ユールノヴァの猟犬
望めば朝食は部屋でとることもできるが、エカテリーナは食堂へおもむいた。きっとアレクセイが居ると思ったからだ。
だって普段、学園ではお互い寮生活だから、朝から顔を合わせることってないからね。その分、週末に皇都公爵邸へ泊まった翌朝は、朝食は必ず一緒だった。だから、お兄様もそのつもりのはず!
皇都から公爵領までの旅の間、食事だけでなくずっと一緒だったのだが……。
それとこれは別腹、とかエカテリーナは思っている。何が別腹なのかさっぱりだが、ブラコンに理屈はないらしい。
後ろに従うミナと共に、長い廊下を足取り軽く進むエカテリーナは、ふと聞こえた音に窓の外を見た。
そして、目を丸くした。
引きこもっていた頃にはほとんど来たことがなかった食堂は、きらびやかな装飾がほどこされ壁には絵画が飾られ、長大なテーブルにずらりと椅子が並ぶ、貴族の邸宅にありそうな食堂のイメージそのままだった。
「おはよう、エカテリーナ」
「おはようございます、お兄様」
少し遅れて現れたアレクセイと、長いテーブルの一番上座で、向かい合って朝食をとる。
アレクセイの水色の髪が、珍しく少し乱れているのにエカテリーナは目を止めた。こういうのも素敵!って、そうだけどそうじゃなくて。
「朝の鍛錬をしておいででしたのね」
「ああ。騎士たちと手合わせをして、思いのほか時間をとってしまった」
「廊下の窓からお姿が見えましたの。でも、周りをお守りしていたのは、騎士たちではありませんでしたわ」
いたずらっぽくエカテリーナが言うと、アレクセイは微笑んだ。
「近くで見てみたいか?」
「はい!」
「そうか、では、彼らをお前に引き合せよう。クルイモフの魔獣馬ほどではないが、ユールノヴァの猟犬も知る人には知られた存在だ」
そうしてエカテリーナは、アレクセイに案内してもらってユールノヴァ城の犬舎を訪れた。
犬たちは今は檻から出され、運動場らしきちょっとした広さの区画で思い思いに寝そべったり戯れあったりしていたが、二人に気付くと一斉に顔を向けてくる。
――きょ、巨大モフー!
でっかい毛玉が十数頭も、ハフハフしながらこちらを見ていた。
しかも、見た目が猟犬どころか、サーベルタイガーみたいなすんげえ牙のある狼!いや狼ってこんなフッサフサなたてがみあったっけ?よもやライオンと狼が混ざったの⁉︎
「ある種の魔獣と、この地方に固有の犬を交配させて生まれた魔犬だ。これがユールノヴァの猟犬だよ。普通の狩りだけでなく、魔獣掃討でも活躍する。どんな魔獣にもひるまず立ち向かう、皇国最高の猟犬たちだ」
「なんて大きいのでしょう!」
「後足で立ち上がれば、私を見下ろすほどだ」
お兄様の身長はたぶん百九十センチ近い。この犬たち、立ち上がると二メートルくらいあるのじゃないか。
すごい迫力!それに、カッコいい!そしてモッフモフ!
「犬たちに触れてもよろしいかしら」
「知らない人間には警戒するが……イーゴリ」
「へえ、若君……いえ、閣下」
うっそりと現れたのは、年齢不詳の男。短躯だが肩幅が広く、筋肉が盛り上がるような屈強な身体つきをしている。特徴的なのは顔立ちで、禿頭に隻眼、片目に眼帯をつけていた。魁偉な、恐ろしげな容貌だ。
似てる……前世の、なんかのキャラに。
見た瞬間、エカテリーナは思う。
名前も知らないんだけど、あれだ、ボクシング漫画の金字塔的作品で、なんか「打つべし!」とか言ったらしいおじさん!
……ってすいませんイーゴリさん、勝手にボクシングおじさんにしてすいません。
「エカテリーナ、イーゴリは犬たちの飼育係だ。ユールノヴァの猟犬を扱える、唯一の人材と言っていい」
「まあ、あれほど大きな犬たちを扱うとは、たいそう有能ですのね。
イーゴリ、わたくしはエカテリーナです。よろしくお願いしますわ」
「へ、へえ。どうも、その、お目汚しで……」
にこやかにエカテリーナが言うと、イーゴリはなぜかひどく驚いた様子で、何度も頭を下げた。
ごめん、有名キャラとかぶったせいで、必要以上に笑っててごめん。
「イーゴリ、犬たちを呼べ。ゆっくりと近付かせろ」
「へえ」
アレクセイの命令にうなずくと、イーゴリは小さく口笛を吹いた。短く繰り返す。
とたん、猟犬たちがむくりと身を起こした。
五、六頭が、悠然たる足取りで歩み寄ってくる。
デカいわーあらためて超デカいわー!
ゴールデンレトリバーも比べ物にならない、散歩してるのを見かけてシロクマかと思ったグレートピレニーズよりでかい。そして目の輝き!強そうで、そして賢そう。
「お嬢様……怖くはごぜえませんか」
イーゴリが心配そうに訊いてきたので、エカテリーナは首を横に振った。
「あまりに立派で、どきどきしていてよ。でも危険ならば、お兄様がわたくしに近付けるはずがないのですもの」
「その通りだ、いつもお前は賢い。――イーゴリ、エカテリーナなら大丈夫だ。こう見えてこの子は、たった一人で魔獣に立ち向かったこともあるほど芯が強い。そこらの令嬢とはわけが違うぞ」
抑えきれず自慢気に言うアレクセイの言葉に、イーゴリは隻眼を見開いた。
「このお嬢様がですかい……こんなにお上品でいらっしゃいやすのに。ですが確かに、あっしのことも犬のことも、怖がらないでくださる。さすがに閣下の妹君で」
いや、あの魔獣は怖かったですよ。
でも思えば、あれがあったから、あの魔獣と比べたらこの犬たちは意思疎通ができそうだから大丈夫、と思えるのかも。
近付いてきた猟犬たちは、アレクセイのほうにすり寄っている。ちゃんとアレクセイをあるじと解っているようで、足元にお座りして尻尾を振ったり、彼の手に頭をこすりつけて撫でてもらおうとしたり。巨大さや見た目の精悍さのわりに、行動は普通の犬と変わらないようだ。
そして、初対面のエカテリーナにも興味津々で、ふんふんと匂いを嗅ぎにきていた。
後足で立ち上がらなくても、普通にしてて私の肩あたりに顔がありますよ。首のあたりでふんふんされるとくすぐったい。間近の顔が犬にあるまじき大きさですよ。たてがみとかモッフモフあああ触りたい!
「わたくしが触れても怒らないかしら」
「この犬たちは、強い魔力を持つ者に敬意を払う。魔力を示してごらん」
魔力を示す?
少し考えて、エカテリーナは足元の土に魔力を流し込んだ。ごく少量。イメージして、制御、発動。
サワッ、と微かな音と共に、同心円状の模様が地面に刻まれた。かなり広範囲に。
「繊細で正確な魔力制御だ。腕を上げた」
わーいお兄様に褒められたー!
そして、わかりやすく猟犬たちの態度が変わった。エカテリーナの首筋をふんふんしていた犬が目を見開き、したっと伏せる。周囲をウロウロしていた犬も、アレクセイにかまってもらおうとしていた犬も、いっせいにエカテリーナに注目して、伏せたりお座りしたり。恭順の意を示しているようだ。
そして、離れて寝転んでいた別の犬が、おもむろに身を起こして歩み寄って来た。
他の犬たちよりやや大きく、毛並みが美しい。猟犬たちは基本的に灰色っぽい体色をしているが、その犬はほぼ白で、毛先が金色がかっていた。
「来たか、レジナ」
アレクセイが手を差し出すと、レジナと呼ばれた犬はその手に顔をすり寄せた。それから、金色の目でエカテリーナを見つめる。
「エカテリーナ、この犬はレジナという。ユールノヴァの猟犬たちを束ねるリーダー、女王だ」
「まあ!」
雌がリーダー犬なんだ。でもそういえば、前世で狼の研究が進んだら、雌がリーダーをやっている群れもちょいちょいあるとわかったとか、ネットのニュースで見たような。戦闘力より頭脳っつーか、コミュ力がポイントっぽいと。
「レジナ、わたくしはエカテリーナ。あなたに会えて嬉しくてよ」
微笑みかけると、レジナはずらりと並んだ牙を見せて、笑った気がした。
そして、ぬおっと後足で立ち上がると、ぼふんと上半身を預けてきた。
きゃーっ!
たまらん!とレジナを抱きしめると、ふっかふかのたてがみにエカテリーナの顔が埋まった。
モッフモフー!ふっかふかー!あったかいー!獣くさーい!嬉しー!
女の子同士でハグ状態だぜ!
ぷはっ、とたてがみから顔を上げると、レジナが澄んだ目でエカテリーナを見下ろしている。
「わたくしを歓迎してくれるの?」
尋ねると、レジナは長い鼻づらでエカテリーナの頬にすりすりした。
きゃー!
エカテリーナは歓喜の笑顔でアレクセイを見上げる。
「お兄様、わたくし、公爵領で初めての女友達ができましたわ!」
「そうだな、レジナならお前にふさわしい。お前と会うまでは、私にとって世界で一番賢く優しい女性はレジナだったものだ」
……さらっとおっしゃいましたが、人間の女性とはなんかいろいろあったんだろうな。クソババアの存在も大きいだろうし。お兄様、ちょっと女性が苦手というか、女嫌いの気がありますよね。
アレクセイはレジナの頭を撫でた。
「レジナ、私の妹を守ってくれ。エカテリーナは私の妹であり、私の生命だ。誰にも、髪一筋さえ損なわせないよう、守ってくれ。お前なら解るだろう」
レジナは金色の瞳でアレクセイを見つめた後、解ったというように、グルルと唸った。