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思い付いたので

公爵邸に帰ってすぐにエカテリーナがしたことは、ミナに頼み事をすることだった。


「ねえ、ミナ。ガラスの工芸品を特注したいのだけど、どうしたらいいのかしら。お兄様には内緒で手配したいの」

「閣下に内緒ですか」

「そうなの。お兄様への贈り物を頼みたいのですもの、驚いていただきたいのよ」


イヴァンにお兄様の誕生日を訊いたら、あと一ヶ月半ほどだった。レストランで思い付いたものがこの世界で再現できたら、丁度いいプレゼントになるはず。


「ガラスですか。なんにせよ、工芸品なら工房へ遣いを出してご注文なさればいいです。どういうものが欲しいか言ってくだされば、あたしが行って注文してきます」

「少し……難しいと思うの。ミナも工房の職人も見たことがないものではないかしら」


そう言ってエカテリーナが、こういうもの、と紙に絵を描いて見せると、いつも無表情なミナが珍しく目を丸くした。


「何ですか、これ」




とりあえずエカテリーナのために紅茶を淹れて、ミナは難しい顔をした。


「おっしゃる通り、お嬢様が欲しいもののこと、あたしじゃうまく説明できないかもしれません。なら工房の親方をここへ呼ぶって手もありますけど、それだと閣下に知られます。

お嬢様が工房に注文に行くのが一番確実かもしれませんけど、ご自分で行くところじゃないでしょうし」

「わたくし、できれば自分で説明したいわ。わたくしが工房へ出向くのは、そんなにはしたないことかしら」

「はしたないってことはないと思います。ただ、ユールノヴァ公爵家ほどの名家のご令嬢にはふさわしくないってだけです」

「それなら、わたくし、行きたいわ。ミナが一緒に来てくれれば、危ないこともないのでしょう?」

「……わかりました。お嬢様がそうおっしゃるなら」


いつもの無表情で、ミナはうなずいた。

そして夜、エカテリーナに夜着を着せる頃には手配を済ませていた。


「腕がいいって評判だったムラーノ親方の工房は親方が死んだあと閉鎖になったそうなんで、今ある工房では一番って話のとこへ、明日お連れします」

「……まあ、素敵。こんなに早く手配してくれて、嬉しくてよ」


うちの美人メイドが有能すぎる件。




そんな訳で翌日、エカテリーナはミナと共に馬車で出かけた。

目的を話すと執事のグラハムが微笑ましげに協力してくれて、アレクセイには内緒の外出だ。思えば、今まで馬車での移動はいつも兄と一緒だったから、ミナが一緒とはいえ、心細いような気持ちになる。


おいアラサーが心細いとか、図々しいこと言ってんじゃないぞ自分!

前世じゃ一人でラーメンとか焼肉とか余裕だっただろ自分!


むん!と心の中で気合いを入れるエカテリーナであった。


馬車は、昨日アレクセイと巡ったあたりとはまた違う地区へ進んでゆく。より庶民的で活気に富んだ、いささか猥雑なほど暮らしの気配に満ちた街だ。

貴族の馬車よりは荷馬車が多く行き交う通りを、子供達が駆け抜けてゆく。工房らしい建物も多く、金属を鍛えているとおぼしき大きな音も聞こえてくる。

東京で言えば、中小のものづくり企業が集まる大田区?

でも裏通りに洗濯物がひるがえっているのが見えて、ひとむかし前の香港のような、はたまたイタリアのナポリのような風情もある。


そんな工房の中でもわりあい大きい建物の前で、馬車は停まった。まだ新しくてやけに手の込んだ看板が掲げられていて、『ガレン工房』と書かれている。


「ガレン親方の工房。ここです」


ミナが言い、扉を開けてするりと馬車を降りた。差し伸べられたミナの手を取って、エカテリーナも馬車を降りる。


「お嬢様、お気をつけて」


声をかけてきた御者に微笑みを返して、エカテリーナはガレン工房に足を踏み入れた。

まず感じたのは熱気。工房の奥に炉があり、オレンジ色の輝きが見える。ガラスを溶かしているのだろう。他にも何の用途なのか、いくつかの炉があるようだ。その周辺で、半裸の職人たちが忙しげに働いている。

そんな職人たちの一人、まだ若い優しげな顔立ちの青年が、二人に気付いてさっと歩み寄ってきた。


「いらっしゃいませ、ご用でしょうか」

「ガレン親方に取り次いで。ユールノヴァ公爵家のお嬢様が訪ねると言ってあるから」

「公爵家の……す、すみません、少々お待ち下さい」


ミナの言葉に青年は絶句し、エカテリーナをちらと見てあわてて工房の奥へ去っていった。

すぐに、ガレン本人とおぼしき男がやって来る。五十歳前後か、おそろしく太い腕をした、腹の出たおっさんである。


「こりゃあお嬢様、こんなむさ苦しいところへわざわざこのガレンを訪ねておいでとは、どうも」


へっへっへ、という笑いにどうにも品が無い。

大丈夫かなこの人。

ていうか、ちらちらどこ見てんだおっさん。

笑う男を無表情に眺めたミナが、無言でエカテリーナに扇子を差し出す。エカテリーナも無言で受け取り、ぱらりと開いて口許から胸元までを隠した。


工房の一角に応接セット的なソファがあり、そこでエカテリーナとミナはガレンと向かい合って座る。


「特別なガラス製品を注文なさりたいってことでしたね。そういうことならそりゃあ、このガレンの出番ってもんで。どういうもんがお望みですかい、うんとでっかい花瓶、飾り皿、なんでも作って差し上げますぜ」

「わたくしが作ってほしいものは、大きなものではありませんの。素人絵で申し訳ないのですけれど、こちらを見ていただけるかしら」


昨晩ミナに見せた絵を差し出すと、ガレンはけげんな顔をした。


「はあ。なんですかい、これ」

「ガラス製の、ペンですの」

「は?ペン?」

「ええ。ガラスペンですわ」


そう。前世で一部愛好家に根強い人気があった、美しき筆記用具ガラスペン。


なんでも明治時代に日本の風鈴職人が考案したそうで、当時は爆発的に広まったらしいが、ボールペンなどの登場で一般的には使われなくなった。それでも見た目の美しさや書き味のよさで、ガラスペンを好む人は一定数いる。

皇国の筆記用具は羽ペンが一般的だ。これも見た目は素敵だが、軸が細くて持ちにくいわ、インクは少ししか吸い上げないからノート一行も書けずにインク壺に浸けなきゃならないわ、ペン先がすぐ潰れて駄目になるからナイフで削って尖らせなきゃならないわ……と、実用性はイマイチ。二十一世紀の日本人にとってはめんどくさい代物なのだ。

だから、あのガラスペンをここで再現できれば、羽ペンよりよほど実用的なのだから、アレクセイにきっと喜んでもらえると思う。


が。


へっ、とガレンは鼻で笑った。


「なんでこんなこと思い付いたのか存じませんがね、ガラスのペンなんて聞いたこともありませんや。ガラスってのはインクを吸うわけないのはお解りですかねえ?なんでガラスで字が書けると思うのか、へっへっへ」

「先端に溝を刻むのですわ。その溝にインクを吸い上げるのです。羽ペンのペン軸がインクを吸い上げるのと、理屈は同じでしてよ」


毛細管現象つーんだよ。前世の呼び方だけど。

羽ペンだってインクを吸ってるわけじゃないだろが。


苛立ちをこらえて、エカテリーナは扇で少し自分をあおぐ。その時ふと、親方の向こうからこちらを注視している者がいることに気付いた。さきほど声をかけてくれた優しげな顔立ちの青年が、親方の手にあるエカテリーナが描いたガラスペンの絵を凝視している。


ガレンが気付き、振り返って一喝した。


「おいレフ!てめえ何やってんだ!」

「すみません!」


レフと呼ばれた青年は、あわてて炉の方へ戻っていく。


「すみませんね、お嬢様。若いもんのしつけがなってませんで」


またへっへっへと笑ったガレンは、エカテリーナにガラスペンの絵を返してよこした。


「ま、ガラス製品のご注文なら、極上品をご用意できますんで。今からお見せしますよ。ーーおい、持ってこい」


注文通りのものを作る気はなく、自分の得意なものを注文させるつもりらしい。

徒弟らしき若者たちが、二人がかりで抱えるほど大きくて重たげな花瓶を持ってこようとしているのを見て、エカテリーナは扇の陰で嘆息した。


「お持ちいただくにはおよびませんことよ。お時間を無駄にさせて申し訳のう存じますわ。ミナ、戻りましょう」

「はい、お嬢様」


ミナが立ち上がる。


「いやいや、ちょいとお待ちくださいよお嬢様。見れば気に入りますって」


少しあせったガレンが手を伸ばし、エカテリーナの繊手を掴もうとする。ーーその太い腕を、ミナの白い手ががっと押さえた。

低い声で言う。


「汚い手でお嬢様に触るんじゃないよ」

「なんだと、このアマ。ーーふぐっ」


ミナの手を振り払おうとしたガレンが、目を見開いた。細く白い手はびくともせず、掴んだ腕に万力のように食い込んでくる。

ミシ、と骨がきしんだ。


「うぎゃあっ!」


ガレンが悲鳴を上げる。

その間にエカテリーナは立ち上がり、ガレンの手が届かないミナの背後へ移動していた。


「ミナ」

「はい、お嬢様」


ミナはぽいとガレンを放り出す。


「皆様、お騒がせいたしましたわ。ごきげんよう」


蒼白になって震えているガレンと、あっけにとられている工房の職人たちに微笑みをふりまくと、エカテリーナはミナを従えてガレン工房を後にした。



「お嬢様、すみません。あんな奴にお嬢様を会わせるなんて」


馬車に乗り込んだエカテリーナに、馬車に乗らずに外で立ったままミナは申し訳なさそうに頭を下げた。


「ミナのせいではなくってよ。それなりに評判の工房の親方が、あれほど不作法とは思いもよらないもの」


あんなんでよくやってこれたな、と思うけど。


「あいつはムラーノって親方に比べたら大したことないらしいです。でもあっちが亡くなったんで国一番の職人ってことになって、思い上がってるみたいですね」

「ああ、そういうこと……」


つまり、はっちゃけってやつか。


「きっとそれなりに腕はいいのね、あの大きな花瓶は作れる職人が限られると思うもの。でもそれだから、細かい繊細なものは苦手なのではないかしら」


国一番の職人のプライドにかけて、苦手とか言いたくなかったとかありそうだ。マイナスの情報ほど明確に提示すべきなんだぞおっさん。

あと、女二人だからって舐めてかかられたのは確実にあるだろーな。二十一世紀の日本でも、相手が女だと居丈高に出る奴がちょいちょいいたくらいだ。ましてこの世界、男尊女卑は色濃い。


「今度は細かいものが得意な工房を探してみてほしいわ」

「まだあのガラスペンを作りたいですか」

「もちろんよ、ミナ。簡単に諦めるつもりはなくってよ」


一度や二度で諦めない。社会人なら当然なのさ。


「お嬢様。それなら、もう少しここでこのまま待っていただけますか」

「ここで?」

「はい」


いつも通りの無表情だが、ミナにはあてがありそうだ。


「よくってよ、ミナがそう言うのなら」

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