悪役令嬢vs悪役令嬢
アレクセイに手を取られてエカテリーナが馬車を降りると、ずらりと並んだ出迎えの使用人たちがいっせいに頭を下げた。
そこへ、
「アレクセイ様!」
思いがけず黄色い声をかけられて、そちらを見る。
エカテリーナには見覚えのない、どう見ても使用人ではない豪華な服装の、貴族の男女が居た。あまり似てはいないが、おそらく父と娘。
さらにその後ろにも、父娘ほど豪華ではないが貴族と思われる服装をした一団がいた。
「お帰りなさいませ、お会いしたかったですわ!」
エカテリーナと同い年くらいと思われる令嬢が、いそいそとアレクセイに歩み寄ってくる。鮮やかな緑色の髪に青緑色の瞳、顔立ちはきつめだが、なかなかの美人と言っていいだろう。
しかし髪型……見事なかっちり縦ロール。
悪役令嬢かね君は。いや、人のこと言えないけど。私が真正の悪役令嬢だけど。あと顔立ちがきつめとか、全く人のこと言えないけど。
アレクセイのネオンブルーの瞳は、冷ややかに令嬢を見据えている。令嬢はそれに気付きもしないらしく、満面の笑みのままエカテリーナを押し退けそうな勢いだ。
そんな令嬢に見せつけるように、エカテリーナはつと兄に身を寄せた。さすがに令嬢は足を止め、不機嫌にエカテリーナを睨む。――そして、アレクセイの妹と気付いたのか、あわてて笑顔になった。
そんな縦ロール嬢を、追ってきた数人の令嬢が囲む。
取り巻きか!取り巻きだな!
縦ロール、やっぱり悪役令嬢なのか。私vs縦ロール、真正悪役令嬢vsローカル悪役令嬢なのか!
「これキーラ、ぶしつけだぞ。アレクセイ様、ご無事のご帰還お喜び申し上げます。このノヴァダイン、分家筆頭として歓迎いたします」
父親が一礼する。髪の色は黄色。金髪というより黄色。瞳の色はオレンジか。こちらもなかなかの美形だが、人好きのするはずの笑顔がどこかそらぞらしい。
そして、なんだかなって感じなのが……歓迎いたします?まるで自分をこの邸の主人と思っているみたいな口ぶりだ。
さて、どうしてくれよう。
と思ったら、すすっとメイドのミナが寄ってきた。わざとらしいほどうやうやしく、エカテリーナに扇を差し出す。
「ありがとう、いつも気が利くこと」
微笑んで受け取ると、エカテリーナはぱらりと扇を開き、口元を隠した。
その陰で、アレクセイにいっそう身を寄せる。
「お兄様、こちらは?」
小声でありつつ聞こえよがしな声の大きさを心がけてみました。あと、これだけ私が寄ってれば、さすがに縦ロールもお兄様に近寄れまい!
アレクセイが可笑しそうに口の端を上げた。
「ノヴァダイン伯爵家の当主イシードルとキーラ嬢だ。分家のひとつだよ」
「まあ……残念なことですわ」
扇の陰でエカテリーナはため息をつく。隠しているようで丸わかりを心がけてみました。
「ユールノヴァ家の分家ともあろう者が、本家の当主への敬称も理解せず、勝手にお名前を呼ぶなどという無礼なふるまいに及ぶとは。お兄様の日頃のご苦労がしのばれて、わたくし胸が痛みましてよ」
「私のことなど気に留めなくていいんだよ。ただ、公爵令嬢にしてユールノヴァの女主人たるお前に、挨拶ひとつない非礼こそが許しがたい」
ここで兄妹は、揃ってノヴァダイン父娘をじろりと見下した。みおろしたのではなく、みくだしたのである。
よっしゃ、縦ロールが睨んでる。そして取り巻きはびびってる、ていうかなぜか赤面してる?お兄様が美形すぎるから?
縦ロールちゃん、ふくれっ面しておとーさんに寄ってっても無駄だからね。私のお兄様と君のおとーさんは、いろんな観点でエベレストと大阪の天保山(標高約四メートル)くらいの差があるからね(当社比)。
父親、ノヴァダイン伯は、美貌の兄妹に見下されて一瞬ひるんだようだった。
が、ふっと笑って肩をすくめて見せる。
「これは……ご無礼いたしました、公爵閣下。しかしお解りください、私はアレクサンドル公の親友として、貴方の父親代わりの役割を精一杯果たしたいと思っているのです」
エカテリーナは思う。
わー、こいつ超うさんくさーい。
「エカテリーナお嬢様、お初にお目にかかります。母君のご葬儀の折はご挨拶もできず、申し訳ございませんでした。母君そっくりに、お美しくなられた。しかし母君はもう少し忍耐強い、淑女の鑑であられましたが」
その言葉が、チリ、と胸に引っかかった。エカテリーナだけでなく、母をも侮る響きが聞き取れたのだ。
こいつ……お母様が大人しかったのをいいことに、クソババアの手先になって、お母様をいびってたんじゃないのか。
「アレクサンドル公は、友情に厚く分け隔てのないお人柄であられました。私のことを兄弟とお呼びになり、公爵邸を我が家と思ってくれとおっしゃったのです。その友愛をこれからも大切にしたいと考えております」
ノヴァダインが印籠を掲げるかのように父の名前を出したが、アレクセイは切って捨てた。
「私が父と同じことをお前に許す日は、決して来ない。父の家を自分の家と思うなら、霊廟へ行ってそこに住むがいい」
「なっ……」
苛烈な言葉に、さすがにノヴァダインは絶句する。
そしてこのタイミングで、現れた人々が公爵兄妹の周囲背後を守るように囲んだ。ノヴァクやアーロンなどの側近たち、ローゼンを始めとする騎士団の騎士たちだ。
「……おや、ノヴァク子爵家の」
ノヴァダインがノヴァクに硬い声で呼びかけたのは、同じ分家としてのライバル意識だろう。そしてノヴァダインの背後も、数名の格下と思われる貴族が固めている。
イシードル・ノヴァダイン伯爵。実はこの名前、快速船の船上でお兄様から聞いていたんだよね。
伯爵家ということで、分家の中では一番身分が高い。だから分家筆頭と名乗っていたわけだけど、今現在は何か役割を担っているわけではない。クソ親父の親友(自称)の一人で、前公爵の側近というか若い頃からの遊び仲間。皇都と公爵領を行き来しては、皇都では親父と一緒に遊びまくり、領内では親父の威を借りて好き勝手していたらしい。
つまりこれは、公爵領の新旧勢力ご対面の図というわけだ。
「閣下、お嬢様。長旅お疲れでありましょう、お邸へ入られますか」
ノヴァクさん完全スルーした!眼中にないって、ある意味、一番容赦ねえ!
だがしかし、こいつらがわが世の春を謳歌している間も公爵領の統治を担ってきたのは、お兄様とノヴァクさんたち側近の皆さん。そりゃ、眼中に入れたところで視神経の無駄遣いってもんですね。
それにしてもコイツ、なんでこんなに態度がでかいんだ。キーラ嬢を公爵夫人に据えて、一発逆転を狙ってる?だったらむしろ、お兄様に取り入ってくるはずなのに。
お兄様の奥様になる方がどんな方だろうと、意地悪なんかしないと心に誓っているけど。『嫁いびりダメ絶対!』は私の心の標語だけど。
自分ちの繁栄のためにお兄様を食い物にしようってんなら、アンタは駄目だ縦ロール!
ていうかお兄様、君のことはむしろ嫌いっぽいぞ。
「私は疲れてなどいないが、エカテリーナが心配だ。か弱い身でずっと領民たちに応えてくれていたのだから、早く休ませたい」
「わたくしには楽しい道中でございましたのよ。ですけれど、お兄様が休むようにとおっしゃるなら、何事も仰せの通りにいたします。ですから、お兄様もお休みになってくださいまし。皆様も」
「……優しい子だ」
いとおしそうに微笑んで、アレクセイが妹の髪を撫でる。
縦ロール令嬢と取り巻きたちがざわめいたような気がしたが、なんかあったか?
「お嬢様」
騎士団長ローゼンが、エカテリーナに小さな花束を差し出した。
「騎士の一人が、領民から預かってまいりました。お嬢様に差し上げたいと、幼い姉妹が持って来たそうです」
「まあ、嬉しいこと!」
受け取って、エカテリーナは思わず微笑む。路傍の花を摘んだだけの素朴な花束だが、それだけに幼い子供が自分たちで思いついてのプレゼントと思えて嬉しい。
が、
「まあ嫌だわ、汚ならしい」
嘲るような声がした。もちろんと言うか、縦ロール嬢ことキーラだ。
「貧民ごときのみすぼらしい花など、公爵令嬢が触れるべきではありませんのに。エカテリーナ様がお可哀想」
……おい。
「キーラ様のおっしゃる通りですわ」
「受け取った騎士は何を考えているのかしら。エカテリーナ様を侮辱するつもりだったのかしらね」
「あんなものを喜ぶなんて、お可哀想ですわ。ちゃんとしたお花を差し上げる殿方はいらっしゃらないのかしら」
キーラの取り巻きがここぞとばかりにクスクスする。
聞こえよがしな声の大きさがなかなか上手だね君たち。そして、お兄様側近の皆さんがピキッときているのに気付かない、鈍感力もかなりなもんだよ、うん。
一瞬イラッときたけど、すぐ思い出した。このしょーもなさ、ソイヤトリオそっくりだわ。
エカテリーナは片手で耳を押さえて、ローゼンににっこり笑いかけた。
「まあ、今なにか、虫の羽音のようなものが聞こえたようですわ」
ローゼンは一瞬目を見開き、ふっと笑う。
「いま少し風情のある音であればいいものを……ですけれど仕方ありませんわね、しょせん人間ではない、虫にすぎないのですもの」
ノヴァクやアーロンなど、アレクセイの側近たちも、一転して笑いをこらえる雰囲気だ。
「ローゼン卿、お花を受け取ってくださった騎士に、お礼を申しますわ。小さな女の子に優しくしていただけたこと、嬉しゅうございます。か弱い婦女子を守ることこそ、騎士道と存じますの」
「仰せの通りです。我らユールノヴァ騎士団、公爵家と領民を守ることが使命と心得ております」
ローゼンは一礼し、彼に従う騎士たちも笑顔になって、騎士団の貴婦人へこうべを垂れた。
「騎士の本分が主君と領民を守ることなら、貴婦人のあるべき姿は民に慈愛を注ぐことだろうな」
アレクセイが妹に微笑んだ。
「お前は誰にでも分け隔てなく優しい。美しく賢く慈悲深い、最高の貴婦人だよ」
あ、領地の旧勢力にシスコンフィルター初披露。
「わたくしはただ、お兄様に恥じない妹でありたいだけですわ。領民たちが歓迎してくれるのも、お兄様と皆様が、優れた統治をなさっていればこそなのですもの」
いかん、私もブラコン披露したかったのに、これじゃ単なる事実だ。もっと精進してブラコンを極めねば!
エカテリーナは扇で口元を隠し、ちらりとノヴァダイン父娘に目を向けた。
「あのお嬢さんは、お幾つなのかしら。きちんとしたご挨拶ができるようになったら、お話ししたいものだこと」
呟いて、ふっと微笑む。
本人に自覚はないが、その視線は嫣然たる流し目になった。娘キーラは怒って目を吊り上げたが、父イシードルは思わず頬をゆるめている。
しかしエカテリーナはもう二人に背を向けて、兄のエスコートに手をゆだねていた。
「さあ行こう、エカテリーナ」
「はい、お兄様」
そして公爵兄妹は、配下たちを引き連れ旧勢力一同を置き去りにして、自らの城へ堂々と入っていった。