表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
50/351

竜告げ鳥とご褒美

「玄竜が去りましてございます」


試験結果が発表された翌日、久しぶりに執務室に現れた公爵領の幹部最年長、森林農業長フォルリがそう言った。


エカテリーナは思わず息を呑む。ユールノヴァ公爵領の森にここ数ヶ月ずっと居座っていた巨竜、玄竜。人間に変身すれば乙女ゲームの隠し攻略対象、魔竜王ヴラドフォーレンとなる。それが、ついに動いたという。


(フローラちゃんがイベントクリアしたんだから、皇国滅亡ルートで皇都に進撃してくるわけじゃないよね。まさか隠し攻略ルートの方で何か動いたとか⁉︎攻略方法知らんから判断つかない!)


「フォルリ、確かか」

「は、この目で見届けましてございます」


相変わらず古武士然とした白髪のフォルリは、アレクセイの言葉に日焼けした顔をうなずかせた。

いやフォルリさん、最古にして最強と言われる玄竜が去るのを見届けたって、どこでどう見てたんですか。ほんとにワイルドライフな現場主義なんだから。

と思ったら、フォルリはいきさつを語り始めた。




公爵領で植林の手はずを整えてきたフォルリは、試行ながら最初の対象地区への植林をおこなうところまでこぎつけていた。すべての木を切り倒して運び出し、切株ばかりが残る状態になっているものの、急斜面のため農地にすることが難しく開墾されていなかった地区だ。

玄竜が居座っているため森に入れず仕事にあぶれている伐採人たちに、苗木を植える仕事で日銭を支払い、まずは植林も金になるという印象を与えることはできた。

今度は植えた木の生長を見守らねばならない。これも仕事にして、伐採ほどの力仕事ができなくなった者が食い扶持を稼げるようにするか。そう考えながらフォルリが、六十五歳になっても衰えない健脚で苗木の状態を確認して回っていた時だった。

フォルリの妻である森の民の長も植林には期待しており、現場を見たいと付いて来ていた。彼女が空を見上げ、言ったのだ。


『竜告げ鳥が見ている』


頭上を見上げると、大きな黒い鳥が上空を旋回していた。鴉のように全身が黒いが、身体の形は猛禽類に近い。ユールノヴァの森を知り尽くしたフォルリも、初めて見る鳥だった。

竜告げ鳥は玄竜の配下、もしくは分身だと妻は言う。自分が見聞きしたことを玄竜に伝える、斥候のような存在だと。人間たちが見慣れない行動をしているのに気付いて、偵察に来たのだろう。


まるでその声を聞きつけたかのように、鳥はすうっと高度を下げた。フォルリ夫妻の近くにあった大岩の先端に止まり、じっと二人を見る。

鳥の目はルビーのように赤く光っていた。


そこでフォルリは、竜告げ鳥に語りかけたのだ。

ここで行なっているのは植林というものであること。人間は長年森を伐採してきたが、これからは伐採した跡に木を植え育てそれを使っていこうとしていること。植えた木が実際に使えるところまで育つまでには五十年の歳月が必要で、それまでは伐採を続けさせてほしいこと。これはこの地を統べるユールノヴァ公爵の妹君が発案され、公爵閣下が進めるよう命じた施策であり、公爵家は森との共存を望んでいること。

貴殿、玄竜に敬意を払い、共存することを望んでいること。


すると、竜告げ鳥はーー笑った。

人間そのものの声で、呵々大笑した。

そして翼を広げ、大きな羽音を立てて飛び去った。



鳥が飛び去ってしまうと、フォルリはいささか面映ゆい気分になった。本当に玄竜に伝わるのかわかったものではない、鳥を相手に大真面目に語りかけていた自分の姿は、はたから見れば滑稽なものだったろう。そんな思いで妻に苦笑してみせた、その時だった。


晴れていたはずの空が、翳った。


山の天気は変わりやすい、雲が出てきたかと見上げた目に、逆光の巨大なシルエットが映る。樹上はるかに天へ伸びて陽をさえぎる、黒く長大なーー玄竜の首。

逆光でもわかる燃えるような真紅の目が、フォルリを見ていた。

さすがに息を呑み、フォルリは腹に力を込めて、はるかな高みにあるその目を見返す。

にやり、と真紅が笑った気がした。


『面白い』


それは、声だったのか。


森に翳りが広がる。長大な首の背後に、さらに巨大な翼が広がったのだ。

翼が打ち下ろされる。どよめくような颶風が巻き起こる。


玄竜が飛び立った。


風が舞い上げた土埃に、フォルリは反射的に目を閉じた。風が止んで目を開けてみると、玄竜はすでに、はるか彼方へ飛び去っていた。




(厨二心が疼くエピソードだわー……しかしどこ行ったんだ魔竜王)


「面白い、と奴は言ったのか」

「さようにございます」


アレクセイの言葉に、フォルリはうなずいた。


「いったんは飛び立ちましたが、いずこからか見ておりましょう。我々が本当に森と共存しようとするのかを」

「ふむ。つまりは玄竜が植林を善しとしたということだな。領民たちに開墾を制限する理由としてわかりやすい。

よかろう、ユールノヴァ公爵領百年の計を立てよう。これから伐採した跡は基本的に植林の対象とする。しかし領民の心情に配慮し、農地に適した場所があれば開墾を許すことも考えよう。ダニールと共に領法化を進めるように」

「御意」


ダニール・リーガルはユールノヴァ公爵家の法律顧問だ。皇国の法律と公爵領の領法、フォルリが知る現場の状況を考え合わせて、施策を明文化したうえ、施策に反した者をどう処遇するかなど細部を考えねばならない。一方的に罰するようでは、領民の反発を招くだろう。


……最古の竜と語り合うっていうファンタジーが、法令化という超現実的官僚のお仕事に着地しましたー。この世界、竜はファンタジーではなく現実なんだよなあ。


とか思いながら、本日の昼食、具材たっぷり揚げパンを品良く口に運ぶエカテリーナである。いやこれはお嬢様といえどもかぷっとかじるしかないのだが。まだ温かくて美味しい。

これもフローラと一緒に作ったのだが、フローラは聖の魔力について学ぶため、学園外での特別授業に呼ばれて執務室には不在だ。揚げパンはお弁当としていくつか持っていった。


「ともあれこれで、太陽神殿から特注の黒竜杉は伐採できるな」

「安心しました。あそことの関係は良好に保っておきたいところですので」


アレクセイの言葉に商業長のハリルが応じ、執務室にほっとした空気が流れた。


「お嬢様にご報告です。皇后陛下から天上の青のご注文をいただきました。輸入物の生地と組み合わせてお使いになるようです。他からも少しずつ注文が」

「まあ!それはようございましたわ」


やったー皇后陛下が採用してくださった!さぞお洒落なドレスになるんだろうな。他はデザイナーのカミラさんかしら、本当にお勧めしてくれたんだ。

悪役令嬢観光大使、ミッションクリア!いえーい。


「お前のおかげで難問が片付いた。とても助かったよ」


アレクセイの言葉に、エカテリーナは首を振る。


「嬉しいお言葉ですわ。ですが、わたくしのしたことなどほんのささいなこと。このたびのことは、お兄様と皆様の優れたお力あればこそですもの」


謙遜でもなんでもなく、マジです。


「他のお家であれば、娘ごときが何か言っても、お取り上げくださらないことでしょう。わたくしの思いつきに耳をお貸しくださり、可能性を見出だしてくださったのは、お兄様や皆様が偏見のないお心の持ち主だからですわ。そして、思いつきをこれほど迅速に形にすることがお出来になったのは、フォルリ様の豊かな経験と周囲からの信頼があったからでございましょう。それがなければ、わたくしの言葉は何の価値もなかったのですわ」


前世でシステム設計やってましたので、発想を形にすることがどれだけ悩ましくて手間がかかることかは、解ってるつもりです。

そして前世の社会人時代、新人が何か言っても聞いちゃあくれない人はざらにいましたよ。

この執務室に来る幹部の皆さんが私の言うことにとりあってくれるのって、お兄様がこれほど若くしてこれほど優秀だからってのが大きいんだろうけど、幹部の皆さんも全員ものっそい有能。有能だから、世の中に出て来て数ヶ月の令嬢の言葉でも、使える場合は使えると判断することができるんだよね。

すごいなユールノヴァ公爵家。いやこの人材はお祖父様が遺したものだから、お祖父様が偉かったのか。


しかし、エカテリーナの言葉に幹部たちは視線を交わし、ひそかに笑っている。彼女の言葉は事実だが、その事実に気付くほど聡明な人間は稀有だ。


「お前は本当に賢い子だ。だが今回は、他の誰も思い付かないことを思い付いたことに大きな価値があったんだよ。試験で優秀な成績を取ったこともある。お前に褒賞を与えたいが、何か欲しいものでもないか?」


いやいや、お兄様といられるこの人生がご褒美ですから!


「優秀な成績とおっしゃるなら、お兄様はずっと首席ですもの、ご自分にお与えになるべきですわ。わたくしの望みでしたら、お兄様のお側にいることだけでしてよ」

「エカテリーナ」


アレクセイが顔をほころばせる。


「そういうお前だから、何かを与えたいと思うんだ」


さらに、ハリルとアーロンが乗っかってきた。


「お嬢様、せっかくですからもう少し衣装をご用意なさっては。皇后陛下からお呼びがかかるかもしれませんし」

「宝石もぜひ。嫁入り道具としてでも、良いものを揃えてみられては」

「……」


こらこらこら。子供に贅沢を勧めたらあかんでしょ!

いかん、このままでは勝手に何かすごいものを見繕われてしまいそうだ。いらないです!物より思い出!


あ。


「お兄様、わたくし、欲しいものがございましたわ」

「そうか、何かな」


甘い笑顔のアレクセイに、エカテリーナはうきうきと言う。


「覚えておいでかしら、学園へ入学する前の日に、いつかお休みの日に皇都の見物をいたしましょうとお願いしておりましたの。お兄様、一日お仕事をお休みなさって、わたくしとご一緒くださいませんこと?」

「……そんなことでいいのか?」

「お兄様の一日は千金に値いたしますわ!それをわたくしにくださいまし」


困惑した表情のアレクセイだったが、エカテリーナが言いつのると、根負けしたように微笑んだ。


「もちろん、かまわない。お前がそう望むなら」

「嬉しゅうございます!」


わーい、やったー!

お兄様と。

デートだー!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] たしかに、侯爵家当主を丸一日独占するとなると、そこらの宝石よりその価値は高くつくだろうなぁ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ