家政婦と閣下
「それで、養女になりました」
「……ライーサは、お祖父様をたいそう慕っていたのね」
あっさり『なりました』って。
八歳のライーサが言ってたこと、めっちゃ真っ当なんですけど。ユールノヴァ公爵領では騎士の身分は一代限りだけど、父親が騎士で、息子を鍛えて育て、実質的に代々騎士という家系は存在する。別に優先されるわけではなく、ちゃんと入団試験に受かって騎士になるんだけれど、そうやって育てられれば、やはり強くなる。
そういう家は名家とされ、貴族に次ぐ扱いを受けるから、下働きが代々騎士の家の養女に望まれるって、ちょっとあり得ない。詐欺を疑うレベル。
なのにお祖父様にそうしてほしいって言われたら、はい、って応じちゃったのか。
「私が養女に望まれたのには、理由がありました。セルゲイ公が仕組んだようなものでしたが。……お嬢様、その理由、お解りになりますか」
「お祖父様が仕組んだような、理由?」
えーなんだろ。
ライーサはお祖父様のお気に入り、と思われていたから?たびたび庭で話をしていたなら、内緒といっても人に見られてはいただろう。公爵家の嫡子が洗濯女と何度も会うなんて、おかしなことだ。
ライーサがもっと歳上だったら、身分違いの恋人とか噂されそうだけど、八歳ではそれはあり得ないから……。
あ。
「お祖父様は……ライーサを、『歳の離れた妹のように』可愛がっていらしたのかしら」
「お解りですか。セルゲイ公は、私が父君の落とし胤である可能性があると、匂わせておられたのです。もちろんそんな可能性は皆無ですが、身分違いの者と接するべきではないと口出しされた時に、便利な言い訳だったのでしょう」
お祖父様。そりゃ嘘も方便ですが。曽祖父様、えらいとばっちり!
あ、でもアイザック大叔父様は庶子なわけで、曽祖父様には側室がいたのか。他にもそれなりに、そういう覚えがないわけじゃなかったと……。
「セルゲイ公から私を養女にという話をされた時、身分違いを承知でこのようなことを言い出されるからには、出生の秘密でもあるのではないか、と義父母も考えたそうです。まさかと思いつつ、その可能性がある子を洗濯女にはしておけない、と引き取ることを申し出たのでした。
私はその誤解を知った時には驚いて、養父母にはっきり否定しましたが、そのまま養女にしてくれました。私の性格が、亡くなった息子たちに似ていると言って」
お祖父様……亡くなった騎士たちのこと、よく知っていらしたんですね。まだ結婚もしていなかったなら、かなり若かったことだろう。お祖父様と年齢が近かったのかも。父親も騎士なら、そちらの性格も把握していて、だから息子たちに似ているライーサを、その養父母と会わせさえすれば、なんとかなると踏んでいたと。
最初から全部仕組んでいたわけではないだろうけど……策士!
「読み書きをはじめ教育を受け、行儀作法を学んで、十四歳の時にあらためてユールノヴァ城へ出仕しました。メイドとしてです。セルゲイ公はもう、公爵を継いでおられました。
その時には、私が先代の落し胤らしいという話は、公然の秘密になっていました。私はそれを、肯定も否定もしないように気を付けました。セルゲイ公が、私を守るためにそうしてくださったのですから」
ああ……ババア対策ですねわかります。
薔薇園で働いていた庭師を、下々のものが高貴な私の視界に入るなど許されない、とほざいて追い出したことがあるらしいから。元洗濯女のメイドが視界に入ったら、何を言いだすかわかったもんじゃない。そういう扱いをさせないため。
ライーサと出会った二十三歳の時点で、もう結婚してたはずなんだよね。お祖父様……おいたわしや。なんの因果で、あんなのと結婚せにゃならんかったのか。あまりに対照的な夫婦だよな。
「セルゲイ公は公爵のお仕事に加えて、お国の仕事にも関わって、忙しくおなりでした。皇都と公爵領を行ったり来たりで。アイザック様も、学問のために皇国中を調査して回っておられたので、私はメイドなのにお盆を持つよりも、あちこちへ手紙を書いて、お二人のためのいろいろな手配をするのが主な仕事でした」
メイドというより秘書ですね。当時から眼鏡だったのかな、知的な美人秘書。萌えるわー。
「それにセルゲイ公からは、この時もいろいろ変わった頼み事をされて……めまぐるしい、楽しい日々でした。でも、十八歳の時に結婚して、子供を育てるためにお城を下がりました」
セレブな仲人趣味のお祖父様のことだから、見込んだ男にさりげなくライーサを紹介したのかな。
十五歳年上のお祖父様、十歳年上のアイザック大叔父様。憧れたりしなかったのかな……でも非公式の妹ってことになっていたし、どうにもならなかった、かな。
「その後もたびたび、何かの折にはお手伝いに上がっておりましたが、養父母を看取った後に、また出仕しないかとお声をかけていただきました。十年ほど前のことです。お城にいらっしゃるのは大奥様とアレクサンドル様で、私は目立たぬよう、当時の家政婦の元で仕事を手伝いながら、お城の様子をお知らせしておりました。そうするうちに、セルゲイ公が身罷られ」
ふっとライーサの声が途切れた。が、すぐに続ける。
「アレクサンドル公の代になって、他家から紹介されて来たという者に家政婦がすげ替えられ、じきに私は出入りできなくなりました」
他家から紹介……。
そうか、親父の時代、ライーサさんは排除されていたのか。
「ですが、つい五ヶ月ほど前、その家政婦がいなくなったとかで、君が家政婦をやらないかと執事のノヴァラスさんから声をかけていただきました」
ああっ前財務長以外にも行方不明者が!
やっぱり、前の家政婦はマグナから送り込まれて、不正行為を主導していたんだ。主だった者は除いたとお兄様が言っていた、その一人。
そういえば家政婦という立場は、食料や物品の管理が役目のひとつ。横領をごまかすには、ここを押さえる必要があったんだろう。ヴィクトリア時代のイギリスだったかな、家政婦が食料庫とか貴重品を収蔵する部屋の鍵を預かる役目を担っていて、その鍵束が権威の象徴だったと聞いたことが。
「ですから私は、家政婦としては新米なのです。今回の祝宴は、初めての大きなお仕事です」
「その割には、手慣れているように思ってよ」
「セルゲイ公の頃も、家政婦が高齢でしたから、だんだん肩代わりしておりました」
なら本当は、ライーサさんが次の家政婦になるはずだった。排除されたのも無理はない。
「心強いわ。わたくしこそ、新米の女主人なのですもの」
目を見交わして、エカテリーナとライーサは微笑む。
が、ライーサは目を伏せた。
「……母君とお嬢様のお役に立てなかったこと、申し訳なく思っております」
エカテリーナは首を横に振った。
「ライーサが悪いのではないわ」
子育てや養父母の看取りが終わって復帰したのが十年前なら、私とお母様はもう別邸で暮らしていた。ライーサさんに何かできたはずがない。
「お祖父様は、お兄様に大勢の素晴らしい人材を残してくださったの。でもわたくしにも、ライーサを残してくださっていたのね。わたくし、お祖父様とは一度もお会いできなかったのだけれど、ライーサを通してお祖父様とつながることができたようで、嬉しく思うわ」
「……やはりお嬢様は、セルゲイ公によく似ていらっしゃいます。あの方のように、素敵な言葉をくださる。私が人生で聞いた全ての言葉の中で、三番目に嬉しかった言葉はセルゲイ公がくださったものです」
その言葉が何なのか、わかる気がする。
『ライーサ、会えて嬉しいよ。少し時間はあるかい?』
「まあ、三番目なのね。一番と二番を訊いても良くて?」
いたずらっぽくエカテリーナが言うと、ライーサは微笑んだ。
「一番目は、息子が初めてしゃべった言葉です。『かあたま』と」
「ああ!それは、お祖父様も敵わないわね。二番目は何かしら」
「二番目は……」
言いかけて、ライーサは急に咳払いする。
「秘密です」
そう言うライーサの頬が、ほんのりと赤い。
えーと、多分だけど。
彼女の家庭は夫婦円満ですね。