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見習い男装魔法師と、無自覚な恋  作者: es


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21. 落下しました

 


 ラーシュが出発前に話していた事が、最悪の現実となって目の前に現れた。

 ──魔獣が増えた地域で、高位ランクの魔獣が出現するという、あの話。僕らはその不運を思いっきり引き当ててしまった。


 僕らが地竜を討伐してる間、この魔獣は木々に紛れ、物音を立てず密かに接近していたんだろう。

 青い炎のような(たてがみ)を靡かせた黒い獅子は、疾風のように一人の騎士に襲いかかった。彼は鎧ごと胸を食い破られ、悲鳴すら上げられずに絶命した。人形のようにくたりと力の抜けた体を投げ捨て、獅子は騎士団を睨みつけた。


「武器を構えろ! 迎え撃て!」


 レゼク様が叫ぶ。黒い獣が、威嚇の唸り声を上げた。水牛ほどもある漆黒の体を低くして、魔獣が次に狙いを定めたのは──僕だった。

 鎧も着けず、丸腰の僕なら簡単に狩れると思ったのだろう。そして、それは正しかった。


 バネのように黒い影が跳躍した。大きく開かれた咥内に、魔獣特有の蒼炎が揺れる。炎の奥に、ズラリと並ぶ鋭い牙が透けて見えた。

 今なら、蛇に睨まれた蛙の気持ちが心底分かるな……そう思った。一種の、現実逃避的な思考。降って湧いた突然の災厄に、反撃する隙も、避ける暇もなかった。

 もうダメだ──死を覚悟した刹那。


 顎に捕らえられる寸前で、黒獅子が大きくバランスを崩し、岩の上にもんどりうって倒れる。魔獣の後ろに、剣を構え、肩で息をする剣士が見えた。

 切り飛ばされた魔獣の後ろ足が、岩の上にドサリと落ちる。


「ぼさっとすんな、逃げろ!!!」


 ラーシュの厳しい声と、怒りに満ちた魔獣の咆哮が重なって、ハッと我に返る。見ると、片足を失って怒り狂った黒獅子が、血を撒き散らしながらラーシュに襲いかかっていた。

 丸太のような前足が、彼の頭上に振り下ろされる。鋭い音がして、長剣が鋭い爪を弾く。だが、ラーシュは体勢を崩して膝をついた。その隙を見逃さず、黒獅子がすかさず彼の首を食いちぎろうして──


 だが、今度は、僕の魔法の方が早かった。発動した瞬間、銀髪の剣士の姿がふっと消失する。魔獣の顎は空を切った。

 一瞬で二十歩ほど離れた位置に移動したラーシュは、驚いた顔でこちらを見た。魔力の気配で僕がやったと分かったのだろう。取りあえず真顔で親指をぐっと立てておく。


 今のは無詠唱の移動魔法。窮地に陥った時の奥の手だった。詠唱が不可能な状況とか、咄嗟に攻撃を避けたい時にこれがあると、生存率が格段に跳ね上がる。

 たとえば──人攫いに遭った時とか、今みたいな時に。


 必死になって覚えたけど、実は他人に使ったのは初めてである。賭けだったが、成功して良かった……!!


 グガァアアアッ!!!!


 ……とか、安堵してる場合じゃなかったァ!

 魔獣さんすっごいキレてる。燃えたぎる青い双眸が、再び僕に向けられた。


 背中を冷汗が伝っていく。今度は自分自身に無詠唱の魔法をかけようとして、だがそれより一瞬早く、距離を詰めた魔獣の爪が肩に食い込んだ。


「ぐぁ………ッ!?」


 地面と魔獣の足に挟まれ、爪がより深く刺さる。肩が焼けるように熱い。肋骨がギシリ、と軋み、肩から鮮血が吹き出して服を濡らす。辛うじて意識を保ちながら、僕は魔法を発動させた。

 僕の体は一瞬で移動し、魔獣の爪から逃れたけれど──咄嗟だったために、移動先に注意を払えなかった。


「うわぁっ」


 そこは空中だった。崖の先に放り出される形で、僕は落下していく。


「マールッ!!!」


 ラーシュの焦った声が遠退いていく。谷底は深く、僕はかなりの高さを落ちていった。





 +++++





 少し気を失っていたらしい。ふと目が覚めると、谷底の地面に転がっていた。


「いったぁ……」


 呻きながら仰向けになる。全身がバラバラになりそうなくらい痛い。魔獣に抉られた肩なんかは、身じろぎの度に、激痛で気が遠くなりそうだ。薄く目を開けると、木々の隙間に蒼穹が覗いていた。

 空が遠い。でも良かった、まだ生きてる。


 ……着地の寸前、咄嗟に風魔法で衝撃を和らげた。それと、落下の途中で枝に引っ掛かって、勢いが削がれたのも不幸中の幸い。それがなければ、僕は確実にあの世に直行してただろう。

 しかし自力で動けないのではどうしようもないな……と痛みに耐えながら嘆息していると、ガサガサと近くの茂みが動いた。

 一瞬、血の匂いに引き寄せられた獣か……と怯えたが、そこから顔を出したのは──飄々とした態度をかなぐり捨て、血相を変えて必死に僕を探すラーシュだった。


「いた!! お前、生きてるよな!?」


 駆け寄ってきた彼の顔は蒼白だった。それほど自分の状態が酷いのだろうか。

 でも、友人と目が合った瞬間、僕は泣きそうなくらい安堵した。


「ラーシュ……本物……?」

「当たり前だろ! 冗談言ってる場合かよ!?」

「黒獅子は……」

「んなのブッ殺して、速攻お前を探しに来たわ!」

「……ありがとう、助かった」


 ラーシュは痛ましそうに僕を見下ろして、側に膝を付いた。そして懐から小瓶を取り出す。


「"女神の霊薬"だ。俺の取っておきだから、心して飲め」


 え、それ、めちゃくちゃお高い回復薬では……と思う暇もなく、素早く瓶を開封したラーシュに、中身の液体を無理やり口に流し込まれた。


「うぇ……」

「絶対吐くなよ!」


 途轍もなく不味い。喉ごし最悪。女神様の名を冠してるのに、神々しさは微塵も見当たらない。別の意味ですごい。

 ……しかし、"女神の霊薬"と言えば、身体欠損と心肺停止以外何でも治癒可能な、凄まじい効能を持った秘薬だ。冒険者という職業上、ラーシュが最後の手段として持っていたのを使ってくれたのだろう。本当に感謝しかない。


 それを無理やり飲み込んで、あまりの不味さに気が遠くなりかける。だがラーシュの一言で、僕は現実に引き戻された。


「転移の護符を貰ってきた。砦に帰還するぞ。すぐに医師に診て貰おう」

「待って……! 医師って、砦に常駐してる医師……?」

「あたり前だろ、他に誰がいるんだよ」


 それ、絶対にヤバいやつ……!

 こんな満身創痍の大怪我で、服を脱がずに治療なんて不可能だ。間違いなく裸に剥かれ、本当の性別がバレる。

 性別を偽ってたのが砦の医師に知れたら、必ず騎士団にも報告が行く。そしたら、フローラさんが身分証を偽造した事も、僕の身元もいずれ露見するだろう。そんなの絶対にダメだ……!

 僕は痛みを忘れ、ラーシュを必死で説得していた。


「ラーシュ……砦の医師は、絶対ダメです……!」

「何言ってんだよ……」

「お願い……少し回復したら、自力で帰るから……」

「バカか、いくら霊薬飲んでもその怪我じゃ無理だろ!」

「砦だけは、ダメなんです……約束してください」


 僕だけならともかく、師匠が罪に問われるなんて耐えられない。それだけは何としても避けたい。

 うわ言のように「砦に行きたくない」と繰り返す僕に、暫く躊躇していた友人は、最後の最後で折れた。


「…………分かった。でもヤバいと思ったらすぐに連れていくからな」

「うん。ありがと……あと、ごめんなさい」


 事情があるのを察したのか、これ以上ないほど苦虫を噛み潰した顔のラーシュが、圧し殺した声でようやく頷く。それに安心して、今度こそ僕は意識を手放したのだった。



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