04. 家出を決行しました
ついに、決行の日が訪れた。
草木も眠る深夜。窓越しに夜空を見上げる。
今宵は新月。夜空にかかる薄雲で、星さえ見えない。
思わず口元が綻ぶ。
家出するには、最高の条件が揃っていた。
私はささっと少年の服に着替えて、クローゼットの奥に隠しておいた、数ヶ月かけて準備した荷物をよいしょと背負った。それから、「最初から私はいなかったものと思ってください」と書いた手紙をそっとテーブルに置いた。
魔法を使って逃げたと思われないように、静かに窓を開け放つ。
いよいよだ。大きく深呼吸して転移魔法を唱えると、足元に魔方陣が出現した。
青白く光る魔法の光が、だんだん輝きを増していく。
数えきれないほど練習した転移魔法。そうして目に馴染んだ魔方陣の光が、ふっと蝋燭を消した時のように消える。
その直後、景色はまるっきり一変していた。
冷たい夜風が頬を撫でる。室内ではない。外だ。
「脱出成功……!」
目の前に広がるなだらかな丘陵。草原のかすかなさざめきが、優しく鼓膜を撫でていく。
振り返って見れば、灰色の石壁が高く聳えている。間違いない。あれは、領都の城壁……!
私は元々王都の生まれだった。母の没後、領地に連れてこられたが、屋敷を一歩出ればどこからでも見えるこの城壁が心底嫌いだった。
それはまるで、獣の檻のようで、息苦しさの象徴でしかなかったからだ。
その城壁を、今、外側から眺めている。
鳥肌が立った。嬉しさが爆発して、思わずその場で小躍りする。やんややんやと踊って、ハッとした。
踊ってる場合じゃない。早く次の街に移動しないと。
あぁでも、やぁーーーっとこのクソみたいな街を出ていくんだ。最ッ高……!
嬉しすぎてまた踊りたくなる。でも我慢。目的の街に着いたら、好きなだけ踊ろう。何なら打上花火も上げようっと!
──いや、その前にやる事があった。いかん。興奮しすぎて忘れてた。
持ってきたナイフを取り出し、腰まで伸ばしていた黒髪をザクザクと短く切る。よし。実にスッキリ。
握り締めた髪の束を、景気良くその辺にばらまく。髪がパラパラと夜風に流され飛んでいく。その光景に心から満足した。
……髪を切った理由は二つ。
若い女の一人旅はどうしたって危険が付きまとう。だから、少年の服と短髪で男の子に偽装する事にしたのだ。
幸い、私はガリガリで真っ平らな少年体型。そんなに違和感はない……と思う。
もう一つの理由は、長い髪は手入れが面倒だから。旅暮らしだと、定期的に風呂なんか入れないだろうし、いっそ短くした方が衛生的だ。
長い髪に何の未練もなかったので、バッサリいっちゃっても全く構わなかった。
髪を切ったら、身分を捨ててやったという実感が湧いてきた。実に清々しい。
最後に満面の笑顔を浮かべて、城壁に中指を立てる。あの家族がどうなろうが、もはや知った事ではない。
さて、次の街に行くとするか。
再び詠唱する。魔方陣が仄白く光り、その上に佇む私の姿は、光の消失と共にふっと消えた。
++++++
「到着ーーーー!」
ハーネの街に着いた。魔力が切れないように注意しながら、数日かけて、ようやく目的の街に到達した。嬉しい。
旅は思ったより順調に進んだ。綿密に立てた計画通りに各都市を経由し、安全に細心の注意を払い、やっとハーネに降り立ったのだ。感無量。
ふと自分を見下ろす。
薄汚れた旅装も大分様になってきたなぁ。少年の格好も正解だったとしみじみ思う。
この国の女性は髪を伸ばす習慣があるので、私のような女顔でも、乱雑に切られた短髪のおかげで男の子だと判断されやすかった。
用心深く、出来るだけ口数を減らし、街に着いたらすぐ宿を取って、部屋から一歩も出ずに過ごす。魔力を回復させたら再び移動開始。その繰り返し。
慎重に行動した甲斐あって、トラブルに遭遇する事はほとんどなかった。
目的地のハーネは、山に囲まれた国境の街である。古くからの交易の要所で、王都ほどではないが、なかなか活気に満ちていた。
あちこちに屋台が出ているし、行き交う人の数も多い。
このどこかに、私の女神……いや、魔女が住んでいるはずだ。
意気揚々とハーネに降り立った私は、お上りさんよろしく、キョロキョロ辺りを見回した。近くの屋台や雑貨屋の看板を眺める余裕さえあった。
この時の私は──目的地に着いてすっかり油断していた。
気が緩んだ田舎者や、ひとり旅の旅人は狙われやすい。例に漏れず、私も格好の獲物だったらしい。
突然腕を捕まれ、悲鳴を上げる暇もなく、あっという間に路地に引きずりこまれていた。
「んんーっ!!」
「なんだこいつ、男か?」
粗野な風貌の、いかにもチンピラな二人組が、私の顔を覗きこむ。息が臭い。おえ。
「だが、これだけ別嬪なら、男でも買い手が付くだろうさ。かまやしねえ、連れて行こうぜ」
「おう、さっさとずらかるとするか」
どちらも丸太のような腕をした、厳ついオッサンだ。腰に剣を差し、一人は片目を覆う眼帯を付けている。人相は極悪で、明らかにカタギではない。
ヤバい人攫いに捕まった……ざっと血の気が引く。
必死に手足をジタバタさせたが、力で敵うはずもなく、口を塞がれて魔法も使えない。
高位の魔法師の中には、無詠唱で魔法を使う者もいるというが、独学初心者の私にそんな高等技術があるがずもなく。
……詰んだ。
「んんん~~!!!!!」
この時、冷静だったら、のちのち隙をみて魔法で逃げるという作戦も思いついただろう。しかし恐怖でそんな余裕もない。
闇雲に暴れて、押さえつけていた男の怒りを買う羽目になったが、後の祭りだった。
「うるせえ、静かにしろ!」
殴られる……! 腕を振り上げられ、思わずぎゅっと目を瞑る。────でも、暫く待っても痛みはやって来なかった。
「放してやれ。その子、嫌がってるだろ」
おそるおそる目を上げる。
いつの間にか、一人の男が、チンピラ達のすぐ後ろに立っていた。
ヒーロー登場。
なっかなか出て来なかった!