0008 世界はあまりにも広大すぎるので……
↓2012.01.10
世界はあまりにも広大すぎるので……
世界はあまりにも広大すぎるので、人はそれを真に包括的に捉えることは出来ない、と考えている。だから、特定の方向性を定めて体系化することでしか、何かを捉えることは出来ない、と考えている。
たとえば、ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学という2つの体系がある。ユークリッド幾何学と非ユークリッド幾何学は矛盾しているように見えるが、どちらも同じ世界を対象として理解を深めるために体系づけられていると思う。ただ、方向性(目的といってもいい)や対象とする範囲が異なっているので、単純に比較すると矛盾しているように見えるだけだ、と考えている。
哲学はしばしば方向性を宙ぶらりんにして、世界を体系づけようとしているように見える。私はそれをくだらないと思う。
(高校生のときに、『XXXXX』を読んだときの感想)
↓2012.03.07
CDが発売されるようになって……
CDが発売されるようになって、その音を鼻がつまっているようだと感じたのは、もうずいぶんと(三十年くらい)前になる。どうも自分は普通の人より聞き取れる音域が広いらしいと気づいたのは、もう少し後になる。
聴覚検査で「よく聞こえていますよ」と言われたこともあるので、自分の聴覚範囲が広いことは間違いないだろう。
普通の人に、CDよりLPの方が音がいいと言うと変な顔をされるが、仕方ない。
同じように感じている人に会ったことは一度しかないから、千人に一人くらいの割合なのだろうと、適当に推測している。
大勢の人が集まって会話しているような騒がしい場所で、人の話が聞き取れなくなるのも、何か自分の聴力に関係しているのかもしれない。
年を取ると聞き取れる音域が狭くなると聞いている。最近、昔のPCM(デジタル)録音のLPを聞いたら、以前ほど違和感がなかったので、衰えてきているなと思った。
↓2012.03.07-2013.06.01
西洋絵画と浮世絵
明治以降、日本のほとんどの音楽は西洋音楽になったという指摘がある。それはある意味正しいと思う。
私は、セザンヌ以降、西洋のほとんどの絵画は浮世絵になった、と思う。
それは、例えば、遠近法に縛られてない大胆な構図とか、見ることを純粋に楽しむという精神だとか、に表れていると思う。
(セザンヌより前の西洋絵画には、あまり興味がない。アメリカのほとんどの絵画にも・・・。ギリシャ彫刻やポンペイの壁画などにさかのぼると、別だが。XXXXXは徹底的に文化を破壊した、と感じる。)
↓2012.03.13
よく、「日本はxx年遅れている」という表現を……
よく、「日本はxx年遅れている」という表現を目にする。比較することに何の意味があるのかと思うこともあるし、遅れているのは比較相手の方ではないかと思うこともある。アメリカとの比較では、どっちがいいか分かりはしないと思うことが多い。
遅れているから追いつかなければならないと、強要したいのが見え見えだ。どうあるべきか、などということはなるべく議論せずに、とにかく押しつけようという考えが透けて見える。
↓2012.04.01
わたしは、「頭が良い」と「賢い」という言葉を……
わたしは、「頭が良い」と「賢い」という言葉を、自分なりに定義して使い分けている。同様に、「頭が悪い」と「愚かだ」という言葉を使い分けている。そして、「頭がいい」人間は受け入れられやすいが、「賢い」だけの人間は受け入れられにくいということが世の常であり、世の中がうまく回らない理由の一つだと思っている。
自分の定義では、「頭が良い」というのは記憶力が良いとか計算速度が速いとかいったことであり、「賢い」というのは察しがいいとか、言っていることとやっていることの整合性が合っているとか、全体を俯瞰して考えられるというようなことである。
それに対して「頭が悪い」は「頭が良い」の反対であり、記憶力が悪いとか計算速度が遅いとかいったことである。また、「愚かだ」は「賢い」の反対であり、人が言いたいことを誤解したり、自分が言っていることと矛盾したことを無意識にしばしば行なったり、一部だけを見て全体を判断するような人のことである。
「頭が良い」人が優秀な成績で学校を卒業して、社会的地位の高い仕事に就くのは当然であるが、その中にかなりの割合で「愚かな」人が含まれていることが、しばしば社会をとんでもない方向に向けさせる一因になっているように思う。自分の感触では、「賢い」人は「頭の良い」人より圧倒的に少なく、「頭が良く」て「賢い」人はほとんど存在しない。
「賢い」人はあまりにも少ないので、彼らを選別する社会的なシステムを構築するのは非常に難しいことだと思う。それで、「賢く」ても「頭が良く」ない人に社会的な力をほとんど持たせることができず、効果的に活躍してもらうことができないでいる、と思う。それは社会にとって大きな損失であると思う。