帰郷
大勢の騎士たちに守られた馬車列は、先頭としんがりとで二人の旗手が並んで公爵家の紋章旗と騎士団の団旗を掲げているせいもあって、まるでパレードのように華やかな、目立つ一団となった。
公爵領本邸ことユールノヴァ城へと続く石畳の街道を、馬車はたどる。古代アストラ帝国の頃に整備された街道は、千年を経た今も、かつて帝国の版図だった国々で使われ続けている。
そういうところも、アストラ帝国は前世のローマ帝国とよく似ている。
街道沿いにある村々を通ると、村人たちがわざわざ家から出て来て、一行へ手を振ったり歓声を上げたりしてきた。アレクセイへの領民たちの支持を実感して、エカテリーナは嬉しくなる。
子供たち、特に男の子たちのお目当ては馬上の騎士たちのようで、憧れに目をキラキラさせて見上げていた。しばらく小走りに追ってくる子もいて、確かに騎士は彼らのヒーローなのだ。
村人たちや子供たちと目が合うと、エカテリーナは微笑んで手を振った。前世の庶民感覚では、芸能人かよ自分、とか思っておこがましい気がするのだが。領民たちの兄への好感度を少しでも上げるためと思えば、おこがましさなどどっかに穴掘ってぶちこんで埋める。
アレクセイのほうは、そういうことは苦手だと苦笑するばかりで、馬車の外には目を向けない。
それならお兄様の分まで私が頑張ります!と、人々に愛想を振りまくエカテリーナであった。
……悪役令嬢の愛想に需要があるか、ちょっと心配だったりするけども。
「お兄様、子供たち、愛らしゅうございますわね。あの子などあのように装備をつけて、きっと騎士のつもりなのですわ」
エカテリーナがそんな話をすれば、アレクセイも窓の外を見て、鍋をかぶって木の枝を振り回している小さな子供の姿に微笑んだりする。
小さな子供のそばには若い母親がいて、若き公爵から微笑みかけられて(誤解)赤面していたりもする。
「お前のおかげで、とても助かるよ」
アレクセイがしみじみと言い、エカテリーナはあっさり有頂天になった。
お兄様に助かるって言われたー!
「お兄様のお役に立てるなら、わたくし本当に嬉しゅうございますわ。ですけれど、領民たちがあのように迎えてくれるのは、お兄様が今までなさってきた施政あればこそでございます。
お兄様を軽んじる者どもに、領民たちのお兄様への支持のほどを見せてやりとうございますわ」
「賢い子だ」
アレクセイは微笑む。
この目立つ馬車の隊列も、途中に一泊を入れてのゆったりとしたペースも、領民たちの反応を引き出すことが目的のひとつだ。領内の小貴族たちに、騎士団と領民たちの支持がアレクセイにあることを見せつける。
アレクセイ本人より、ノヴァクとローゼンなど、老練な幹部たちが目論んだことであろう。何も言わずともその意図を理解し、兄が苦手な部分のフォローをしてくれるエカテリーナ。彼らはその存在も織り込んでいたはずだ。
「疲れているなら無理はしないでくれ。お前に役目など負わせるつもりはない、旅を楽しんでくれればいいんだよ」
「わたくし楽しゅうございますわ。このように領民の暮らしを見るのは、初めてですもの」
幽閉されていた別邸からは、村ひとつ見えなかった。季節ごとに色を変える、森の木々が見えるばかりで。あの森の向こうを、ようやくこの目で見ることができた。
いや、公爵領から皇都へ向かう旅でも、目にはしていたはず。だけど、心ここにあらずで、ただお兄様から目を逸らしているために、窓の外へ目を向けているだけだったのだ。
前世の記憶が戻った今回は、村人たちの家や服などが、やはりスイスや北欧を思わせて楽しい。家は木造と白壁が基本、服には色鮮やかな刺繍がほどこされているようで、アニメのハイジを思い出す雰囲気がある。
そういえば牧畜も盛んなようで、牛や山羊をちょくちょく見かける。豚もいるし、鶏はそこらをウロウロしている。
騎士ごっこをする男の子が、山羊を馬の代わりにしようとよじのぼって、あっさり振り落とされたりしていた。
かわいいけど危ないからやめなさい。あと山羊がたいへん迷惑そうだからやめたげて。でも確実に、このへんの男子あるあるなんだろうな。
「平和で楽しげに見えますけれど、民の暮らしはもろいものですのね。日照りや冷夏、長雨、魔獣の出現など、さまざまなことで崩れてしまうのですもの……執務室での皆様の言葉や書類で見た文字の意味が、こうして実際に領地の人々を見ると、改めて胸に迫ってまいりますわ」
「ああ、ノヴァクもよく現地を見るべきだと言う。……お前は言われなくとも解っているようだ」
すいません、前世の知識があるからです。システム設計でも現場の業務を見て知るの大事だったんで……ズルみたいなもんですいません。
アレクセイに尋ねると、この村の名前と主な産物や人口構成、およその歴史などをすらすらと教えてくれた。
そして、こんな話をそんなに楽しそうに聞く令嬢はお前くらいだ、と言って笑った。
この日は早々に、宿泊する街に到着した。
泊まったのは宿ではなく、このあたりを統括する小領主の屋敷。初老の小領主は、丸顔に温かい笑みを浮かべて若き公爵兄妹を歓迎した。
かつて祖父セルゲイの側仕えだった人物で、アレクセイがこのあたりに泊まる必要がある時は、いつも世話になってきたそうだ。
だから安心してくつろいでいいと言われて、エカテリーナは通された大きくはないが居心地のいい部屋に落ち着いて、ベッドカバーの見事な刺繍に感心したり、領主の奥方が淹れてくれたちょっと変わった風味のハーブティを楽しんだりして過ごした。
そして窓の外に街の人々が集まっているのに気付くと、窓を開けて笑顔で手を振ったりして、歓声を浴びた。
ロイヤルファミリーかよ自分。照れるわー。
皇子って、生まれた時からこんなんやってるんだなあ。大変だなあ。次に会う時ねぎらってあげようか。
あ、でもそれはフローラちゃんにやってもらうことだよね。悪役令嬢はやったらあかん!破滅フラグが立ったらどうする!
そして何度目かに窓を開け、そろそろ日暮れなのにまた人数が増えたみたい、と思いながら身を乗り出した時。
「エカテリーナ」
「お兄様!」
部屋へやって来たアレクセイに声をかけられて、エカテリーナは目を見張った。
「疲れただろう、頑張りすぎないでくれ。身体の弱いお前に甘えるなど、してはならないことだった」
「お兄様、わたくし、本当に楽しいのですわ。皆あのように歓迎してくれるのですもの」
「そうだな。お前の美しさなら、皆が喜ぶのは当然だ」
「まあ、お兄様ったら」
今日もシスコンフィルターが分厚いですね!
「お兄様こそご無理をなさらないで。こうしたことは苦手でいらっしゃるのに」
「そうだな、私は人に好かれるたちではないから。それに、作り笑いは苦手だ。思えば、うわべの愛想だけで得る好意など何の意味があるかと、反発していたのだろうな」
反発の対象は、働かないくせに外面が良くて世渡り上手だったクソ親父ですね。当然ですとも。
「だが今日、あらためて解った――お前が側にいてくれるなら、私でも笑うことはたやすいと」
「お兄様……」
やわらかく微笑んだアレクセイが妹の肩を抱くと、街の人々からこの日一番の歓声が上がった。なんというか、黄色い声だ。
しばし兄妹よりそって一緒に手を振った後、アレクセイがよく通る声で語りかけた。
「皆ありがとう。今日の歓迎を嬉しく思う。もう日が暮れる、帰って食事にするがいい……我々もそうする」
そうして窓を閉めたのだが、最後の瞬間、領民の誰かがひときわ大きく叫んだ言葉が響き渡った。
「お幸せに!」