皇都周遊
セルゲイ公彫像を通り過ぎると、川が見えてくる。
「これは人工の運河だ。セルノー河から皇城の堀へ水を引くために造られた」
「皇城へ物資を運び込む水路になっておりますのね。皇后陛下の絹織物も、ここを通って運ばれたのでしょうか」
皇都を貫いて流れるセルノー河は、皇都のみならず皇国の物流の大動脈となっている大河で、南へ流れ下ってユールセイン領の港がある湾へ流れ込む。神々の山嶺の向こうから来た輸入品の多くは、セルノー河をさかのぼって皇都へ運び込まれるのだ。ユールセイン領の重要性がうかがえる。
馬車はすぐに川を離れ、街路の両脇に大きな店構えの商店が並び始める。このあたりは貴族だけでなく平民の豪商も住み、商売を営む地区になる。東京の銀座・日本橋のような、高級店が集まる場所だ。先程までより華やかな雰囲気である。
「街並み全体に統一感がありますのね」
「ここは商業ギルドの顔だからね。雰囲気に合わない店は出店を許されない」
そこも銀座っぽい。
「そろそろ最初の目的地、太陽神殿だ。……仕事が絡むところですまない」
「わたくしもユールノヴァの娘でございます。お仕事をご一緒できますのは、嬉しいことでございましてよ」
このあたりには商店だけでなく、信徒が多く有力な神々の神殿が多数ある。これらは宗教施設ではあるが、観光名所でもある。潤沢な資金で壮麗な神殿を築いている、太陽神や商業神、雷神の神殿が人気だ。皇都の見物なら外せないスポットである。
乙女ゲームの設定では、皇国の宗教については何も触れられていなかったと思う。そこが実際どうかというと、皇国ではたいていの人は神々を信じつつ、ゆるーく付き合っている。中には特定の神を熱心に信仰している人もいる。困った時には神頼みに走る。どの神の神殿だろうと、壮麗だったり由来があったりする神殿をただ楽しむために参拝し、それなりに心を込めて祈る。要するに日本に近い。
しかしこの世界、神様は存在している。らしい。
ま、神様といっても、一神教で信じられるような全知全能の存在ではない。神話の神々はいろいろで、人間的な感情があったり、動物に近かったり、ある種の魔物を神と崇める民族もいたりして、神と魔は紙一重。被征服民族の神が、魔物扱いに堕とされることも多々あるそうだ。
そんなこんなで皇国では、とても多くの神様が信じられている。そして皇都には、皇国各地からやって来た人々が故郷の神々の神殿を築いたりするものだから、ちっちゃな祠まで含めればそこら中に神様が祀られている。皇国で最も神様密度が高い場所だ。そういえば学園にもひっそりと学問の神様が祀られているんだよな。
あまりに密度が高いため、新たに神殿を造って神様を呼んだのに神様が夢枕に立って『もう一杯で入れない。ムリ』(意訳)と言ったという話があるらしい。ほんとかよ。
観光名所としてトップクラスの人気を誇る太陽神の神殿には、今日も多くの人々が参拝に訪れている。彼らが徒歩でくぐる神殿の門を通り過ぎ、馬車はひと気のない別の門へ向かう。公爵家の紋章を見て駆け出してきた門番が大きく門をひらき、馬車はつつがなく神殿へ到着した。
アレクセイに手を取られて馬車を降りると、出迎えがいた。神官服、それもかなりきらびやかな神官服をまとった初老の人物だ。
「ユールノヴァ公爵閣下、ようこそお越しになりました。大神官がお待ちになっております」
「出迎え恐れ入る、神官長」
神官長が出迎えですかー。今さらながらユールノヴァ公爵家の威光すげえ。
そして神官長の案内で、一般参拝者は立ち入れない神殿の奥の宮へ。バチカンのサン・ピエトロ寺院とか思い出すくらい、たいへんきらびやかでございます。
大神官は白髪白髯を長く伸ばした、いかにもな容貌の老人だった。神官服は神官長以上にきらびやか、ローマ法王レベル。色がまた太陽の色である黄色と白と金だもの。
「ご無沙汰し申し訳ない。ご注文の黒竜杉の伐採が可能になったことのご報告と共に、遅れが出たことお詫び申し上げる」
「竜の出現とあっては致し方ございますまい。公爵閣下自らのお出まし、恐縮ですな」
トップがわざわざ謝罪に来たら、悪い気しないよね。
しかしお兄様、六十歳くらいも年長の大神官相手に、少しも迫力負けしてませんよ。むしろ、会話の要所でネオンブルーの瞳が光ると、向こうが気圧されるくらいです。さすがお兄様。またしても思いますが、あなたは本当に十七歳ですか。
さっき仕事くらいしか取り柄がないなんて言ってましたけど、ここまでできるって大変なことですよ。アラサー目線でも尊敬しかない。できる男がさらりと大仕事をこなす姿、見惚れます。ちょっと弱ってる姿もかわいいけど愛しいけど。でもやっぱり、できる男って素敵。
そして大神官に案内されて、一般には公開されていない千年の時を経たアストラ時代からの神像など、秘宝の数々を拝観させてもらう。
さすが、太陽神超イケメン。ギリシャ彫刻っぽい美しさです。前世だったら世界遺産かも。
お宝にまつわる由来もすごい。ピョートル大帝とその弟たち、代々の皇帝や公爵の名前がぞろぞろ出てくる。歴女のパラダイスタイム。
私が歴史好きだからと、お兄様があらかじめ頼んでくれていたそうです。さすが元祖型ツンデレ、全力の優しさが嬉しいです。
……しかし向こうでは大勢の善男善女が参拝してるってのに、この特別扱い。元が小市民なんで気が引けるけど、なんたって身分制社会だもんね。格差社会の完成形?それに建材についてのお付き合いもあるし。建材のお値段勉強してくださいな(意訳)って言う大神官と、お兄様の丁々発止のやりとり、勉強になりましたわ。
その後、アレクセイの希望で大神官とは別れ、再び神官長に案内されて一般参拝者と同じエリアへ。と言っても主神の太陽神宮ではなく、参拝者はほとんどいない配神の一柱、夜の女王、宵闇の精霊の宮だ。
太陽神にはさまざまな恋の伝説があるが、夜の女王は太陽神に想われながらも、浮気者の男に身を任せることを拒んだ貞操堅固な女神とされている。そのため太陽が去った後の空にのみ現れると。とはいえ太陽神に関係する女神なので、この太陽神殿に祀られているのだった。
現生利益に関係ないせいだろう、それほどお参りはされない女神の宮のため、やや地味。だが、それだけにシックで、どこか優美なつくりだ。
「申し訳ございません、お待たせいたしました」
急ぎ足でやって来た小太りで温和そうな神官が、エカテリーナを見てはっと足を止め、まじまじと見つめる。
え、何でしょう。
「や……こ、これは失礼いたしました。その……女神が顕現なされたかと」
あらお上手。
「ほう、そう思うのは私だけではなかったか」
隣のお兄様の御機嫌メーターが一気に上がりました。のちほどこの宮に、お布施がぽーんと飛んでいくと思われます。おめでとうございます。
あ、そうだ。
「わたくしごときが女神の顕現などと、恐れ多いことですけれど、お言葉嬉しゅうございます。お兄様、こちらの宮に天上の青の顔料を奉納されてはいかがかしら。宵闇の精霊がおわすにふさわしい、美しい青で彩って差し上げれば、お慶びいただけるのでは」
見応えのある美しい宮になれば参拝者が増えて、そして天上の青の宣伝にもなるのではないかと。お布施は広告宣伝費として元が取れるといいなあ……って女神様すみません。
「それは良い考えだ。こちらの女神に捧げ物をしたいがよろしいか」
「それはもう、ありがたいことでございます。……しかし、妹君であられましたか。てっきり奥方様かと」
あらいやーんそんなどうしよう!
どうもせんでいいぞ自分!
小太りの神官はこの宮の担当者だそうで、ここでも普段公開していない女神像を見せてもらった。高さ五十センチほどの小さな木像だが、天へのきざはしを登る途中で振り返った姿を彫った、きわめて美しい像だ。この女神の像としては、皇国で最も美しいとされているらしい。
「美しいお姿だ。やはりお前に似ている」
アレクセイは微笑んだが、エカテリーナは胸がつまる思いだった。母に似ていると思ったのだ。
妹の表情を見て、アレクセイはすぐに気付いたらしい。そっとエカテリーナの肩を抱くと、囁いた。
「お前が望むなら、女神を邸にお迎えしようか」
……いや待ってくださいお兄様。
それは、この女神像を購入とかするということでしょうか。いけません、さっき大神官に見せてもらったお宝みたいな世界遺産クラスではないにしても、重要文化財クラスの価値はあると思われます。私的占有してしまうのはいかがなものでしょうか。つーか、無駄遣いしてほしくありません。
「……この女神様は、神殿を訪れるすべての方々のものであるべきと思いますの」
エカテリーナがふるふると首を振ると、アレクセイは微笑する。
「そうか、お前は本当につつしみ深い」
あ、シスコンフィルター発動。
ともあれアレクセイは神官長と小太りの神官に、この女神像の複製を作らせてほしいと申し出た。
公爵邸には母アナスタシアの肖像画がない。かつては、代々の公爵とその家族の肖像画が飾られた部屋にアナスタシアの肖像画もあったが、祖父セルゲイ亡き後、祖母が焼き捨ててしまった。
その代わりとして、この女神像の複製を飾ろうという。
さすがお兄様。複製は現実的な落とし所です。
「素敵なお考えですわ。お母様もきっとお喜びになりましてよ」
あんなに恋した父の肖像画の前に飾ってあげよう。
太陽神をもはねつける強く美しい女神の姿で、光源氏親父に肘鉄食らわしてやったらいいんです。お母様はそういう女性ではなかったけれど、もし生まれ変わることがあるなら、それくらい強くあって欲しいです。




