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プレゼントとプロジェクト

待ち人はすぐに現れた。

ガレン工房の職人の一人、レフと呼ばれていた青年が、同僚の目をはばかるような様子で工房から出て来たのだ。そして、目の前に公爵家の豪華な馬車がまだ停まっているのを見て、目を丸くした。


「お嬢様に用かい」


馬車の外に立ったままのミナが、ぶっきらぼうに声をかける。


「はい!あの、はい、そうです」


レフはびくっとしたが、すぐ腹をくくったようにミナを見た。


「あの、さっきのご注文……。詳しいお話を聞きたくて」

「あんた、お嬢様が欲しい物を作れるの」


ずばりとミナが尋ねる。

レフはひどく生真面目な表情で答えた。


「詳しく聞いてみないと言い切れません。でも、作れるような気がします。……というより、僕の手で作ってみたいと思ったんです」


馬車の中からその表情を見て、エカテリーナは思わず微笑んだ。

職人の業を感じるね!

課題があれば食いつかずにいられない、難しいものを作れと言われたら寝食忘れて作る方法を考え続ける。SEだって職人みたいなとこあったからね、気持ちはわかっちゃうよ。

はっ!てことはこの人、過労死フラグが⁉︎


「あんた、時間はあるの」

「すみません、それが、今は駄目なんです。ちょっと仕事を抜けてきただけなので。ですが、もう少ししたら昼休みが取れます」


ちらとミナが見上げてきたので、エカテリーナはうなずいた。


「お嬢様はあんたと話してもいいって仰せだ」


レフは深く頭を下げた。


「ありがとうございます。僕、レフ・ナローです」




ここではなんなので、と大変もっともなことを言われ、エカテリーナとミナはここで待っていてほしいとレフから指定された住所へ、馬車で移動した。

移動先も工房のようだが、扉に南京錠がかけられ閉鎖されている。年季の入った小さな看板に書かれた名前は『ムラーノ工房』。

なるほど、という感じだ。レフは元々ここの職人で、親方亡きあとガレン工房に移ったのだろう。


「レフって奴は、ここで仕込まれたから口のきき方をわきまえてたんですね」

「そうね、きっと貴族や大商人からの注文が多かったことでしょう。応対に慣れていたのね」


そんな話をしながら待つうち、ほどなくレフが走ってやって来た。


「お待たせしました。鍵を借りてきましたから、中へお入りください」


入ってみると、同じガラス工房であるからしていくつかの炉があるなど先ほどのガレン工房に似ているが、こちらのムラーノ工房は構造がより効率的な気がする。機能美すら感じさせるたたずまいだ。

親方が亡くなったのは一昨年前と言っていたろうか。しかし埃は積もるというほどではなく、空気もそこまで澱んではいない。レフが定期的に掃除しているのかもしれない。整然とした雰囲気があるのは、この工房が閉まる前から整理整頓が行き届いていたのではないだろうか。

ものづくりの現場では整理整頓は大事。トヨタのカンバン方式は、物のありかを明確にするところから始まっていたような。

ムラーノ親方は、なるほど優れた職人だったに違いない。


工房の隅にかかっていた白い布を取り去ると、やはりソファセットがあった。ガレン工房のものより上等なそれを、レフはエカテリーナとミナに勧めて、自分も向き合って座る。

そしてエカテリーナから渡されたガラスペンの絵を、真剣な眼差しで見つめた。


「先端に溝を刻むんですね。螺旋状に、複数の溝を」

「ええ。そうすれば羽ペンよりはるかに多くのインクを吸い上げることができるはずですの」

「持つ部分のデザインは変えてもよろしいでしょうか」

「滑り止めになり、見る目に美しいデザインであればなんでもよろしくてよ。いかがかしら」


エカテリーナに言われて、レフは絵から顔を上げる。


「細長いですから、問題は強度だと思います。特にこの先端。普通のガラスで作ったら、ちょっと強く当たっただけで欠けてしまうでしょう」


さすがプロ。先端がもろいのはガラスペンの弱点だ。

前世で友達につられて買ったガラスペンは、硬質ガラスだったのでそこはマシだったんだけど。


「では、難しいかしら」

「普通なら。ーーでも、ちょっと見てくださいますか」


レフは立ち上がり、近くの棚にかかった白い布の下からグラスを取り出す。昨日レストランで使ったものに似て美しい色合いに華麗な装飾が施された、しかしあれより高さが低い、ブランデーグラスに近いタイプだ。

色は赤。確か、赤いガラスは他の色より高価なはず。着色に溶かした金が必要だから。

それを手にして戻ってきたレフは、ソファセットのテーブルの上で、ぱっとグラスから手を離した。


「!」


エカテリーナは思わず息を呑む。ゴッ、とテーブルに当たって、グラスは小さく弾んで転がった。

レフは微笑む。


「大丈夫です。壊れません」


グラスを拾って差し出したので、エカテリーナは受け取ってじっくりと見てみた。傷ひとつない。


「ムラーノ工房のグラスは美しさだけでなく、落としても簡単には壊れない強度が特徴なんです。ムラーノ親方が編み出した加工方法で生まれる強度です。細長いペンだともう少し壊れやすくなってしまうと思いますが、普通のガラスで作るより、はるかに強いものにはできます」

「あなたは、その加工方法をご存知ですの?」

「はい、親方から受け継ぎました。このグラスは、僕が作ったんです」


その言葉を聞いて、エカテリーナはあらためてじっくりとグラスと見つめた。

グラスの評価ポイントなんてわからないけど、形に寸分の歪みもなく厚みは均一、赤の発色は鮮やかで色ムラなど見当たらない。

高価な素材で作るグラスを任されるなら、レフは親方に評価されていたのだろう。


「わたくしガラスには詳しくありませんけれど、美しいこと。素晴らしいお腕前と思いますわ」

「ありがとうございます。親方の作ははるかに凄かったですけど、僕の作品もムラーノ工房の名前で出せると認めてもらっていました」


そうか、ムラーノ親方の作と言いつつ、工房全体で製作していたわけだ。それが普通なんだろうな。そういえば前世で画家のレンブラントの作品とされていたものが、正しくはレンブラント工房の作品であって弟子の絵が多いとわかって、いろんな美術館の絵を本人の絵かどうか鑑定し直したことがあったと聞いたことが。

弟子の絵だったんでがっかりした美術館が多々あったらしいけど、本人並みの絵が描ける弟子を多数育てたレンブラントは偉かったんだなー、と思ったなうん。

なんて思っていたら、レフが深刻な顔で言った。


「でも、問題があるんです」

「まあ、どのような?」

「この強度は、このムラーノ工房でなければ出せません。 親方の工夫が詰まったあの炉に火を入れなければ、作ることは出来ないんです」


え。


「この工房は、今売りに出されています。親方に借金があったので。親方は素晴らしい職人だったけど、商売は苦手でした。騙されたこともあったりして。それで、親方が亡くなったらすぐ工房を獲られてしまったんです」


思いつめた表情で、レフはエカテリーナを見つめた。


「でも僕は、ここで働きたい。ここでしか作れないものを、ここで作りたいんです。だから、お嬢様、どうかお願いです。

この工房を、買って下さい!」


は⁉︎

レフは深々と頭を下げている。


「ガラスペンでもグラスでも、お嬢様が欲しいものはなんでも作ってみせます。それに、決して損はさせません。ムラーノ工房の名前はまだ忘れられていません、親方に仕込んでもらったこの腕で作った品は、それなりの値段で買ってもらえるはずです。……その、僕は商売はやったことないですけど、頑張りますから。僕の給金なんか、うんと低くて構いませんから。だから、どうか、この工房を助けてください」

「た、助けるとおっしゃいまして?」

「ガラス工房じゃない、違う工房をやりたい誰かに、ここを買われてしまったら。親方の炉は壊されてしまうでしょう。それはあんまりです。あれには価値があるんです。世界にひとつしかない、あれだけが生み出せる美しいものがたくさんある。そういうものなんです。

無茶を言っているのはわかっています。でも、ここを買える人なんてそういません。きっとこれが唯一の機会だ。どうかお願いです。お嬢様、この工房を買ってください」

「……」


いや……私、ただプレゼントを注文したかったんですが。

工房まるごと買ってって。

プレゼントじゃなくて前世の人気番組、プロジェクトなんちゃらみたいな話になってるんですけど‼︎

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[一言] どんどこどんどこどんどこどんどこ「かぜのなかn
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