6. 綱渡りの恋心 〈トビアス〉
祭りの夜を彩るのは、屋台や光だけじゃない。
無邪気さと過去の傷を抱える少年トビアスと、冷静な黒うさぎの少女リュミセラ。
「綱渡りの恋心」と題した今回は、甘さと危うさが同居する一幕です。
祭りの光が、リタクロスの街をキラキラと金色に染めていた。
空から舞い降りる光の粒に手を伸ばしながら、僕は笑った。
小さな子供たちが走り回る姿、屋台の前で並ぶ人々、そして輝く秘石ランプの光。全てが僕の胸を熱くする。
「リュミセラちゃん、見てよ! あの屋台、秘石ゼリーを売ってるよ!」
隣を歩くリュミセラちゃんの手を取って、僕は急に走り出した。彼女の小さな手は、ひんやりとして気持ちよかった。
「ちょ、急に引っ張るなんて…失礼です」
そう言いながらも、リュミセラちゃんは僕の手をぎゅっと握り返してくれる。
ちょっと不機嫌そうな顔をしているけど、目は笑っているみたいだった。
彼女の赤い目は、夜の闇の中でも綺麗に輝いている。
「トビアスさまは、本当に子供みたいですねっ」
「へへ、だってお祭りだもん! 楽しまなきゃ損だよ!」
僕たちは屋台から屋台へと歩き回った。焼きリンゴに秘石ゼリー、それから甘い蜜がけパン。
全部美味しくて、僕はリュミセラちゃんと分け合いながら食べた。
彼女は最初は遠慮していたけど、甘いものには目がないみたいで、だんだん素直に「美味しい」って言ってくれるようになった。
「……ねえ、トビアスさま」
「ん、なあに?」
「さっきのジョシュア様、なんか変じゃないです?」
少し前に別れたばかりのジョシュア様を思い出す。
「うーん、変なところなんかあったっけ?」
「ありましたよ! さっきトビアスさまが『ルチカさん』という名前を口にしたとき、急に表情が変わったですよ」
「あ〜そうだったかなあ。ルチカさんはね、僕たちがお世話になってる人なんだ。ジョシュア様はルチカさんのこと、すっごく大事に思ってるんだよ」
僕の言葉を聞いて、リュミセラちゃんは少し考え込むような表情になった。
「…リタクロスには、そのルチカさんに会いにきたですか?」
「あれ、そう言えばなんでリタクロスにいるんだっけ? 僕はリュミセラちゃんに会えたから、それだけで幸せだよ!」
リュミセラちゃんの耳がぴくっと動いて、顔が少し赤くなった気がする。黒うさぎの獣人の彼女は、耳の動きで気持ちがよく分かるんだ。
「そ、そんな恥ずかしいこと言わないでくださいっ」
「へへ、だって本当のことだもん」
歩いていると、祭りの人混みの中からたくさんの光が見えた。街の高台に建てられた展望台みたいな場所があって、そこからは街全体を見渡せるらしい。
「ねえ、あそこに登ってみない?」
「え? あんな高いところですか?」
「うん! 絶対に綺麗だよ!」
リュミセラちゃんは少し躊躇していたけど、僕が手を引くと、しぶしぶついてきてくれた。
階段を上って展望台に着くと、本当に素晴らしい景色が広がっていた。秘石ランプの光が星のように街中に散りばめられて、まるで空の星が地上に降りてきたみたいだった。
僕達の他にも、数人の男女が同じように目の前の景色に声を上げている。
へへ、カップルのデートスポットだってシェザハさんが教えてくれたんだ。
「わあ…」
リュミセラちゃんも思わず声を漏らした。彼女の赤い瞳に街の光が映り込んで、とても綺麗だった。
「リュミセラちゃん」
「はい?」
「これ、プレゼント」
僕はポケットから小さな包みを取り出した。中には小さな秘石のブローチ。
「え…?」
「へへ。僕、女の子にプレゼントするのって初めてなんだけど、その初めてがリュミセラちゃんで良かったなって…」
リュミセラちゃんは驚いた表情で、ブローチを受け取った。小さな秘石が埋め込まれたそれは、彼女の赤い瞳と同じ色に輝いていた。
「どうして…」
「どうしてって…好きだからだよ」
僕の言葉に、リュミセラちゃんの耳がぴくぴくと動いた。
彼女は何か言おうとして、口をパクパクさせるけど、言葉が出てこないみたいだった。
「トビアスさまは、私のことをなんも知らんくせに…」
「うん、まだ全然知らないよ。だからもっと知りたいんだ」
リュミセラちゃんは黙ってブローチを胸に抱きしめた。何かを決意したような表情で、僕をじっと見つめてくる。
「……じゃあ、トビアスさまのことも、もっと知りたいです」
「うん! 何でも聞いて!」
「どうして、あんなに危険な毒の実を食べたんですか?」
彼女の質問に、僕はハッとした。
それは誰にも話したことのない、僕の秘密。
「……やっぱいいです」
「ううん、大丈夫だよ」
僕は空を見上げた。星がたくさん輝いている。
「僕ね、家族を殺しちゃったんだ」
リュミセラちゃんの目が大きく見開かれた。
「夕食用にって森でキノコを採ってきたんだ。でも、それが毒キノコだった。父さんも母さんも、それから妹も…みんな食べて、僕だけ生き残ったんだ」
遠い記憶が蘇ってくる。家族みんなで囲んだ食卓。父さんの笑い声、母さんの優しい手、妹の無邪気な笑顔。そして、次の朝には誰も動かなくなっていた。
「あの日から村の人たちは生き残った僕のことをこう言うようになったんだ。『運がいいのか悪いのか』って。だから…あの実を食べたのも自分の運を試したかったのかも」
言葉に詰まりながらも、僕は続けた。
「でもね、家族皆僕のせいで死んじゃって悲しいけど、お腹は空くしさ、お祭りは楽しいし……」
僕はリュミセラちゃんを見つめた。
「恋だってする」
リュミセラちゃんは黙って僕の話を聞いていた。彼女の表情は読めなかったけど、何か深く考え込んでいるようだった。
「トビアスさま…」
彼女が何か言いかけたとき、僕は展望台の向こう側に目をやった。
屋根と屋根の間に、秘石ランプを結びつけたロープが張られていた。
各家の家と家を結ぶロープは夜の中、光の道みたいできれいだった。
ふと、手前の柵をみるとロープが張られていた。
そのロープは、すぐ向こうにある別の展望台までつながっているように見える。
急に僕の中で何かが弾けた。
「見てて、リュミセラちゃん!」
「え?」
僕は展望台の手すりを乗り越えて、ロープに飛び移った。体をぶらぶらさせながら、バランスをとる。
「トビアスさま! あぶないです!」
リュミセラちゃんの悲鳴が聞こえたけど、僕はそのまま前に進み始めた。
ロープの上で体のバランスをとりながら、一歩一歩進む。下を見ると、はるか下に祭りの人混みが見えた。
絶対に落ちたら死ぬような高さ。でも、それがなぜか僕をワクワクさせた。
「大丈夫だよ 僕、昔、倉庫でこういうの良くやってたんだ!」
僕は慎重にロープの上を歩いていった。
風が少し強くなって、体がふらつく。
それでも何とか前に進み続ける。屋根と屋根の間の秘石ランプが、僕の行く手を照らしてくれていた。
もう少しで向こう側。そこまで来たとき、突然強い風が吹いた。
体のバランスが崩れて、僕はロープから落ちそうになった。
「うわっ!」
風にあおられて、手がロープから離れそうになる。落ちたら多分、助からない。
なんだ。やっぱり、僕が生き残ったのは単なる偶然――――――。
その瞬間、何かが僕の体を押し上げた。
「え?」
気づいたとき、僕はもう向こう側の展望台に立っていた。
そして、僕の体を支えるリュミセラちゃんがいた。彼女はものすごい跳躍力で僕を抱えて、隣に着地したのだった。
「いい? 人の生き死にを決めるのは運なんかじゃない。その場にいる一番強いヤツよ」
リュミセラちゃんの言葉は、僕の心に深く響いた。彼女の目は真剣で、力強かった。
「わああ、リュミセラちゃんすごい!」
僕は感動のあまり叫んでしまった。彼女の力、彼女の存在、全てが僕には眩しかった。
リュミセラちゃんは自分の言葉と行動に気付いてなのか、顔を赤くした。
「も、もう! 危ないことしないでください! 私、心配したですよ!」
「ごめん、ごめん。でもリュミセラちゃんが助けてくれたから大丈夫だったよ!」
僕はにっこり笑った。彼女の不機嫌そうな表情が、なんだか可愛くて仕方なかった。
「リュミセラちゃん、ありがとう。本当に…」
「…どういたしまして」
彼女は小さく答えた。そして、ポケットからさっき僕がプレゼントしたブローチを取り出し、自分の服に付けた。赤い秘石が、月明かりの下で静かに輝いていた。
「似合うよ」
「…ありがとうございます」
リュミセラちゃんの顔が、再び赤くなった。その表情を見て、僕の胸がぎゅっと熱くなった。
運命だの、生き死にだの、そんなことはもうどうでもよかった。
今、ここで、この子と一緒にいられることが、何よりも大切なんだって思えた。
「続きの祭り、行こうか」
「はい…行きましょ」
風がそっと吹き抜ける。僕たちは手をつないだまま、降りる道を探した。名残惜しさと、もう一歩、前に進みたい気持ちが胸に残っていた。
◇◇◇
夜風が気持ちいい帰り道。
祭りの活気から少し離れた裏路地で、僕たちの足音だけが静かに響いていた。
「あ~楽しかった~! ね、リュミセラちゃん」
僕はシェザハさんの家の前で立ち止まり、満足げに伸びをしながら尋ねた。月明かりに照らされたリュミセラちゃんの横顔は、いつもより柔らかく見えた。
「……まあまあですかね」
リュミセラちゃんはじっと胸元のブローチを見つめながら、小さな声で答えた。その表情には僕には読めない何かがあった。
「じゃあね、リュミセラちゃん……」
別れ際の言葉を口にした瞬間、彼女が急に顔を上げた。
「トビアスさま、ちょと待ててください」
そう言うと、リュミセラちゃんは小さな影となって家の中へ駆け込んでいった。
扉の向こうからかすかに物音が聞こえる。
シェザハさんはまだ祭りに出かけたままのようで、家の中は静まり返っていた。
しばらくして、扉が再び開き、彼女が何か青く光るものを両手で大事そうに抱えて現れた。
「これ、ブローチのお返しです。いーですか。祭りの最中は絶対ずっと光らせたまま持っててください」
その真剣な表情に、僕は思わず頷いた。
「うん、いいよ! わあ、リュミセラちゃんから早速お返しもらえちゃうなんて嬉しいな! これ、秘石ランプ? 青い光が綺麗だね~」
それは小ぶりな携帯用の秘石ランプだった。冷たいお月様みたいな、淡く透明感のある青い光を放っている。
街中で見かける赤や黄色の秘石ランプとは違い、この青い輝きはどこか神秘的で心を落ち着かせるような不思議な感じがした。
「せっかくのプレゼントだし…」
僕はランプをズボンのベルトにしっかりと結びつけた。
青い光が僕の足元を優しく照らす。なんだか特別な気分だ。
「リュミセラちゃん、ありがとう! 僕、大事にするね! またね~!」
僕は青く光るランプを揺らしながら、勢いよく手を振った。リュミセラちゃんはいつもの無表情に戻りかけていたけれど、僕が振り返ると、小さく手を上げてくれた。
「またね……トビアスさま」
その声は夜風に消えそうなくらい静かだったけれど、僕の耳にははっきりと届いた。
夜道を照らす青い光が、僕の胸の高鳴りを映し出しているようだった。
一歩一歩、彼女から離れていくたびに、今日の思い出が宝物のように胸に刻まれていく。
この青い灯りみたいに、心にともった気持ちは、いつまでも消えずにいてくれる――そんな気がした。




