。
目につくのは、シンプルだけれど上質な家具だけ。ローレンス家にあったような豪華な装飾は一切ない。その代わり、座り心地の良い椅子や丁寧に作られたテーブルが目立つ。
ローレンス家の華やかな家具とは対照的に、シュヴァルツェルト家は落ち着いた色調と素朴な家具で統一されている。同じ貴族の家でありながら、その雰囲気はまるで正反対。
その差からレザト様の性格が垣間見えたような気がした。
それにこの部屋の空気……深緑の壁から放たれるさわやかな木の香り、古い家具から感じる微かなワックスの匂い。
呼吸して体に馴染んでいく度に、どこか懐かしさが込み上げてくる。
幼い頃、お母様の膝に座って聞かされた物語、お父様の笑顔。
ここで過ごした穏やかな日々。
全てが霞が掛かったように朧気な輪郭しかなかった記憶が、だんだんと鮮明になっていくような……。
手触りがある、実感がある。
私の、妄想なんかじゃない……!
居ても立っても居られない気持ちで、思わず立ち上がった。
もっと、確かめたい。
メイドさんはまだ戻ってこないみたいだし、レザト様もきっと遅くなるだろう。
やっと掴んだ記憶の緒をもっと引き寄せるためには、他の場所も見てみないと!
私は、静かに扉を開けて部屋を出た。
◇◇◇
「どうしよう……」
部屋から出て早々に元の部屋の場所が分からず、私は途方に暮れていた。
気の赴くままふらふら辺りを見て回っていたせいで、どこをどう曲がってここまで来たのか何も覚えてない。
誰かに尋ねようとしても、広大な廊下には誰の姿も見えず、私だけがそこにいた。
窓からは、外の生活の音が漏れ聞こえてくる。大勢の男たちが声を張り上げる声。金属がぶつかるキンという高い音。
騎士団の人達が訓練をしているのだろう。その音に耳を傾け、心を落ち着かせていると、胸の奥にわく不思議な感覚が強まっていく。
何だろう。この感じ。
思えば、屋敷の中を歩き出してからこの感覚が強くなって来た気がする。
何かに呼ばれているような……胸の奥からくるこの感覚の意味が知りたくて、さらに迷うことも気にせず、本能に任せて足を進めることにした。
「ここなのかな……?」
やがて一つの扉の前を通ったとき、胸の鼓動が跳ね上がり、その感覚が一気に高まった。
何の変哲もないただの扉だった。
この扉の向こうには何があるの……?
戸惑いながらも手を伸ばして、ドアノブに触れるとーー。
「何をしている!?」
「ひゃあっ!?」
突然、鋭い声に驚いて振り向く。
「獣の……お耳?」
目の前に飛び込んで来たのは、もふもふの大きな耳だった。
狼を思わせる大きな耳を生やした大柄の男性。
彼は鋼色の長い髪を縛り上げ、門番の騎士たちと同じ服を着ていた。彼の風貌と服装から、騎士団の一員であることがわかる。彼の凛々しい顔つきには年齢を感じさせるシワと顎髭があり、騎士団の経験豊かな騎士といった風格が漂っていた。
彼から投げかけられる不機嫌そうな視線に、私は慌てて説明を始めた。
「あ、あの、私は怪しい人間ではありません! レザト様に用があり、門番の騎士様から屋敷内に通してもらったのですが、道に迷ってしまって……」
ここでは「婚約者」のことは話さなかった。門番の騎士の反応を見る限り、また何か問題が起こりそうだもの。
「……」
「あの……?」
目を見開いたまま、ぴくりともしないその人に声を掛けてみる。
一体何が彼を驚かせたのだろう。もしかして、私の顔にある傷に驚いているのだろうか。それは初対面の人からすれば自然な反応かもしれない。
「あ……ああ、少しぼうっとしてしまいました。頭ごなしに声を張り上げてしまい申し訳ありません。私のような風体の男に声を荒らげられて怖かったでしょう?」
「い、いえ……」
さっきまでの雰囲気とは一変、ひどく申し訳ない様子で私に謝罪する様子が頭のお耳と相まって何だか可愛らしく見えた。
この人、チェシャさんと同じ獣人なのかな。
王都にも獣人はいるけど、王都では獣人の騎士なんて一人も見たことがなかった。
国境騎士団には獣人の騎士もいることが何だか新鮮に映る。
「レザト団長のお客様ですね。こちらへどうぞ。ご案内します」
優しい人で良かった……。
ほっと胸を撫で下ろす。
獣人の騎士様に案内されて、私はその場を後にした。
「お客様! 戻ったらいらっしゃらないので心配しまし……あら?」
「ごめんなさい! 少し屋敷の中を見ていたら迷ってしまって。こちらの方がここまで届けてくれたんです。その……レザト様はまだいらっしゃってませんよね?」
部屋に戻った私をみて、メイドさんは目を見開いた後、なぜか可笑しそうに笑い出した。
「ふふふ、あなたの後ろにいる方がレザト様ですよ」
「へっ……!?」
思わず後ろを振り返った。
その大きな獣人の騎士様は、口元に指を当ててメイドへニコリと微笑んでいた。
彼の眼差しと私の視線が交差する。
「おやおや、見つかってしまいましたか」
「レザト様本人とは知らず、わ、私ったらなんて事を……!!」
どうしよう、初対面で不用意にも印象を悪くして、もしかしたらこのまま婚約破棄なんて……。
「ルチカ」
レザト様の、低く柔らかい声が耳に響く。
その響きは心の奥底にふわりと波紋を広がせて、私の中でいつまでもこだましている。
ルチカ。私の名前。
私の名前をこうして呼んでくれる人がいるなんて、それ自体が随分と久しぶりの感覚で、その余韻に意識がぼんやりと溶け込んでいく。
レザト様は私を静かに見つめ、優しい微笑みを浮かべて言葉を続けた。
「シュヴァルツェルト領へようこそ。私はレザト・フォン・シュヴァルツェルト。この土地の領主であり騎士団長であり、そしてあなたと共に同じ運命を歩むことを望んだ者です」




