0007 後悔することが分かっているにもかかわらず……
↓2011.08.17
後悔することが分かっているにもかかわらず……
後悔することが分かっているにもかかわらず、自ら求めてその行為を行うという物語がある。それなりの葛藤の末であるのなら理解できないこともないが、そうであっても、すっきりしないことが多い。勿論、何の葛藤もないのであれば、ただ愚かしい物語でしかない。
しかし一番愚かしいと思うのは、そんなことをすれば困ったことになるのが明々白々であるにもかかわらず、登場人物たちがそのことに全く気づかず、やっぱりなぁという結果に導かれる物語である。下らなすぎて、気分が悪くなる。作者の幼稚さが発露していると思う。
↓2011.08.24-2012.12.18
「進化」という言葉について
私は生物学における「進化」という言葉があまり好きではない。「進化」という言葉には「以前より良くなる」という含みがあることが多く、それが自然の法則だと当然のように思っている人がいることに、引っ掛かりを覚えている。
「以前より良くなる」という意味での「進化」が当然のことであるかどうかは、厳密に証明されているわけではないと思っている。そして、それを仮説として扱うのではなく、当然のことだと信じて疑わないのは、宗教的な妄信だと思っている。(科学者やその関係者たちの社会では、単なる仮説を絶対の真理であるかのように説明する人が少なくない。私はそれを中世的だと思っている。)
「以前より良くなる」という意味での「進化」についての仮説は次のようなものだろう。
「変異」は複雑化の方向へ進む。その中でもより適応能力の高いものが競争に勝ち残り、他は淘汰される。従って、より高度なものが生き残り、結果として「進化」する。
生物において「変異」があるのは間違いないと思っている。しかし、「変異」が上記のような意味で「進化」になるかどうかは分からないと思う。この「進化」は頭の中だけで組み立てられた推測であって、現実の世界において実証されているわけではない。変異が複雑化していくのかどうかも、適応能力が高いものだけが生き残るものなのかも、確かではない。(単純化して適応能力が高くなる場合があるかもしれない。適応能力が相対的に低くても、あるレベルの適応能力があれば生き残れるかもしれない。)
もっともらしいからというだけで正しいということにはならない。もっともらしいというのは、単なる気持ちの問題でしかない。もっともらしければ正しいのなら、かつて西欧で信じられていた天動説も正かったはずである。
生物学での「進化」という言葉は「ただ変化していくこと」とし、良いも悪いもないと定義すべきだと思う。それでなければ、「ただ変化していくこと」という意味の言葉を新たに定義するべきだと思う。現状では、「進化」という言葉は、観念的な仮説を暗黙に含んで使われていることが多く、適切ではないと感じる。
↓2011.10.23
よく少女マンガでは……
よく少女マンガでは登場人物の優秀さを表現するために、第三者が噂話でほめそやすという場面が描かれる。それは何の証明にもなってないよと思うが、人によってはそれで十分ということなのかもしれない。つまり、皆が言っているから安心できるということなのだと思う。安心できればそれ以上考えないという面もあると思う。
↓2011.10.27
他者が関わるような問題では……
他者が関わるような問題では、自分の考え以外は認めないという独善性・排他性は、わがままを言って床の上で手足をじたばたさせてわめいている幼児のそれと同等であると思っている。最後には暴力で解決しようとするので、力の強い者の意見だけが通り、正しいかどうかは関係なくなる。
自分の意見を主張し、他人の意見にも耳を傾け、交渉次第ではあえて妥協を選択することが、成熟の一要素だと思っている。対立があれば、自分の意見が100%通らない場合があっても仕方ないと思っている。
↓2011.10.31
今の法制度では……
今の法制度では、誰かに攻撃された場合、防御するのが難しい。
不合理な喧嘩両成敗が基本なので、防御のために反撃するだけで罪に問われてしまう可能性がある。防御せずに被害者とならなければ、攻撃した側を罪に問うのが難しい。相手に危害を与えずに防御するのは非常に難しいし、うまくできたとしても相手の罪は軽減されてしまう。相手は重大な罪を犯すまで何度も試せる。
↓2012.01.10
自分が何かを理解するとき……
自分が何かを理解するとき、必ずしも(表面的な)理屈を組み立てることによって理解しているわけではない。しかし、自分が理解したことを人に伝えるためには、それを論理的(絶対的なものではないという認識が根底にある)に理屈を組み立てて説明するしかない。
人はそれを理屈としては捉えられるが、理解出来るとは限らない。