ツバメのお告げ
「お嬢様、ようこそ」
「レフ!本当にもう出来ましたの?」
工房で出迎えたレフに、エカテリーナは期待に輝く笑顔でわくわくと尋ねる。まぶしげな表情をしたレフは、こくりとうなずいた。
「はい、出来たと思います。どうぞお確かめください」
工房の隅にあるソファセットのテーブルに黒いベルベットの布が敷かれており、そこに何本ものガラスペンが並んでいる。すべて全体が透明のものだ。
「まだ色ガラスは使っていません。色を出すための含有物が高価ですし、まずはペン先を確認していただきたいと思ったもので」
「そうね、そこが肝心でしてよ」
とはいえ、形状がすでに美しい。ひねりが入っていたり、珠を繋いだようだったり。色ガラスになればさらに美しいだろうけれど、透明なガラスの趣きも味わい深い。
並べられたペンの一本を手に取って、じっと見つめる。ペン先に、螺旋状の溝がきれいに刻まれている。
用意されたインク壺にペン先をひたすと、つうっとインクが溝を走って、ペン先に螺旋の模様を描いた。
そう、これこれ!
試し書き用の紙も用意されていたので、書いてみる。まずは、自分の名前。滑らかに書ける。羽根ペンより、引っ掛かる感じがない。
名前の下に、ユールノヴァ家の紋章を描いてみた。どちらの方向にペンを動かしても、やはり引っ掛かりはない。そう、これがガラスペンの長所。
そして、紋章をほぼ描ききるまで、インクがかすれることはなかった。
前世でガラスペンを買った時の説明では、一度ペン先をインク壺に浸ければ葉書一枚くらいは書けるということで、買ってすぐ試してみたら確かにその通り、いやそれ以上だった。レフにも、ペン先の溝がうまく刻めればそれだけのインクを吸い上げるはず、と説明していたことを、見事にクリアしている。
今試してみたペンは、エカテリーナの手にちょうどいい大きさだった。
別のペンを手にしてみる。こちらは先ほどより少し大きくて、持ち重りがする。きっとアレクセイの手には、こちらが馴染むはず。試してみると、これも、インクが美しい螺旋を描いてペン先を彩り、さらさらと書ける。
「あの……いかがでしょうか。インクをもっと吸い上げるデザインにした方がいいですか?そうすると、見た目のバランスが少し難しくなりますが」
「いいえ、十分ですわ」
エカテリーナはそうっとペンを置いた。
そして、両手でレフの右手をひしと握りしめた。
「レフ、あなたは天才ですわ!このような短期間で、一枚の絵を見せられただけのものを、よくぞここまで!わたくし、感動しましてよ!」
「は……!あのっ、いえ、それほどでも!」
真っ赤になって、レフは首を横に振る。
「いいえ、よほどの天賦の才がなければ、できるはずはありませんわ。あなたには素晴らしい職人としてのセンスと、洞察力と理解力がありますのね。それに、未知のものに挑む好奇心と、冒険心が。あなたと出会えて、わたくしなんと幸運なのでしょう」
「お、お嬢様、ありがとうございます。僕、僕、どうしたらいいか」
レフはもう泣きそうだ。
と、側に控えていたミナが、すすっと動いた。そっとエカテリーナの手を取り、ぺりっとレフの手からはがす。そしてミナは、すすっと戻っていった。
エカテリーナは我に返る。いかんいかん、異性の手を握るなんて、令嬢としてはしたない真似だった。それにレフ君、こんなに褒めちぎったら、そりゃ居心地悪いよね。
でもまだ言い足りないくらいだぞ!私はマジで感動した!こんなに早くこんなクオリティを出せてしまうなんて、マジ天才。あまりに凄すぎて、一時間番組にしようとしても、なんだっけ、撮れ高?てのが足りなくて、番組にならないくらいなんじゃないだろうか。
いや、最初はそれなりに壁に突き当たっただろう。けれど、すぐさま知恵と工夫で乗り越えたんだろう。
まだ二十二歳だっけ?君はもしかすると、師匠の名工ムラーノ親方を超える、巨匠になれちゃうかもしれないぞ。
うん、やっぱり君は地上の星だよ。ツバメがお告げで教えてくれるやつだよ。君のこれからが、本当に楽しみだ。
ムラーノ工房を買ってもらって本当によかった。公爵家ってすごいなあ。天才のパトロンになれちゃうんだもんな。前世のメディチ家みたいかも。
「お、お嬢様。公爵閣下に差し上げるデザインは、こちらでよろしいでしょうか」
はっ!そうだった。お兄様の誕生日までに、色ガラスで作り直してもらわないと。誕生日に間に合うタイミングで試作が出来てることがすごいけど、残り日数はそんなに余裕はないんだった。
レフが実務的な打ち合わせを持ち出したので、エカテリーナのモードはたちまち切り替わる。
「そうね、このひねりのデザインは持ちやすくて良くてよ。それから、持つ部分を膨らませたこのデザイン。刻んである文様が美しい上に、滑り止めになるよう考えられているところが素敵ですわ。それから……」
前回、デッサンを見ながら希望のデザインを伝えた時に、頼んだものもちゃんと作ってくれている。公爵家の武器所蔵室で見た美しい短剣の鞘に似せた、凝ったデザイン。
「やはりこれが、お兄様にお似合いになるわ。色ガラスでも問題なく作れて?」
「はい、大丈夫です」
「ではこの三種類を。ユールノヴァ公爵への贈り物にふさわしく、豪華に仕上げていただけるかしら。お色は以前お願いした通りに、変更なくてよ」
レフの目が輝いた。おそらく彼は今、完成したガラスペンを見ている。彼の脳裏に、完成品はすでに描き出されている。
「お任せください、お嬢様。僕の全力で取り組ませていただきます」
「ありがとう、頼りにしていてよ」
微笑んだエカテリーナは、ふと真顔になった。
「レフ。ひとつ、絶対に守ってほしいことがありますの」
「はい、なんなりとおっしゃってください」
「毎日きちんと食べて、しっかり眠って、身体を大切にすること。守ってほしいのは、それだけでしてよ。
あなたのように才能ある人は、その才能を発揮することが幸せなものですわ。眠るより、食べるより、夢中で物を作り続けて、楽しいと感じることでしょう。でも、寝食を忘れてはなりません。眠ることも、食べることも、生きるために必要なことですもの。お兄様への贈り物のために、あなたの生命を削っていただくことはありませんのよ。お誕生日に少し遅れても、お兄様はきっと喜んでくださるもの。
あなたの生命は唯一無二の、かけがえのないものですわ。あなたは、あなたを、一番大切になさってね」
正直、前世の自分に言いたい言葉だったかもね。
働いてる最中は、なにがなんでもやらなきゃ!って思い込んでたけど、生命削るほどのことだったかな。
自分の生命だからね、自分がもっと大事にしなきゃいけなかったんだろうな……。
だから!せっかく前世の記憶を持っているんだから、今生ではあの経験を活かして、過労死なんてする人が出ないよう最善を尽くさねば!
「……」
レフは絶句しているようだ。
ややあって、呻くように言った。
「……お、お嬢様がそうおっしゃるなら」
「ありがとう。約束でしてよ」
にっこり笑ったエカテリーナからそっと目をそらし、レフは呟く。
「でもかえって、死んでもいいから頑張ろうって気がしてしまいます」
こら待て、なんでやねん!