執事、あるいは名優
ソイヤトリオよ、君たちは目先の欲に目が眩んで、大切なものを失ったかもしれないぞ。
それは、婚活市場における物件価値だ。
皇国全土から、基準を満たす魔力を持つ貴族の少年少女が集まる魔法学園。
そこは、婚活市場の最前線に他ならない。
いや、十五歳から十八歳は魔力の伸び盛りで、ここで制御をしっかり学ぶことが重要。それが魔法学園の最大の存在意義なのは確かだよ。
けど、この年頃ってこの世界では、まさに結婚適齢期なんだよね。
貴族の結婚は家のためにするものだけど、親が用意した縁談より条件の良い相手を学園でゲットできれば、親だって認めてくれる。ここで恋をして、好いて好かれた相手と結婚したい。多くの生徒がそう願っている。てことが、だんだん解ってきた。
ていうか、自明の理なんだろーなー。
すまん。恋をしたいとか青春とかにうとくてすまん。だって私には恋愛イコール破滅フラグなんだ!
私のことはおいといて、実は皇国も、生徒たちがここで結婚相手を見つけるのを狙ってるんじゃないか?魔力を持つ者同士の婚姻を推奨して、魔力保持者の質と数を保つことも、学園の存在意義のひとつじゃないのか。だから平民でも、魔力が強ければ強制入学させる、なんて話になるんじゃないの?平民の魔力保持者こそ、その血筋を取り込むべきターゲットに違いないのだから。
フローラちゃんなんかモロにそれ。だから、皇子が見初めても、身分違いだからダメ!とはならないんじゃないか。
もうね、それに気付いたら、魔法学園が壮大なる合コン会場に思えてきたわ。国家にセッティングされた、学園コン?うん、学園コンだよ。なんという国家の罠。
ま、少年少女たちにとっちゃ国の思惑なんか関係ないけど。
ともあれみんなすでに婚活市場に参戦していて、タイプの相手にときめいたり、隕石のように降ってきた一目惚れにあたふたしたり、クレバーに条件に合う相手を引っ掛けたり、していく訳なんだろう。
ある意味では本人の方が結婚相手に求める条件がシビアというか、高望みしがちじゃないかな。見た目が好みで、家は自分の家より身分もお金もあってほしい。玉の輿か逆玉の輿を狙うとは言わないけど、そうなれたら嬉しい。夢と希望と無謀に胸を膨らませてたりするのが若者だよ。
で、ソイヤトリオだけど。
馬車に乗る時には、男子もその場にいたわけで。強欲さを剥き出しにしたのもまずかったけど、あれだけガツガツするなら、実家の経済状況もあやしいと思われただろう。条件の良い相手に見初められる可能性は、かなり下がった。というか、ゼロに近いんじゃないだろうか。
元は可能性があったのかは知らんけど。
アホだなーと思いながらもだんだん憎めなくなってきたもんだから、ソイヤトリオについてつらつら考えてしまった。
まあ、強く生きろ。いや、あれ以上強くなられても困るか。
しかし、そんな強すぎるソイヤトリオを一言で黙らせたグラハムさん、ソイヤ一号に何て言ったんだろ?
そんなわけで、客たちが全員帰った後、エカテリーナはグラハムからパーティの収支報告を受ける場でこう切り出した。
「グラハム、さきほどはわたくしの同級生が迷惑をかけて申し訳なかったことね。サイマー嬢への対処の見事さには感服してよ」
「恐れ入ります、お嬢様」
「あの時、何を言ったのか訊いても良くって?」
「このように申し上げました。サイマー家は当家に借金がお有りのようですが、今このドレスを返済にあてて頂いても構いません、と」
うわあ。
「そうでしたの、あの方が豹変したのも無理ないことね。そのようなことまで把握していて、あの方の名前もわかっているなんて、驚くべき能力ですわ。わたくしには、とても無理」
「いえ、把握はしておりません」
グラハムはあっさり言った。
「お嬢様、当家は業務として金銭をお貸しすることはございませんが、さまざまなお支払いに混じって借金の証文が入ってくることは、実際ございます。ですが、わたくしは当家が持っている証文がどちらのお家のものか、どれだけあるか、存じません。ただ貴族のお家は、額の大小はあれど借金はある方が普通でございます。わたくしは、当家に借金がお有りの『よう』と申し上げた、それだけのことでございます。
サイマー様のお名前は、お茶をお出しした時点のご様子により、ミナが教えにまいりました。ミナはお嬢様と同じ寮の方を、全員存じ上げているそうですので」
……うっわー……。
まさかのハッタリ!
マリーナちゃんが執事の理想と言った、品格あふれる公爵家の執事の顔で、しれっとハッタリかましてたのか!
「まあ、ほほほ!」
笑い出したエカテリーナは、拍手喝采した。
「なんという、お見事な演技かしら!わたくし、感動しましてよ!
さすが、お祖父様ご鍾愛の名優ですわ。あまりに素晴らしい演技に、そこが舞台であることに気付かないほどでしたことよ。まさに名場面でしたわ」
すると、グラハムは立ち上がってお辞儀した。いつもの完璧な執事のそれではない、まるで舞台俳優のように大袈裟で華麗な礼。
「わたくしごときの田舎芝居に最高の賛辞をいただき、光栄の至りにございます」
エカテリーナはにっこり笑った。
エカテリーナがマリーナたちに言った、グラハムの家柄を知らないという言葉は嘘ではない。彼がどんな家に生まれたのか、エカテリーナは知らない。だが、祖父セルゲイに仕える前、どんな暮らしをしていたかは本人が話してくれた。
グラハムは、旅の芝居一座で役者をしていたのだそうだ。
その一座がユールノヴァ領へやって来た時、運悪く魔獣に襲われた。駆けつけたユールノヴァ騎士団によって魔獣は倒されたが、一座は全滅。たった一人グラハムだけが生命をとりとめた。生き残ったものの、すべてを失って生きる気力もなくしたそうだ。
三十数年前のことで、当時グラハムは二十代後半だろう。一座に、家族がいたのではないか。彼はそれについては、語らなかったけれど。
騎士団の元で傷の治療を受けながらも、抜け殻のように生気なく過ごしていた彼に、祖父が声をかけた。従僕が急に辞めてしまって困っている、と。
『君は役者だろう。治ったらしばらく私と一緒にいて、従僕の役を演じてくれないか』
それが始まりだったそうだ。
演じることが好きだった。他の仕事をしたくはなかった。けれど、失ったものを忘れて他の芝居一座に入る、という気にもなれなかった。そんな気持ちを見通したような祖父の言葉は、彼の心にはまり込んだ。
だから、グラハムは従僕を演じることにした。
旅芝居では、台本など有って無きがごとしだそうだ。その場に応じて、臨機応変に芝居を作り上げるのが当たり前。
そこで鍛えられたグラハムは、突発事態に対応したり、難しい人物をけむに巻いたりすることが上手かった。機転のきく忠実な従僕だと、祖父が他の貴族に羨まれることすらあった。そんなことがあると、後で二人きりの時、祖父は愉快そうに拍手喝采して言ったそうだ。
『君は名優だ。ここが君の舞台だと、誰も気付かないほどの名演技だ』
普通の人なら、君は役者より従僕のほうが向いていたのだ、良い従僕だと言っただろう。それが事実でもあったのだろう。
けれど、祖父は彼を名優と称えた。
ユールノヴァ公爵。そのひとよりも身分の高い方は皇族のみというお方が、たかが旅芸人の心に寄り添って、そう言ってくれたのだ。セルゲイ公のためなら生命も要らない。グラハムはそう思ったという。
皇国では、女性の高級使用人は貴族であることが多いが、それは普通は嫁入り前に高級貴族と関係付けをするための、箔付けでしかない。しかし、男性の使用人は専門職であって、身分は必要とされない。とはいえ、旅芝居の役者が公爵の側近くに仕えるなど、普通ならあり得ない。
祖父は周囲にグラハムの出自を訊かれてもはぐらかし、いつの間にか側にいた自分の守護精霊だ、などと言っていた。
それゆえ身分を問われることもなく、グラハムは、従僕から侍従へ、侍従から執事へ。公爵家に仕える者の頂点のひとつに、登り詰めることができた。
「ずっと、セルゲイ公はわたくしの唯一の観客でございました」
アレクセイはグラハムの過去を知らない。生真面目な孫に、祖父はあえて伝えなかったようだ。
けれどグラハムは、エカテリーナには自分から話してくれた。
「お嬢様はセルゲイ公によく似ておいでです。あの方のように、どこか自由なお心をお持ちです」
……そう言われると詐欺で本当にすみませんなんですが。
お祖父様は素敵な人だったんだなとあらためて思えて、そんな人に似ていると言ってもらえて嬉しいです。
グラハムさん、ありがとう。
あなたは確かに、お祖父様が一番愛した名優だと思いますよ。
なお後日、財務長のキンバレイさんがそっと教えてくれた。ソイヤトリオの実家に関する債権(つまり借金を取り立てる権利)は、ほとんどユールノヴァ公爵家が買い取ったそうだ。
そのことは実家からあの三人に伝わるよう仕向けたそうで、今後は彼女たちに煩わされることはないでしょう、と。
ま、まあ、無理矢理陥れて借金背負わせたわけじゃないし、むしろ債権一本化できたし金利もかえって下がったそうだし、あちらにとっても悪い話じゃないようで。
しかしやっぱり……うちってすげえ。
でも彼女たち、それでも懲りないんじゃないか。と、思っている自分がいる。




