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滄溟を仰ぐもの  作者: 水屋七宝
第壱章
7/11

壱之壱 天に尾しだる銀狐

 狐霊が意識を回復した直後、唯衣が周章どさくさに呼んだ老医者の診察を受けた。その結果、疑う余地なく健康であるというお墨付きを得た。

 ただし医者すら生きている理由も目を覚ました原因もついぞ見当つかずらしい。当然様子見を推奨され、今後も定期的に検診を続ける事になった。

 君、実は幽霊なんじゃないの?_________などという医者として最低な冗談が炸裂するも、そんなことも意に介さず狐霊は終始にこにことして朗らかな佇まいであった。


 診察を終えると医者と入れ替わりで、唯衣からの吉報を聞きつけた友人らが強盗まがいの勢いで押しかけた。具体的には日常的に関わりのあった面々の実津平さねつひら兄妹と薪奈売(まきなうり)初子(はつこ)、それに肩身の狭そうな様相の条治を加えた四人だ。

 彼らは狐霊の伏する敷布団を囲むように畳に腰を下ろした。集った全員の顔をぐるりと見回すと、なんとも言えない吐息が漏れた。


 実に三年越しの再開を果たした友人らはすっかり成長していた。姉は弐拾壱にじゅういち歳、外張と初子は拾伍じゅうご歳、三春は拾肆じゅうし歳。各々の体格はもとより顔立ちも雰囲気もが大人っぽくなっている。途轍もない違和感はしかし、暴力的に()()()()()を実感させた。


 真白が「お茶を淹れてくるね」と言ってその場を外れた。それを引き金にしたように初子は嗚咽を漏らし始め、狐霊の手を包み込むように握り額を押し付けた。


「よかったね、初子ちゃん」


 その背中をさする三春も、目には零れんばかりに涙を蓄えていた。


「うん……みよくんが起きてくれて、ほんとによかった……!うっうっ……うぅぅぅええええんっ!」


 その後は堰を切ったように咽び泣くのでどう声をかけたものか困ってしまった。かける言葉を探しているだけなのに変な汗をかいた。


「体は大丈夫なん?」


 気の所為だろうが、まるで自分に頼もしい兄でもできたかのような、暖かな錯覚を覚えた。


「……あっ、うん。なんともないみたい」


 狐霊は空いている方の手で自分の体をあちこちぺたぺた触ってみたり、関節を屈伸させてみるが特に違和感はない。むしろ調子が良すぎるくらいである。我ながらおかしな話だという自覚はあるが、事実なのだから仕方ない。

 ただひとつ異常を挙げるとするならば……やはりこの首にあてがわれたままの正体不明の装具だろうか。なぜ三年たった今もって外されていないのか、理由は単純だった。


 狐霊は唯衣から、これを外すためにあらゆる手段が試されたことを聞いている。試しに自分でも外してみようとしたが、まるで癒着してしまったように金具はびくともしなかった。視界の隅に条治が忌々しげに舌打ちするのが見えた。

 これについては謎だらけだ。いつまた同じことが起こるか知れないという不安もあり、彼らからの不倶戴天の思いは深まるばかりだ。

 居た堪れない雰囲気のなか狐霊は、ともあれ言うべきことを発した。


「心配かけちゃったみたいで、ごめんなさい」


「ほんとよ!」


 すると唯衣は思い出したように表情をころりと変え、先程までのしゅんとした姿勢はどこへやら般若の形相を顕にした。


「条治おじさんがぐったりしたあんたを担ぎ込んできたときは肝をつぶしたわ。もう二度と得体の知れないものには触っちゃ駄目よ。母さんなんて、どれほどあんたのことを……」


 恐らく今日までに図り知れぬほどの暗然たる思いを抱えてしまっていたのだろう。口調こそ落ち着いているものの、怒髪天を衝く声色だった。以前、寝ている姉の顔に落書きをするなんて悪戯をした時にも火山の噴火を招いた覚えがあったが、今回は例えるならじわじわ迫る高潮といったところだろうか。それよりも遥かに恐ろしいのではと感じ狐霊は肩を縮こまらせた。

 唯衣の言葉に、痩せこけた母の顔を思い出した。知りうる限りではかなり肝が据わっている方の人物だが、今回ばかりは事態を重く受け止めるべきだろう、あとで面と向かって謝らねばと思った。

 大人しく怒られようとしたところ、しかし唯衣は中途半端に口をつぐんだ。


「唯衣ちゃん、それ以上はやめてやってくれ。元はと言えば俺のせいなんだ」


 条治が間に割って入り制止した。その言葉に皆の視線が集まり、条治は一歩下がると姿勢を正した。すると条治は畳にめり込むほど額を擦りつけた。


「すまなかった!俺が浅はかなばっかりに狐霊をこんな目に遭わせちまって……」


 逼迫した土下座を目の当たりにした狐霊はぎょっとした。よもや条治のこんな姿を目撃する日が来ようとは夢にも思わなかった。そこにはあの剛毅の面影はなく、まるで処刑を待つ罪人のように孤独で寒々しい背中があり、咄嗟に擁護せんと出かかった言葉も喉に詰まった。

 穏やかなさざ波の音。遠くに響くかもめの声。ぱちんと火鉢の爆ぜる音すら騒ぎ立つようだ。未だすんすんと啜り泣く初子の声が、まるで告罪の如く突き刺さる。


 気づけば周囲の視線は狐霊の方へ注がれていた。一様に口は閉ざされているが、瞳が語りかける。

 おそらく彼らは今日までもさんざ謝罪を聞き受けたのだろう。贖罪もあったに違いない。その眼差しには彼への蔑も虚もなく、往時よりの宥免があるのみだ。狐霊はそれならばとふわり咲った。


「僕こそ、待たせてごめんね。でもやっと、聞いてあげられてよかった」


 その言葉がどう届いたろうか、条治は顔を上げ、安堵と落胆が混在たような震える声で言った。


「……そりゃねえよ。お前が優しい子なのは知ってたさ。知ってはいたがよ、惡いのはどう考えても俺だろう。そんなものを見つけさえしなければ……」


「ううん、よかったんだよ。おじさんが見つけてくれたおかげで、他の人がこんな目に合わずに済んだんだから」


 狐霊は驚きこそしたものの、最初から怒りも恨みも抱いていない。それよりも条治が後悔と自責に囚われていることの方がよほど苦しいことだ。

 三年というただでさえ長いこの年月を、千秋万秋ほど気の遠くなる思いで過ごしてきたことだろう。それを思えば自分だって、他でもない彼らを苦しめた一個人として同罪だ。大体この首輪が超凡な代物だと誰が気づけるはずもない。誰を咎めようも無いのだ。

 白い寝間着の袖から、更に白い細腕を伸ばす。誰かの手を取るように、こぼれる水を受けるように。


「ええと……きっとさ、意味があることなんだよ、これとの巡り合わせには。だって結果的に僕は健在なわけで、それに首輪が取れなくても暮らしに支障はないっていうか……つまりその……にひひひひ、お願いだからあまり自分を責めないでほしいな、なんて」


 全然気の利いた言葉が出てこない、と思った途端に気恥ずかしさがこみ上げる。結局最後まで格好がつかず相好はふにゃりと崩れた。

 心に深く張った根を全て取り除くには不足も多かろうが、子供なりに可能な限りの言葉は尽くしたほうだった。

 しばらくの沈黙の後、条治は絞り出すように呟いた。


「……困っちまったなぁ、ありったけ文句を言われるつもりで来たはずなのに……俺は、どうすりゃいい」


「そら観念すればいいのよ」


 条治は声のする方を向く。そこには、手に盆と湯気の立ち上る七つの湯呑を乗せた真白が立っていた。真白は近くに腰を下ろし、湯呑を配りながら言った。


「私らは口を酸っぱくして言ってるけど、一度だってあなたを恨んだことはないんだわ。誠意ならずうっと見せてもらってるし。だいたい、狐霊が起きた以上もう無意味だよ。言ってることわかるだろ?」


「それでも……俺はまだ何一つ償えていない」


「ばかだね、まったく。そういうのは狐霊の面をちゃんと見てから言いな」


 条治はごくりとつばを飲んだ。恐る恐る、ゆっくりこちらを向く。


「もう。()()()()目を合わせてくれたね」


 条治は目を見開いた。忘れていたことを思い出したような、そんな表情。


「……そうか、お前は……やっぱりあいつの子なんだな」


「ええ、本当に。そっくりだわ」


 春の木漏れ日のような真白の言葉は青ざめた顔に段々と血色を取り戻してゆき、憑き物が落ちたようにその目は澄んでゆく。いつの間にか初子の涙も乾いていた。


「……ありがとよ……それと、おかえり狐霊」


「にひひ、ただいま」


 ずびび、と条治が鼻を啜る音に思わずきったねえ音させんなと漏らすと「うるせえ」と涙声が返ってきた。一気に空気が和らいだような気がした。


「さあさあ、熱いうちにどうぞ。積もる話もあるだろ」


「そりゃそうだ。起きて早々暗い話ばかりでみよもげんなりだろ」


 これにて一件落着。雪どけの新緑に喜ぶが如く、みな真白から湯呑みを受け取りつつ思い思いに茶菓子を摘みはじめる。狐霊は一瞬「積もる話?」と疑問を浮かべたが、すぐに意味を理解して落ち着きを無くした。この三年の間に皆がどのような暮らしをしてきたか、それを訊かずば夜も眠れない。


「それにしても、みんな見違えるほど大きくなったねぇ」


 外張はやんちゃ小僧だったのがどっしりと落ち着きを持った風格を備えているし、三春は親を失って影を落としていたのが明るくなっている。初子も元気っ子だったのがお淑やかになって、逆にひ弱になったのではないかと心配しそうになるほどである。時の流れをしみじみと感じていると、外張は首を振った。


「なーに言ってんだ。お前には負けるよ。お前なんか、()()()()()()()()()()()()()()()()


「へ?」


 言葉の意味がわからなかった。きょとんとして外張の瞳に聞くように見つめると、少し照れたように外張は目をそらした。無論、狐霊は紛うことなき男である。それをどう言い間違えるとそういった言葉になるのだろう。

 遅れて湯呑を取ろうと少しだけ前かがみになって手を伸ばした時だった。


 さらり


 視界の端に、何か白い布のようなものがうつり込んだ。それは自分の頭の上から垂れているようだった。


「えっ」


 被り物をしているはずはなかった。さっきまで眠りこけていたのだから。狐霊はそれに触れると、一つ一つが糸のように細く、無数にあることに気がついた。狐霊は梳くようにしてそれを自分の正面まで寄せると、きゅっと瞳孔がすぼまるのを感じた。


「おっ……おぉぉぉおぉお?」


 それが狐霊自身のものであると理解することができなかった。いや、一瞬理解を拒んだと言ったほうが近いかも知れない。そこには上絹のようにさらさらとした手触りの、艶やかな『銀色の長髪』があったのだ。

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