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嫌だ!
鮮明な声を聞いて、瞼を持ち上げる。
漂っているのか。
身体の感覚がない。目を開けた気がしたが、明るいのか暗いのかもわからない。
死んだのか。
ならば自分は今、何をしているのだろう。地獄への往路か。
死んだら無に帰すのではないのか。ぷつりと鋏で断ち切るような終わりがあるだけではないのか。
『おまえは我の子に非ず。それゆえ、連れてはいけぬ』
さっき聞こえてきた子どものような声とは違う、身体に沁み込むような声がした。
高くも低くもなく、流れる水のように心地よい、そんな声。
自分はまだ流れの中を漂っているのか。
「なんで」
問う己の声はひどく幼かった。今にも泣きだしてしまいそうに揺らいでいる。
『おまえは我の子であることを拒んだ。望みを叶えてやることはできない』
「私は、どうしたらいいの」
死ぬならここだと思った。
ここがいい。ここならば安心していける。不思議と強く確信していたのに。
眼前に白い着物の女が見える。
色の抜けた肌、闇を塗り込んだような髪。
細く長い指先が真っ赤な唇に触れる。冴え冴えとした水の匂いがした。
微かに笑みを零した彼女は、幼子のような私を慈しんでくれている。
そう、なぜか、よくわかった。
氷のような指が私の鼻筋を撫でる。
それはあの日、私が大人にはさせなかったことだった。
あれを拒絶した私は、この神の子にはなれなかった。
だから、拒絶されるのだろうか。
女はすっと目を細めた。それは少し悲しそうで、けれど嬉しそうにも見えた。
……コ…ちゃ……コウ………
途切れとぎれに声がする。
「コウちゃん、コウちゃん!」
懐かしい呼び方をしてくれる声は、記憶に焼き付いている少年のものより幾らか低い。
……裕介先輩。
応えなければと口を開くが、声ではないものが胸をせり上がり吐き出す。喉が焼けるようだ。顎を口から溢れたぬるい水が伝う。
ひどく重たい瞼を持ち上げると、月の光を背負った影が覗き込んでいた。よく見えないのに、何故か、目頭にたまった涙が光を弾くのだけはよく見えた。
「ゆ、すけ……せんぱい」
平らな床のようなところに横になっていた。
先輩の服が濡れそぼっているのは私を引き上げ、流れのほとりに建つ神社まで運んでくれたからなのだろう。
寒さは感じなかったが、自分のものとは思えないほど身体が重かった。水面にたたきつけられたからか、岩で打ったのか、全身が鈍く痛む。
「わたし……わたし……死ねなかったの」
涙が溢れ、顔の上を流れる。眼と鼻が熱くて堪らない。
身の内から湧き上がる熱に、どうしようもなく生きているのだと思い知らされる。
ああああ、と声をあげて泣いていた。
戻ってきてしまった。
どうしたらいいのか、わからない。
それが悲しくて、苦しくてどうしようもない。
終えてしまえたらどんなにか楽なのに、また立てと、歩けと言うのか。
そんな勇気は砕けてしまっているのに。
どうしたらいいの。
社に施された竜の彫刻に手を伸ばす。届くはずがない手が、強く握られる。
触れた肌から伝わる熱を僅かに指先が感じる。
裕介先輩の顔がすぐ近くから私の目を捉える。瞳に宿る青白い光は優しい。
ああ、そうだ。
思い出した。
あの日、彼の笑顔の奥に見上げた神輿にも竜の彫刻が施されていた。