34話 愛してますよ
ソニアのアトリエは役所とは反対方向の霧の森の近くにある。雪がまだ残っている中、歩くのは少し大変だがワガママなど行ってられない。
謎の女はともかく、男まで現れるなんて。どうもこの事件はカオスな様相を帯びている。
「あれ、マスミじゃないですか」
役所を出て歩き始めている時、牧師さんに会った。牧師さんは今日は私服だったが、ちょっと書類を出す仕事があり、役所に行ってきた帰りだと言う。
「マスミはこれからどこ行きんです?」
牧師さんは私のおでこにあるバンドエイドを軽く睨む。いつもは、おっとりと優しそうな人なので、この表情は意外だった。
「実はソニアの家に行こうと思ってるの。事件について何もわからないし、もうお手上げよ。ソニアが謎の女性と接触していた事がわかったんだけどね」
「もう、事件の調査なんてやめましょう」
「え?」
牧師さんは唇をかみ、実に不愉快そうだった。いつもは事件調査について反対された事はないので、驚きで私は目を瞬かせる。
「どうして?」
「昨日も危険な目にあったんでしょ。だめです、マスミ!死んでしまいます」
私はさらに驚く。
杏奈先生の事件の時は、彼女が死んだすぐあとも「大丈夫、大丈夫」と言って、私をカフェに一人残していたでないか。一体どういう心境の変化だろうか。
「でも、このままにそておくのも危険よ」
私は立ち話ではあるが、今まで事件について知り得た情報を牧師さんに伝える。謎の男や女についも。ブラッドリーが誘ってきた事も伝えると、牧師館さんに表情はなぜか重くなる。
「それでブラッドリーと会うんですか?」
「そのつもりだど」
私は正直に全て言った。あと事件とは関係ないかもしれないが、クラウスたやヘクターからもモテ期になっている事もつい口を滑らせてしまった。
言ったすぐそばから後悔する。こんな話題を好きな人にして何になると言うのだろう。まるで自分はモテ自慢をしている痛い女ではないか。
「いや、でも。なんで…」
牧師さんは驚いているというか、心底信じられないという顔だ。よっぽど私がモテない女だと思われていたようで、苦笑するしかない。
「まあ、ここで立ち話をしていても仕方ないじゃない。とりあえず私はソニアの家に行くわ」
私はショックを受けている牧師さんを無視してソニアのアトリエの方向に歩き始めた。
「ちょっと、待ってくださいよ。私も行きます!」
なぜか牧師さんは、私の前を歩いている。まるで、私を守るかのように歩いている。この国にはいわゆるレディファーストは根付いていないので、不自然では無いが牧師さんの行動は謎である。
「ところで、牧師さんはティラミス食べた?」
なんとなく空気が重いので、お菓子の話題でも振ってみる事にした。
「まだ食べて無いんですよ。村で評判いいですか?」
「そうね、デレクのカフェでは女性陣たちに好評だったよ」
「『私を元気づけて』っていうお菓子でしたっけ。何か、私も励まして欲しいなぁ」
「牧師さんは何かあったの?」
牧師さんは、いつもはおっとりとしているが、やたらとメンタルが強い男である。しかし、今日はどことなく様子が変だった。
「もしかして牧師さん、元気無い?」
牧師さんは頷く。あんなメンタルが強そうな牧師さんが落ちこむなんて、どういう事だろうか。
「何かあったの?」
「ジミーの甥のヘクターにちょっと嫌味を言われてね」
「ヘクター?」
確かにあの男は、ソニアにもヤジを飛ばしていたし、どこか俺様系の男であまり良い性格には見えないが。
「ええ。キリスト教なんて今時古臭いって、ニューエイジ思想を勧められてしまいました」
牧師さんは、ちょっと悲しそうに目を伏せる。
「ニューエイジ思想ってなんですか?」
「まあ、魔術までは言いませんが『自分は神様になる』と言う思想ですね。現実は全部人間の意識が創っているという新しいタイプの宗教敵思想が王都で少しはやっているみたいです。アンチキリストですね」
ニューエイジ思想は日本でも聞いた事がある。詳しくは知らないが、引き寄せの法則などスピリチュアル的な思想に近いという。キリスト教とは正反対の思想のようだ。牧師さんもため息が出るのもわかる気がする。
「キリスト教って古いですかね?」
「そんな事ないわよ。牧師さんがそんな風に自信を喪っていたら、天国にいるイエス様が悲しむんじゃない?」
牧師さんはちょっと目が覚めたような表情を見せている。
「杏奈先生の事件の時、『迫害されたら喜ばなくちゃ』って言ってたじゃない?そのメンタルの強さはどこにいったの?」
私は精一杯牧師さんを励ました。別にキリスト教を信じていないノンクリスチャンがこんな事を言っても心に響かないかもしれないが、落ち込んでいる牧師さんはらしくない。ちょちょ浮世離れしているが、この人の心の強さ葉信仰によるものだろう。待ったヘクターは余計な事をしてくれたものだ。わざわざ牧師さんに文句をつけに行くなんて、よっぽどだ。この事が事件と関係あるかはわからないが、ヘクターという男も十分怪しいと感じる。
「そっか。何かマスミに励まされてちょっと元気が出てきましたよ」
「本当?」
「ええ。そうですね。僕は神様が一番大事だ。否定的な事を言われても逆に喜ばなくちゃ!」
そう言って牧師さんは胸を張る。元気が戻ってきたようで私もホッとした。
「ありがとう、マスミ愛していますよ」
言葉だけ取れば愛の告白ではあるが、牧師さんが言うそれは隣人愛以上のものは無い事は、よくわかっていた。
「ええ、こちらこそ…」
私は薄く微笑むが、一抹の寂しさを感じる事は否定できなかった。
そんな事を話しつつ、霧の森の近くにつき、ソニアのアトリエに到着した。




