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新人歌手まつりの場合

 この瞬間は、二人だけの空間。

 自分と相手の呼吸しか聞こえない、世界と断絶された中、耳の奥に届いた音は、今までの中で”会心の出来”だった。

 もちろん、自分の耳だけでなく、画面上に表示される波形を確認する。なだらかな波形とは言えないが、編集ができないものはない。

 目の前に置いてある原稿との違いもない。


「・・・うん、今日の収録はこれで終了。お疲れ様」


 ブースとスタジオをつなぐTALKトークボタン押してヘッドフォンをしたままの彼女に終了を告げる。


『本当ですかっ! ありがとうございますぅ!』


 液晶画面越しに見える、彼女は両手を挙げている。素直な感情表現に口元に緩む。


「細かい修正はあるけれど、今日イチだったよ」

『カナデさんに、そーいってもらえて嬉しいですぅ!!』


 小さい声で「やった」とつぶやいた声もマイクを通して丸聞こえだ。

 彼女が今回、この収録をした理由を知っているからこそ、相当、不安だったことが察することができた。

 それでも、そのプレッシャーをはねのけて今回の仕上がりになったことを思うと、やはり、彼女の生まれ持った才能、表舞台に立つことができる一種のカリスマ性をこの収録をもって耳を通じて感じた。


「はいはい。ほら、ヘッドフォン外して、ブースから出てきなさい」

『はーい!』


 興奮冷めやらない様子の彼女をたしなめながら、声をかけると、元気の良い返事が返ってきた。

 すぐに、ザラザラとした擦れる音やドアが動く金属音など賑やかになってきたところでボタンから手を離す。

 彼女が来るまでに、録った音をどう編集するとより良いものができるのか、頭の中でイメージを膨らませていく。

 卓上に置いていた原稿を眺めて下がったメガネのブリッジをあげる。


「お疲れ様でしたぁー」


 ガコンと、防音扉の独特な鈍い音が鳴る。開いたと同時に顔を出したのはさきほどまでブースにいた彼女ーー新人歌手のまつりちゃんだ。


「まつりちゃん、お疲れ様」

「はいぃ〜」


 ふにゃリと笑って、くだけた表情をするまつりちゃん。

 それに合わせて、ふわりと視界に映るは色とりどりの鮮やかな彩色。まつりちゃんの見た目は、王道アイドルのように黒髮、だけどピンクメッシュが入っている個性派アイドル。その個性に応じた服装は、いわゆる原宿系と言われるファッションの一つ、ゆめかわいいファッションでレトロ&ポップがよく似合っている。


「練習、頑張ったでしょ? 成果がよく出てたわよ」


 素直な感想を伝えれば、まつりちゃんはゆるゆると口元が波を描いて、その可愛らしい顔を崩す。


「えへへ。カナデさんのアドバイスのおかげですぅ」


 まつりちゃんのその見た目や喋り方で、不真面目に見られがちなのだが、実際はこんな風にアドバイスを真摯に受け止めて、練習だってきちんとする誠実な子である。


 ーーー目指す道になかった、この”声の仕事”のために、勉強をしている。


 こんな風にボイスサンプルと言われる、いわゆる声優業での名刺となるサンプルをつくっているまつりちゃんは声優ではなく歌手志望である。事務所には所属はしてはいるのだが、まだ個人名義でのデビューにはいたっていない。

 もちろん、まつりちゃん自身も歌手一本というワケにはいかないことはわかっている。そのため、少ないながら舞台出演などもして、活動の幅を広げているところだった。

 そんな中、その特徴的な声を買われて、事務所の仕事の一つとして、アニメデビューした。

 アニメデビューと言っても、1話限りのゲスト出演だったようだが、ネットで「この声は誰!?」と話題になり、声優出演依頼が来るようになったらしく、事務所の指示で、今後のためにボイスサンプルを作成することになったのだ。


「そうだったら嬉しいわ。それにアドバイスしても、本人が勉強しないと意味がないからね。ほんと、マツリちゃんはエライよ」


 面識もあったこともあり、事前の原稿確認、そして、アドバイスを求めるメッセージ。

 そんな風に努力している彼女を無下にすることはできない。気になる部分などの意見交換やイメージの共有をした。

 もしかしたら、みんな、まつりちゃんのように向き合っていると思っているのかもしれない、いや、ごく一部を除いたら、大部分の人はそうだと思っているかもしれないけれど、実のところ、本業でないタレントや俳優さんの場合、「これ限り」なんて言って”声優”の練習をする人は、意外に少ないのが現実だ。


 ーーーいわゆる、大人の事情ってやつを、関わっている人は分かり合っている。


 この事情は、私自身、身に染みわたるぐらい知っているのだから、私も同罪でもある。正確に言えば、罪ではないとわかっているけれど、いまだに、そのことを割り切ることができず、うしろめたいという想いが、自分の中で、罪として蓄積され続けている。


「もぅー!! カナデさん誉め殺しするつもりですかぁー!」

「事実を言っているだけよ」


 沈みかけていた心の沼から引き戻すような明るい声に、私は苦笑いをしながら答える。


 裏方に関わっていなければ、わからないような話だ。

 声優と俳優。どちらも同じ、お芝居をする役者。

 たしかにそうなんだけど、体の動きや表情、全身を使って観客に伝える芝居をする俳優と、声のみで観客に伝える芝居をする声優は、似て非なるもの。微妙に感覚が違う。その感覚のズレを知らずにやるとの、知ってやるのとは大違い。

 実際、サブカルチャーに興味がない人は、そのズレに気づかない人が多いし、気づいても仕事としてこなすだけで、ズレを気にしない人もいる。また知らずとも肌で感じるっていう天才タイプもいるので、一概には、なんとも言えないところでもある。

 むしろ、役者を選んだ大人として、芝居より話題性、集客になるため、そのしばいを重要視しないことが多い。これが多くの”大人の事情”ってやつだ。

 だからこそ、こんな風に、それぞれの業界についても真摯に向き合う人は、裏方側からすると貴重な存在なのである。



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