祝宴
ユールノヴァ城から、宴の始まりを告げる花火が打ち上げられた。
城の周りに広がる領都の人々が、ふと手を止めて花火を見上げる。空はまだ明るく、花火は音と煙だけのものだったが、わあっと歓声が上がった。
「お祝いが始まったんだね」
「ああ、盛大にな」
城を見やって、そんな会話が交わされる。ほくほく顔の商人は、宴に食材などを納入した者だろう。
「新しい公爵様は、若いのによくわかってらっしゃるぜ。真面目にやってる商会をひいきにして、地元に金を落としてくださる。セルゲイ公の頃みたいだ」
「良かったよ。セルゲイ公がお亡くなりになったとたん、どこの誰だかわからないよそ者がお城の仕事を全部さらっていっちまって、これからどうなることかと思ったからねえ」
しみじみとした言葉は、領都の商人たちの多くが思うことだ。大規模な横領の余波とは、彼らは知る由もなかったが。
「公爵様は、これからずっとこっちにいらっしゃるのかね。美人の奥様を連れてきたそうだし」
これも領都のもっぱらの噂だ。
「いや、ありゃ妹君だそうだ。れっきとしたユールノヴァのお姫様だが、ずっとどこかに閉じ込められてたらしい。可哀想だってんで、公爵様がそりゃあ大事にしてなさるそうだぜ」
その言葉に、首をかしげる者も多い。
「ええ?仲のいいご夫婦だって聞いたよ」
「いやご兄妹だって。城の使用人から直接聞いたんだ。間違いない」
「でも実際お二人を見た人が、お似合いのご夫婦だったって言ってたよ」
「いや違うって」
こんな会話が多く聞かれる夜になった。
ユールノヴァ城の大広間。
巨大なシャンデリアが二つ、すでに明かりを灯されて、きらびやかな装飾や壁の巨大な絵画を照らし出している。
そして中央にもうひとつ、光る石である虹石の中でも光の強いものを選りすぐって作られたシャンデリアが、人々を照らしていた。五代目公爵ヴァシーリーが招聘した発明家が作り上げた、ユールノヴァ家が誇る、自ら輝く灯火。皇城にすら、これほど大きく明るいものはない。
すでに招待客は多くが城に集い、美々しく装った貴顕淑女たちが笑いさざめいていた。その間をぬって飲み物を配る給仕たちが行き交い、贅をこらした料理が美しく盛り付けされて供されている。
しかし、宴は正式にはまだ始まっていない。主役である公爵アレクセイと、パートナーである妹エカテリーナがまだ現れていないからだ。
大広間の一角で楽器を抱えて待機している、楽師たち。彼らが音楽を奏で始めると共に、公爵が現れるのがユールノヴァ家の夜宴の作法だ。
その楽師たちが、執事の合図を受けて、楽器を構えた。流れ出した音楽に、招待客たちがはっと息を呑む。
そして、大広間と上階をつなぐ大階段へ目をやった。
まさにその時、ユールノヴァ公爵の正装たる黒衣に威儀を正した公爵と、窓の外に広がる宵空そのもののようなドレスに身を包んだ貴婦人が階上に現れる。見目麗しい二人の姿に、人々は歓声を上げた。
大広間を埋め尽くす人々が一斉に上げた歓声に、エカテリーナは思わず兄の右腕に重ねた手に力を込めた。
わーびっくりした!
知らなかった、これだけの人が一斉に声を出すと、どおん!って感じの衝撃波になるんだ。
そしてこの大階段。ハリウッドの古典名作映画で風と共に去っちゃうやつか、少女歌劇団のフィナーレか。ここを、大注目されながら降りていくって……メンタルの試練。
「エカテリーナ、大丈夫か」
アレクセイが、エカテリーナの手を左手で包みこむように握る。
「はい、お兄様。少し驚いただけですの」
「無理はしなくていいんだ。具合が悪くなったなら、すぐに言いなさい」
あ、病弱設定がまだ生きてた。私はナチュラルに忘れてましたごめんなさい。
「どんなに大勢のお客様がいようと、わたくしは大丈夫ですわ。お兄様が側にいてくださるのですもの、安心しておりましてよ」
「……そうか」
妹の言葉に、アレクセイはネオンブルーの瞳を和ませた。
「あそこにいるのは皆、領内の民だ。お前の臣下たちだよ。気遣いなどせず、女王として振る舞えばいい」
「お兄様ったら。ご領主はお兄様ですわ、わたくしもお兄様の臣下でございます」
「私はお前のしもべだよ、私の女王」
しまった、言わせてしまったぜ。
まあでも、隣にいるのがお兄様なんだから、注目の中を大階段降りていくのもビビるこたーないんだった。私のお兄様は、ハリウッドスターより少女歌劇団のトップスターより素敵だからね!
親密そうに寄り添って大階段を降りてくる兄妹の姿に、人々はため息や感嘆の声をもらしていた。
彼らの多くは、公爵家の嫡男アレクセイ・ユールノヴァを昔から知っている。とはいえユールノヴァ城でこのような宴が開かれるのは、前公爵アレクサンドルの爵位継承以来のこと。立て続いた父、祖母、母の葬儀では、アレクセイは高位貴族の応対に忙しく、姿を見た者は少ない。アレクセイが社交を好まなかったこともあり、彼らの記憶では、大人顔負けの聡明さであれど、彼はまだ子供だった。
それが今や彼は、十八歳という年齢以上に落ち着いた、凛々しい美丈夫に成長している。すらりとした長身にまとった、黒を基調とした公爵の正装は、ここに集ったすべての人々の上に君臨する存在であるあかし。階下の人々を睥睨する冷たい表情が、若造と侮ることを許さない威厳をかもしだしていた。
けれど傍らの妹を見るときには、無表情が一変して優しく和むのだ。
その変わりようが、アレクセイをよく知っている者ほど意外なようで、唖然としている青年や顔を赤らめて見とれている令嬢たちが、多々見受けられた。
逆にエカテリーナは、誰にも知られていない。ほとんどの者が、初めてその姿を目にする。
長年にわたり幽閉され、世間を知らない令嬢。社交界にデビューもしておらず、教育さえまともに受けていない。そうした情報から、貴族令嬢らしいふるまいも知らない少女を想像していた者も多かった。
しかし現れたエカテリーナは、北都の貴族女性たちの誰よりも洗練されたドレスを身にまとい、たたずまいは気品に満ちている。細身のドレスは露出を最低限におさえた品位あるデザインだが、女性らしい曲線に富んだ体型を明らかにしてもいて、なんとも蠱惑的。ドレスのデザインがユールノヴァ公爵家の象徴である青薔薇をイメージしているのは明らかで、四百年の歴史を受け継ぐ正当なる嫡流であることを、皆に宣言しているかのようだ。
十五歳という年齢よりはるかに大人びた、気丈さのうかがえる美貌は、兄アレクセイと並んで見劣りしないどころか、相乗効果で近寄りがたい風格さえ感じさせた。
この美女は、初めて社交界に登場したばかり。まだ誰のものでもない。最高の名誉と財力を誇る、ユールノヴァの姫君。
エカテリーナと近い年頃の若者たちが、胸を高鳴らせているのは無理もないことだろう。
誰からともなく、拍手が湧き起こる。
それは瞬く間に広がり、大広間全体からの万雷の拍手となって兄妹を迎えた。
――さあ、始まった。
人々に微笑みかけながら、エカテリーナは目の隅で、大階段から少し離れたところにかたまっている一団をとらえている。彼らは拍手には加わらず、兄妹に敵意のこもった視線を向けている。
そこに、ノヴァダイン伯爵と娘キーラが混じっていた。
キーラ嬢、今日もしっかり、縦ロール。
あ、なんか川柳ぽい。
うっかり笑ってしまったエカテリーナである。
それを余裕の笑みと見て、キーラは怒りに眉を吊り上げたが、エカテリーナの視線はすでに他へ移っていた。
アレクセイの最側近ノヴァク、鉱山長アーロン、森林農業長フォルリら、学園の執務室でお馴染みの幹部たち。彼らが、笑顔でアレクセイとエカテリーナを待っている。
皆さんがいる。なにより、お兄様が隣にいてくれる。
縦ロールちゃんと親父の腰巾着。あんたたちなんか、怖くない。