0002 この世では因果律が……
↓記述日不明
この世では因果律が……
この世では因果律が成り立っていないかもしれないと考えることは、この世がコンピュータ内の仮想世界のようなものかも知れないと考えれば、理解しやすいかもしれない。コンピュータ・プログラムで仮想世界を設定する場合、その設定内容はある意味自由自在である。ちょっとパラメータを変えれば全く異なった結果が出てくるし、バグがあればでたらめな動きをする。そのようなことがこの世で起こっていたとしても何も不思議はない。(因果律が成り立っていたとしても、人間にはどこでどのようにそれが成り立っているのか、判断しきれないはず。因果律が成り立っているように見えても、そう見えるというだけで成り立っていると断定することはできない。ただし、限定的な状況での再現性があるなら、因果律が成り立っていると見なしても支障がない可能性が高い。適用する状況を拡張すれば支障がある可能性が高くなると考える。)
天動説における推測には……
天動説における推測には2つの欠陥があったと考える。
ひとつは、乏しい知識をもとに推論を組み立てたこと。しかしどれだけの知識があれば十分であるのかは誰も断定できるはずがなく、全ての推論がその欠陥を持つと言える。
もうひとつは、狭い範囲での観察を無批判に広い範囲に適用したこと。太陽がもっと遠くにあると分かっていたら、身近な現象とのアナロジーで推論を組み立ててはいなかっただろう。太陽をまるでボールであるかのように考えることで、天動説は成り立っていると思う。
同じ間違いを現代の多くの科学者があいかわらず犯していると思う。すべての理論は仮説でしかないと承知しておくべきだ。
LPの音は粒が細かくシルキーで……
LPの音は粒が細かくシルキーで、音域が広く響きが良い。体に染み込んでくるような感覚がある。しかしほとんどの人はその違いがあまり分からないようだ。CDと聞き比べれば誰にでも違いがあること自体は分かるらしい。しかし、LPだけを聞いてはっとするほど分かる人はどうも少ないようだ。
電子楽器を多用する音楽では、LPとCDの違いはあまり無いと感じる。しかし、生楽器や生の声を大事にする音楽ではLPとCDの音の違いは大きい、と自分は実感している。後者の音は鼻が詰まっている人の声のような感じだ。
ピアノに関してはその生の音を聴く機会が多かったので、それなりに耳で分かっていると思っている。生のピアノの音が一番自然な音であるとしたら、LPの音でさえ変な音と感じられる。しかし、とりあえずはピアノの音ではある。しかし、CDではもうピアノの音には聞こえない。何か別の電子楽器の音である。
それが戦争の終結に役に立ったのだとしても……
それが戦争の終結の役に立ったのだとしてもそうでなかったのだとしても、広島・長崎の原爆投下が人類史上最悪の残虐行為であったことに変わりはない。残虐行為は正当化されるべきではない。
民主主義が万能というわけではない……
民主主義が万能というわけではない。憤りを感じるようなことを防ぐために十分な制度ではない。しかし、共産主義や独裁のように大量虐殺が起りやすくはないことが最大のメリットである。国内に限って言えばだが。
時代・地域が違えば……
時代・地域が違えば、価値観は極端に変わりえる。一方で正しいことは、一方で正しくない。全ての正しさに普遍性は無い。正しいは、ただ限定的な意味しかない。
自分だけが正しいとして、差異を認めようとしないのは、傲慢だ。差異を一方的に批判し、優越感に浸り、それを滅ぼそうとすることは、愚かしい。しかし、攻撃することを好む者達を止めるすべはない。
最大多数の幸福を追求するというのが、普遍的価値になりうるかもしれないが、それは時代・地域による差異を認めるということでもある、と思う。
罪を犯した人間が罰せられるのは……
罪を犯した人が罰せられるのは当たり前のことと考える。彼らは罪を犯すことで、人の社会的な権利を否定しているのである。そうであるから、罰として、彼らの社会的権利を罪に応じて放棄させるのは、適切である。「人権」がその中に含まれるのは当然である。